画廊主のエッセイ
このコ-ナ-では、画廊の亭主が新聞や雑誌などに依頼されて執筆したエッセイを再録します。

PCS プリンツ・コレクターズ・サロンについて

綿貫不二夫

1~4   5~7   8~11   12~14   15~17

PCS プリンツ・コレクターズ・サロンについて1  2002年5月22日
会長の浪川正男さんのご了解が得られたので、PCSについて、手元の資料(機関誌、頒布会記録)に基づいてご紹介しましょう。
PCSは1969年(昭和44)12月に創立 された アマチュアの版画愛好家の組織です。メンバーはサラリーマン、自営業などで画商などプロはほとんどいません。創立から現在に至るまで浪川さんが会長をつとめています。70年代が全盛だったようで当時の会員は50名前 後、機関誌も出しています(後述)。いまは浪川さんによれば「冬眠中」とのことで、住所や連絡先について は公開しません。まず創立の頃の規約から概要を記してみます。
目的/版画を愛するもの同志で、作品入手の便宜を分ちあい、ま た作家との交流をたかめ、会員相互の親睦に資することを目的とする。
行事/・月例会の開催 ・作品交換会の開催 ・希望作家への制 作依頼・作家訪問・会報の発行・その他前条の目的のために必要なこと
発起人/浪川正男、中島祐吉、松島靖、小原寛、福村豊、神尾格 以上ですが、次回は機関誌の内容をご紹介しましょう。

PCSについて2  2002年5月23日
PCSの大きな特徴は、アマチュア団体に徹し、比較的小人数による頒布会を中心に 活動を継続している点です。いたずらに組織の拡大をめざすのではなく、無理せず誰 でもが買える作品の頒布を実践してきました(それこそ何千円単位の)。供給元は作家と、会員です。メジャ ーな動きをしなかったために、作家も画商への気兼ねをすることなく、PCSへ廉価作品を提供したものと思 われます(このことはとても重要で、画廊の商売としての価格管理と、コレクターの立場とのギャップはしばしば衝突し、複雑な問題を起こすこともあります)。
あなどれないのは、この頒布会に出されたものの中に、大袈裟にいえば美術史を書き換えるような作品があったことです。例えば、わが版画掌誌第3号で特集したロシアのパーヴェル・V・リュバルスキールのリノカット作品は、偶然、骨董店で原版を買った会員の一人が(まさに掘り 出し物をゲットするコレクターの眼)その作家のことを何一つ知らずに、後刷りを行い、それを1975年(昭和50)11月15日のPCS第33回例会で無償で配布したものです。それを他の会員から入手した私が、かのロシア未来派の作家のものだと気付いたのはずーと後のことです。このあたりのことは、先日まで町田の国 際版画美術館で開催された「極東ロシアのモダニズム展」カタログに記述され、PCS会員が骨董屋でゲットしたリノカット原版も展示されました。この展覧会は、26日から宇都宮美術館へ巡回され、7月には北海道 立函館美術館でも開催されます。
歴史的発見、発掘の契 機は、研究者や専門家の専売ではなく、好きでこつこつと集めているコレクターの眼によってなされることもあるのだという、好例ですね。

PCSについて3  2002年5月24日
1969年に創立されたPCSは、主に作家から直に廉価で提供された 版画作品の頒布会を初期の頃はほぼ2ヶ月おきに開催していました。数年前に浪川会長から提供された頒布会 資料によれば、1969年12月20日に第一回例会が行われ宮下登喜雄の「ビーナス誕生」が記念頒布されまし た。その後1996年9月21日には第81回例会が開催されたとありますから(その後も何回か開催された模様)、途 中中断はあるものの活動は持続的です。
1971年2月には機関誌『PCS』第1号を発行します。機関誌はその 後、1977年4月に第12号までが発行されています。最初は数ページのささやかなものでしたが、やがて25ペ ージの堂々たる体裁のものになります。順次、その内容と頒布作品の概要をご紹介しましょう。

PCSについて4  駒井哲郎 「時間の玩具」   2002年5月25日
機関誌紹介に入る前に、第2回でPCS頒布会の作品が美術史を塗り 替えたと書きましたが、これだけじゃあという方のために、もう一つエピソードをご紹介します。
駒井哲郎 には「時間の玩具」という屈指の名作が2点あります。ともに希少作品でめったに市場に出ません。
一点は 1952年制作のモノクロ作品(限定20部、ただし刷っ たのは7部のみ、レゾネNo.63)、もう一点は1970年制作のカラー作品です(39.5× 23.6cm、レゾネNo.166)。ともに駒井先生の代表作ですが、最大のコレクション点 数を誇る東京都現代美術館にも、また埼玉県美にもありません。
先年世田谷美術館で開催された福原コレ クションによる駒井展に1970年のカラー作品が出品されひときわ鮮烈な色彩が目立っていたので、ご覧にな った方も多いはず(同展カタログ 34頁)。それもそのはず、駒井先生のカラー作品では最大のサイズの作品 です。実はこれほど凄い作品のデータ(限定)がレゾネにも、ほぼ全作品を網羅した1980年の 東京都美の回顧展カタログにも記載されていません。やっと2000年4月の福原コレクション展によってこの最大のカラー 作品が限定30部だということが判明したのです が、旧蔵者はPCS会員です。
会員の回想によれば、最初この作 品は1部乃至数部が刷られただけだったが、翌年限定30部が刷られ、1971年8月10日に開催された PCSの非公式頒布会(先にご紹介した正規の例会ではなく極く小人数の会)でそのうち5部が 僅か1万円で頒布されたもの です。題名もそのときは「ある風景」とされていたと か。いまなら250万円はするでしょうから、ため息が 出ますね。他の25部がどういう運命をたどったか不明ですが、駒井家にも番号入りは残っておらず、レゾネ制 作時にもその後の回顧展のときにも、データが不祥のままでした。もし研究者がPCS頒布会の記録を閲覧し ていたら(浪川会長の記録魔ぶりはコレクターの鏡です)、すぐにわかったことですが、実際には没後25年を経てようやく判明したというわけで す。それにしても1万円とはなあ(当時先生の画廊での新作発表価格 は3万円でし た)。PCSおそるべし

画廊主のエッセイのtopへ