◆ 恩地孝四郎展
会期=2016年2月6日[土]―2月20日[土]
※会期中無休



1891(明治24)年東京に生まれた恩地孝四郎は、日本創作版画協会(1918年)、日本版画協会(1931年)、日本版画奉公会(1943年)の創立に参加、国画会版画部に属し、戦後の日本版画協会再建(1946年)にあたっても中心的な役割を果たした文字とおり近代日本の版画の代表作家であり、指導者でした。

のみならず日本における抽象表現の先駆として世界的なレベルでの多くの作品を残した恩地は、 「色と形を以つて、心を表現するのが、本来美術の純粋形態である筈だ。それが、美術は形を模さねばならぬものといつのまにか定められて了つてゐる。(中略)凡そ、知解にうつたへる芸術ほど下等なものはないのだ。すべての中間作品、通俗作品がそれである」(版芸術1932年 4月創刊号)と鋭く指摘したように、版画とか油彩とかの表現手段を超えて明確に自己の目指すものをつかみ、またそれを様々な材料と技法を使い表現することができた稀有な作家でした。

昨年は没後60年ということもあり、雑誌『月映』を記念した展覧会など、恩地孝四郎展がいくつも開催されました。さらに今年の1月13日からはホノルル美術館など海外から60点もの作品を集めた大回顧展が東京国立近代美術館で始まりました。

ときの忘れものでは、木版画を中心に水彩、素描など約20点をご覧いただきます。


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■ 恩地孝四郎 Koshiro ONCHI
1947年石川県に生まれた 文承根は、1960年代後半からほぼ独学で美術表現を開始し主に関西を中心に活動します。1968年弱冠21歳にして吉原治良に見出され具体展に出品し、翌1969年の第5回国際青年美術家展で受賞しました。それまでは「藤野登」として発表していたのですが、1971年からは「文承根(MOON SEUNG-KEUN ムン・スングン)」を名乗ります。 「具体」解散後は独自の表現を求め、京阪神地域を中心に個展を開催し、国内外のグループ展にも積極的に参加し、1970年前後に東京を中心に勃興した「もの派」と、80年代の「関西ニューウェーブ」 との狭間の時代において、油彩・水彩・版画から立体や写真・映像作品まで 幅広いジャンルでの制作を展開しました。 自身の病を見つめた上で、あらゆる技法や素材を試しながら作品を作り続けますが、1982年胆嚢癌により34歳の生涯を閉じました。 没後15年の2007年、京都国立近代美術館と千葉市美術館で開催された「文承根+八木正 1973-83の仕事」は、1980年代初頭にその才能を惜しまれながら夭折した二人の軌跡をたどる画期的な展覧会でした。 文承根が1970年代半ばから集中して制作された色を何層もぬり重ねた水彩や、街の一瞬の光景を撮影した写真を素材とした版画作品、油彩、立体、写真など幅広い分野において遺した作品は、深い批評性と高い完成度を示しており、いまさらながらその若い死が惜しまれたのでした。




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