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小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」
第1回 「マタニティ・フォト」の流行と、イモージェン・カニンガムの「Pregnant Nude(妊婦のヌード)」  2013年6月25日
2011年9 月から2013年4月まで33回にわたって、このブログで連載「写真のバックストーリー」を発表してきました。 「写真のバックストーリー」は、私にとって、2011年3月に娘を出産後、育児に明け暮れる生活の中で写真に関わる仕事への意識を取り戻し、写真を見る楽しさや奥深さを再発見する契機になりました。
写真を巡るストーリーを書くために、さまざまな写真を見たり、また文章を読んだりするなかで、自分自身が妊娠と出産を経験し、日々試行錯誤しながら育児をする過程で、女性、とくに妊婦や子どもの写っている写真に対する見方が大きく変わってきたことに気づき、以前は気づかなかったことを写真の中から発見することも増えてきました。今回から新たに始める連載「母さん目線の写真史」では、私の個人的な体験にも根ざしつつ、写真史上の作品を取り上げながら、育児をする中で気づいてきたことや、発見した写真の見方について綴っていきたいと思っています。

振り返ってみると私が出産した2011年前後は、いわゆる団塊ジュニアに属する30歳代後半の女性(私もその中に含まれます)が、駆け込むかのように出産していった時期でもありました。メディアの状況としては、2000年代後半から『CREA』 や『an−an』のような女性向け雑誌で妊娠や出産に関する特集記事が組まれたり、芸能人、著名人が自身の妊娠、出産、育児についてブログで書き綴ったり、「妊活」という言葉が話題として取り挙げられるようになってきていたりもしてきました。
このような流れの中で、「マタニティ・フォト」や「マタニティ・ヌード」と呼ばれる写真が、ある種のジャンルとして徐々に定着してきたように思います。雑誌の表紙などで、芸能人やモデルが大きなお腹を見せるような写真やヌード写真が発表されて話題になったり(図1)、「プロのカメラマンによるマタニティ・フォト撮影」を謳うポートレート・スタジオが増えてきたりしているのです。
次第にお腹が大きくなって行く過程を記録したいし、臨月に近い頃にはお腹の大きな時期を写真として残したい、という気持ちは十分に理解できますし、実際に私自身も自分のお腹の出っ張り具合を記録するために写真を撮ったり、家族に撮ってもらったりもしました。気軽に写真を撮ることができるからこそ、できるだけ美しい記念写真として残したい、スタジオでポーズや照明、セッティングなどを入念に整えた上でプロのカメラマンに撮影して欲しい、という願望・要望に応えるかたちで妊婦のポートレート写真として「マタニティ・フォト」というジャンルが形成されていったのでしょう。

(図1)
左:「an-an」 表紙 神田うの
右:「Rinka’s Only Days」表紙 梨花

妊娠中に雑誌の表紙に登場する「マタニティ・フォト」や、スタジオで撮影された「マタニティ・フォト」の作例をスタジオのウェブサイトで見るにつけ、写真撮影やこれからの出産に向かう妊婦たちの意気込みを感じるとともに、演出を施して美しく撮って欲しいという願望は自分の中にはないなぁ、と違和感も交えて思ったものです。ファッション・モデルや芸能人のような外見の「美しさ」を売り物としている人たちと自分は事実かなりかけ離れているということもありますし、お腹が大きくなっていく自身の姿は「美しい」というより「なんだか変で面白い」と形容するに相応しいものだった、ということもあります。臨月近くにはあまりにも大きくなったお腹を持てあまし、出てきた臍を口に見立てて、サインペンでお腹に顔の落書きをしたこともあります(図2)。

(図2)
著者臨月時の腹芸
2011年1月頃
(Skypeキャプチャー画面)

ところで、「マタニティ・フォト」、とくに全裸で写る「マタニティ・ヌード」のポーズのポイントとして「横向きの身体」が挙げられます。このポーズは突き出たお腹の輪郭を際立たせつつ、胴体をほっそりと見せ、臍の上下に伸びる線が写らないようにする工夫でもあります。ヌードの場合は、片方の腕で胸を隠し、(図1)のような雑誌や書籍の表紙に掲載される写真の場合には、振り返るようにして顔や視線を正面に向ける、というのも、典型的なポーズのポイントです。つまり、お腹に焦点をあわせつつ、顔や全身の写り方のバランスを整えていくことに、美しくスタイリッシュな「マタニティ・フォト」、「マタニティ・ヌード」を作り上げる技があると言えるでしょう。

(図3)
デミ・ムーア
『VANITY FAIR』(1991年8月号)

(図4)
デミ・ムーア
『VANITY FAIR』(1992年8月号)

このような「魅力的(グラマラス)な妊婦像」としての「マタニティ・フォト」が認知され、定着していった経緯には、(図2)のような、芸能人やモデルの妊娠・出産をニュースとして伝えるメディア、雑誌が大きな背景を果たしてきました。その先駆であり、「マタニティ・ヌード」のポーズの原型を作ったとも言えるのが、『VANITY FAIR』(1991年8月号)の表紙を飾った女優のデミ・ムーアの写真(アニー・リーボヴィッツ撮影)です(図3)。先に述べたような横向きのポーズで、画面右上に視線を向けており、全裸の身体にダイアモンドのイヤリングと指輪だけを身につけることで、あたかもファッション写真のような佇まい、ゴージャスさを演出しています。この表紙は、当時大センセーションとなり、妊娠した女性のヌードが主流雑誌の表紙を飾ることを巡って賛否両論を巻き起こしました。翌年同雑誌の1992年8月号には、デミ・ムーアは再び登場し、産後スリムになった全裸の身体の上に男性のスーツのボディ・ペインティングを施し、正面を向いて写っています(図4)。
1990年代から2000年代には、デミ・ムーアの先例に倣うようにして、著名な女優(モニカ・ベルッチ)やスーパーモデル(シンディ・クロフォード、クラウディア・シファー)たちがファッション雑誌に「マタニティ・ヌード」を披露しています。このような動向はメディアにおける流行現象、著名人の話題作り、プロモーションの一環として撮影されるものということにとどまらず、1990年代初頭から現在にいたるまでの20年間での少子化、出産の高齢化、生殖医療の進歩といった社会情勢なども反映しているのだともいえるでしょう。

(図5)
イモージェン・カニンガム
「Pregnant Nude(妊婦のヌード)」(1959)

(図6)
イモージェン・カニンガム
「Triangles.(三角形)」 (1928)

(図7)
イモージェン・カニンガム
「Pregnant Onion(子持ち蘭;オーニソガラム・コーダツム)2」(1934)

(図2)のような大きく重いお腹を抱えていた頃、雑誌などに登場する「マタニティ・フォト」にある種の違和感を持っていた私にとって、自分の身体感覚に近く、見ていて「腑に落ちる」感覚を抱いた写真は、アメリカの写真家イモージン・カニンガム(Imogen Cunningham 1883-1976)が撮影した「妊婦のヌード」(図5)(1959)でした。
イモージン・カニンガムは、20世紀初頭から写真家として活動し、ストレートフォトグラフィを標榜したグループf/64(1932-1935)の創設メンバーの一人として知られています。ポートレート写真やヌード、植物などを精緻に描写し、被写体の造形的な要素を抽出するようなアングルやフレーミングの仕方がカニンガムの作品を特徴づける要素であり、1920年代から女性のヌードを撮影しています。1920年代の代表作「Triangles(三角形)」(図6)は、横から捉えられた女性の胸の三角形、さらにかがむような姿勢によって胸と腕、脚の間にできた三角形を重ね合わせ、身体の姿勢や光の効果が作り出すかたちを捉えています。
カニンガムは1940年代、50年代にかけて妊婦の身体を、いずれも首から上をフレームから外し、お腹や胸のかたちに焦点を合わせるような方法で撮影しています。(図5)では、屋外の自然光のもとでドアを背に立つ妊婦が捉えられており、光と影のコントラストによって、張り出したお腹と胸の立体感が際立っています。ドアの板の縦に連続する四角い形と胸や乳首、お腹の丸い形もまた造形的なコントラストを生み出しており、画面左端のドアノブの大きさに匹敵するほどの乳輪も目を引きます。胸の下から陰毛の近くまで臍の上下に伸びる線は、お腹の丸みだけではなく、胎内から前にせり出してくるような力、はち切れそうな重量感をも感じさせます。(図1)や(図3)のような「マタニティ・ヌード」と見比べてみると、(図5)に描出されている肌や体毛のディテールや、身体の重心がすべてお腹と腰に集中するような重量感こそが、臨月の身体感覚として「腑に落ちる」ものだったのです。また、ファッション雑誌の表紙を飾るような「マタニティ・フォト」には、妊婦の身体の「重量感」を強調するような写真は似つかわしくないのだろうな、とも思い至ります。
カニンガムは植物を撮影した作品を数多く残していますが、その中にも(図5)や(図6)のように身体を捉えた写真にも共通する感覚を見て取ることができます。「Pregnant Onion(子持ち蘭)2」(1934)(図7)は、蘭科の植物が地面から生えている様子を間近に捉え、玉ねぎの形に似た根元を、その丸みや、つやつやとした表皮のディテールとともに精緻に描き出しています。(図5)、(図6)、(図7)と見比べると、カニンガムが一貫して、身体や植物のなかにそれぞれに具わる独自の造形を見いだして、描写し続けてきたことがわかりますし、植物と人間にも通底する、「生命の造形」の力強さにも感じ入らずにはいられません。
(こばやし みか)

小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。
2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。

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