井村治樹のエッセイ《イリナとの出会い》

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「ピラミッドの中の写真集―イリナとの出会い―14」


 イリナ・イオネスコはまるで夢でも見ているようでした。彼女の美しさはそこにだけスポットライトがあたっているように思えるほどでした。私が今までの一部始終をイリナに説明すると前よりましてまじまじと彼女を観察し始めました。この出過ぎたアレンジにお叱りを覚悟していた私にとってホッとする一瞬でした。幸い彼女もフランス語が出来たのでイリナも大喜びでした。イリナがこのモデルの申し出にノンと言えるわけもありません。ただただ舞い上がっているようでした。
 2日後、イリナは彼女を撮り始めました。1日目は洋服です。2日目に着物を撮ることになりました。ヌードを撮り始める時、イリナは男性の目を嫌がります。それはイリナ自身のためではなく、モデルのためです。未婚であろうと無かろうと仕事であろうと無かろうと、男性の前で素肌をあらわにさせることはしません。彼女はかたくなにモデルを守ります。そして女性だけの世界でシャッターを切るのです。これが彼女の被写体に対しての接し方であり、エチケットなのです。
 2日目には着物姿をとりました。勿論ヌードになるとき、私は外に出ます。でもイリナはぎりぎりまで私にチェックをするように言いました。チェックとは日本の文化のなかでおかしな仕草やアレンジになっていないかどうかのチェックです。ハリウッド映画の中に登場する奇妙なフランス人や中国人と言った勘違いをした演出をしたくはなかったのです。間違った解釈をすることはその文化に対して冒涜だと考えているのです。相手を尊重するように相手の文化を尊重するのです。そして彼女がヌード撮影に入る前に私に聞いたことはそのような彼女にとって大変重要な事でした。「着物を脱がせることにはとても抵抗があるは、何百年何千年もの日本の文化の重さがあるのよ。無神経に脱がす訳にはいかないの。それなりの儀式が必要なのよ。そうでしょう。ムッシュアルキ」アルキは私の名前です。いつの間にか名前と名字がイリナのかでごっちゃになってしまったのです。
 この時から私はムッシュアルキと言うことになりました。それは彼女の日本文化のちょっとした誤解のためでした。日本は名前が後で名字が先という誤解。日本は何の苦もなく日本の伝統的な名前の形式をあっさりと外国語の中では捨ててしまったのです。
 次回はイリナが当方の家に宿泊したことを書きます。イリナがもっとも嫌ったことをお教えします。ご期待ください。尚、このブログの連載は次回で最終回になります。
2009年1月18日(いむらはるき)


EVA6イリナ・イオネスコ「Eva 6」
1978 (Printed in 1996)
Gelatin Silver Print
27.5×19cm
Ed.20  Signed




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