ときの忘れもの ギャラリー 版画
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福原信三

Shinzo FUKUHARA

写真家。『巴里とセイヌ』が代表的写真集。大正末から昭和初期にわたる日本近代写真の黎明期のパイオニア的存在であった。
1883年銀座でわが国初の洋風民間薬局・資生堂を経営する福原有信、とく夫妻の四男として生まれる(戸籍上は三男)。父有信は1888年帝国生命(現朝日生命)を起こし、OLのはしり、女性事務員を多数採用するなど明治財界の大立者だった。少年時代の信三は石井鼎湖に日本画を小林萬吾に水彩や油絵を学び画家を志すが、父の希望に従い薬学の道に進んだ。生涯の表現活動となった写真に関しては正則中学校時代に宮内幸太郎の東洋写真会に入会、友人たちと「七光会」を結成した。
1906年千葉医学専門学校(現千葉大学)薬学科を卒業。1908年アメリカに留学、コロンビア大学薬学部に入学した。避暑地で知り合った画家・川島理一郎と生涯の親交を結ぶ。卒業後はニューヨークのドラッグストアや化粧品製造工場で研修のため無給で働く。1912年帰国を前にヨーロッパを巡遊。パリで川島理一郎、藤田嗣治、山本鼎らと交遊、西欧美術から大きな刺激を受ける。後に『巴里とセイヌ』(1922として発表される長焦点レンズによる都市光景のスナップを多数撮影する。1913年帰国後は資生堂薬局の経営をまかされ、1916年資生堂化粧品部を開店。商品開発からショーウィンドーや商標「花椿」のデザインまでを自ら手がけ薬品から化粧品への転換を図った。1919年陳列場(資生堂ギャラリー)を開設し、絵画、工芸、建築、デザイン、写真などの新進作家たちの発表場所とする。今日まで100年続くギャラリーは他になく、現存する日本最古のギャラリーとして日本の美術史に大きな足跡を刻んでいる。

1921年弟の路草、太田黒元雄、掛札功らと写真芸術社を創立、翌年『写真芸術』誌を創刊した。自然のなかの光線のありようを色調の濃淡として精妙に写真印画に定着し、自然との感覚的・心理的な融合の境地を求めようとする「光と其諧調」の写真美学を理論と実作の両面で展開、芸術的表現を志向する日本のアマチュア写真家たちに大きな影響を与えた。1924年日本写真会を設立、初代会長となる。
1939年盟友野島康三とともに国画会に写真部を創設、晩年は白内障のため視力が低下するが、写真界の重鎮として重きをなした。
資生堂の経営者としては、自ら意匠部を率い商品や広告デザインを「リッチ」という言葉に象徴される徹底した美意識の下に制作し、高品質で美的な化粧品事業を確立。1927年家業の資生堂を法人化し、株式会社資生堂の初代社長に就任した。
1948年死去、享年65。

 


《ヘルン旧居  松江・島根》

1935年  
写真(バライタ紙)
イメージサイズ:34.2x26.2cm
シートサイズ:36.0x28.2cm
裏に記入あり


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