ジョナス・メカス
JONAS MEKAS

ジョナス・メカス 映画上映会

80歳を迎えてますます元気に活躍をつづけているジョナス・メカスさんです
が、いよいよ来年の夏頃に来日されます。
ときの忘れものでは、来日にあわせ展覧会を計画しています。
また、メカスさん来日の準備活動もかねて、メカス日本日記の会のメンバーに
よって、2003年11月から毎月第三土曜日に新宿のバー・ナジャでメカスさんの映画が
上映されることになりました。
鑑賞ご希望の方は、前もってナジャの営業時間中(日曜以外の午後6時以降)
に必ず予約の電話をお願いします。

第1回上映会<時を数えて、沙漠に立つ>1985年 16ミリカラー・150分
日時:11月22日(土)17:45開場、18:00開映(20:45終映予定)
料金:2,500円(学割2,000円)ワンドリンク付、要電話予約
会場:ナジャ(NADJA) 新宿区新宿3-31-5 ペガサスビルB1
   電話/03-3351-9058(日曜以外の午後6時以降におかけ下さい)

第2回上映会は、11月29日(土)に予定しています。
ジョナス・メカスの長時間映画が、ちょっと遠いのですが、和光大学で上映されました。
日時/2002年11月30日(土)午後1時〜午後6時まで
会場/和光大学D棟小講堂(町田市金井町2160、小田急線「鶴川駅」下車、徒歩17分)
上映作品/「歩みつつ垣間見た美しい時の数々」2000年制作、日本で公開された中では最新作です。
上映時間286分!!! 口上には「この美しい退屈にあなたは耐えられるか」とあります。
入場料/無料
主催/和光大学表象研究会
問い合わせ/和光大学・三上研究室電話/044-988-1431、内線5715)
主催の和光大学の三上豊教授は、美術手帖を出発点にしてフリーになってからも名編集者としてならした方です。わが版画掌誌の編集陣にも加わっていただき、また日経から刊行した「瑛九作品集」も私とともに編集にあたってくれました。出身の和光大学に迎えられ、教授に就任。現代美術の画廊史を手掛けるなど意欲的に活動されています。
ジョナス・メカス作品
「水上スキーにでかけたその日、ジョンが船長を務めた モントーク、1972年8月」
「John was the captain, that day, when we went water skiing , Montauk, Aug. 1972」
2000年 オリジナルプリントEd.10 30×20cm サイン有 シート4万円
「アンソニー、ジョン、リーはホーム・ム−ヴィー科の優等生。教授役はわたし モントーク、1972年」
「Anthony, John and Lee were perfect students of home movies, and I acted as a professor, Montauk, 1972」
2000年 オリジナルプリントEd.10 
30×20cm サイン有 シート4万円
「夜の街を走る車 マンハッタン
1983年 シルクスクリーンEd.75
53×37.5cm サイン有

「ロイ・リキテンステインのモデル、アンディ・ウォーホルのスタジオで、1976年12月15日」
『時を数えて、砂漠に立つ』より
オリジナルプリント Ed.10 27.8×21.6cm サイン有 シート4万円
「セルフ・ポートレイト、1979年11月22日」
『時を数えて、砂漠に立つ』より
オリジナルプリント Ed.10 27.8×21.6cm
サイン有 シート4万円

略歴

JONAS MEKAS(ジョナス・メカス)…1922年12月24日リトアニアのセメニスキアイの農家に生まれる。1936年初めての詩集を出版。1940・42年ソ連軍(赤軍)、ナチス・ドイツのリトアニア占領。反ナチ新聞の発行が発覚し、強制収容所に送られる。1945年収容所を脱走、難民キャンプを転々とするが、マインツ大学で哲学を学ぶ。1949年ハンブルク港から出航、アメリカ・ブルックリンに移り住む。1950年様々な仕事をしながら、当時住んでいたウィリアムズバーグやリトアニア系移民を撮り始める。1954年『フィルム・カルチャー』誌を発行。1955年詩集「セメニスキウ・イディレス」第2版がヴィンカス・クレーヴ詩賞を受ける。1958年『ヴィレッジ・ヴォイス』誌に「ムービー・ジャーナル(映画日記)」を連載、後に出版(76年まで継続)。「ニュー・アメリカン・シネマ・グループ」の設立に協力、60年設立。1961年「フィルムメーカーズ・コーペラティブ(映画作家協同組合)」を組織。1964年「フィルムメーカ一ズ・シネマテーク」を組織。1965年『営倉』(1964年、68分)がヴェネツィア映画祭ドキュメンタリー部門で最優秀賞受賞。1968年ユダヤ博物館のフィルム・キュレーターを務める(〜71年)。1969年アンソロジー・フィルム・アーカイブスの設立準備を開始。1971年夏、リトアニアを訪問。1975年ベルリン映画祭、ロンドン映画祭、アムステルダム映画祭参加。1983年アンソロジー・フィルム・アーカイブス設立計画アピールのために初来日。原美術館他で「アメリカ現代版画と写真展―ジョナス・メカスと26人の仲間たち」開催。初のシルクスクリーンによる版画を制作。1989年アンソロジー・フィルム・アーカイブス開館。1991年・96年来日。1999年パリ・ギャラリ・ドゥ・アニエスで「JONAS MEKAS―“this side of paradise”fragmentof an unfinished biography」展を開催。2000年「ジョナス・メカス映像展―[thisside of paradise]」が愛知芸術文化センター他で開催。



ときの忘れもの通信02年3月号---ジョナス・メカス特集---