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私は1974年から10年間ほど、H氏というイギリス人コレクターの求めに応じて、山本鼎、織田一磨、戸張孤雁、恩地孝四郎、谷中安規などの創作版画を蒐集し、イギリスへ送っていました。
ちょうど「現代版画センター」という現代版画の版元を主宰していた時期に重なりますが、一方で関根伸夫、菅井汲、オノサト・トシノブ、靉嘔、元永定正、磯崎新、アンディ・ウォーホルなどの現代版画を大量に制作頒布しながら、他方でたった一人のコレクターのために明治末期〜大正、昭和初期に制作された有名無名の創作版画を片っ端から買いまくっていました。その数、7,000点。我ながらよくぞ集めた(売った)ものです。
画商(コレクター)はとにかく、モノ(作品)に触らなければならない(買わなけらばならない)というのが師匠・久保貞次郎の教えでした。「女房と絵は一ヶ月暮らせばその真価がわかる」、つまり理屈じゃ絵はわからんということでしょうか。
その点からいえば、10年の間に7,000点の創作版画に触り、買い、そして売ったことは間違いなく私の血となり肉となっている。誰よりも多く触ったという自負はあります。
私自身は性癖として、有名なものより無名なもの、メジャーな作家よりマイナーな、それでいて一本芯の通った作家が好きです。
創作版画でいえば、何と言っても戸張孤雁。とはいえ、彫刻家であり若死にした孤雁が生涯に制作した木版画は十数点に過ぎません。ある時期、私の部屋には「千住大橋の雨」「玉乗り」など孤雁の全版木がありました(現在は愛知県美術館所蔵)。その事情はいつかきちんと書き残しておきたい。
平川清蔵や諏訪兼紀、西田武雄、今純三も好きな作家ですが、創作版画を語る上で、別格的存在は、誰が何と言おうと竹久夢二と恩地孝四郎だと私は思います。
日本の近代美術の歴史の中で、いわゆる「創作版画運動」といわれるのは、明治末期、雑誌『方寸』に拠った山本鼎たちが唱導した近代的版画制作の姿勢・主張でした。「版画は絵の複製であってはならない」という主張を実践しようとした運動でした。
その初期における瑞々しさ、プロの画家のみならず、アマチュアの多くの人々を巻き込んで全国に波及した版画の創作活動のエネルギーは素晴らしいものでした。
版画のオリジナリティを確立するために「自画自刻自摺」を唱えますが、やがてそれはスローガン化し、本来は優れた版画表現を獲得するための方法論に過ぎなかった言葉がいつしか自己目的化し、結果として運動のエネルギーを矮小化させてしまいます。残念なことに、創作そのものが袋小路に陥ってしまったことを免れたのは恩地孝四郎らごく少数の作家だけでした。
「自画自刻自摺」というお題目にしばられ、技術にばかり走って、単なる装飾品と堕してしまった多くの作家たちの中で、竹久夢二と恩地孝四郎だけは例外でした。
にも拘わらず、つい最近まで、国民的人気作家・竹久夢二に対する研究者たちの冷たい視線を私は残念に思っていました。いずれ本格的な夢二論を誰か書いてくれないでしょうか。
恩地孝四郎はもちろん、私の最も敬愛する瑛九も、夢二に大きな影響を受けました。
このコーナーではおいおい、創作版画の魅力を作品によって紹介して行きたいと考えていますが、老兵になった今、果たしていつのことになるのやら・・・。
ときの忘れものの看板の一つ『版画掌誌 ときの忘れもの』でもいずれ創作版画の作家を特集するつもりです。どうぞ気長に待っていて下さい。
エッセイ 恩地孝四郎と創作版画運動
エッセイ 西田武雄と室内社画堂
エッセイ 新東京百景と諏訪兼紀
エッセイ 今純三とエッチング
展覧会
第151回) 恩地孝四郎と創作版画の作家たち 2007年12月14日〜12月29日
第101回) 恩地孝四郎展 2003年1月10日〜1月25日
第14回) 第2回創作版画の作家たち/
織田一磨、山村耕花、前川千帆、永瀬義郎、恩地孝四郎、勝平得之、品川工、他 1996年6月12日〜6月29日
第7回) 第1回創作版画の作家たち/
戸張孤雁、山本鼎、竹久夢二、恩地孝四郎、今純三、谷中安規、他 1995年12月8日〜12月17日
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