ときの忘れもの ギャラリー 版画
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小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」
第3回 新生児  2013年8月25日
(図1)
ウェイン・ミラー
「息子(David Baker Miller)の誕生」(1946)

出産は、陣痛の痛みも含めかなり強烈で劇的な経験でしたが、育児に追われる日々の経過とともに、出産当時の記憶は大方薄れてしまいました。そもそも、分娩の最中、阿鼻叫喚状態の私は自分が置かれている状況を見るような余裕はなかったですし、自分のお腹の中から子どもが出てきた時やその後に、茫然自失のままに目にした断片的な光景が記憶の片隅に残っている程度です。出産の記憶は、当事者である妊産婦の体感や視点が捉えたものだけはなく、その場に立ち会っていた人の視点からとらえられた写真や映像のような記録によって補完されて形作られるものなのかもしれません。
出産の現場を捉えた写真は、個人的な記録として見られるだけではなく、出版物や展示のような機会をとおして、より広い文脈やストーリーの中で読み取られたり、さまざまな見方や解釈を加えられたりすることもあります。今回はフォトジャーナリズムの領域で活動していたアメリカの写真家が出産の場面をとらえた写真を見ながら、それぞれの撮影の意図や編集の仕方について考えてみたいと思います。

私自身が出産を経験する以前から見て知っていた「出産の場面をとらえた写真」の中でも、強く印象に残っていたものとして(図1)があります。この写真は、ウェイン・ミラー(Wayne Miller 1918-2013)が息子のデイヴィッドの誕生に立ち会い、まさに母親の胎内から出てきた瞬間を撮影したものです。赤ん坊は、産科医(ウェイン・ミラーの実父、すなわち赤ん坊の祖父)に片足を掴まれて逆さ吊りに近い状態になっており、切断される前の臍の緒とともに、ぬるりとした肌の質感が生々しく捉えられています。左側から差し出されている手袋をはめた手とその影や、黒い背景から白衣姿がくっきりと浮かび上がるように捉えられていることから、この写真が至近距離で正面からフラッシュを発光させて撮影されたものであることがわかります。ミラーはこのような撮影技術を、第二次世界大戦期に海軍に従軍し、光源の乏しい戦場で撮影する際に会得したそうです。カメラの前に出現した赤ん坊のインパクトは、母親の身体や足は布に覆われて隠されていることも手伝って、より際立っています。

(図2)
「人間家族」展(1955)カタログ

この写真は、ニューヨーク近代美術館で開催された「The Family of Man(人間家族)」展(1955)に出品され、広く知られることになりました。「人間家族」展は、冷戦時代の真っ只中において「全世界を通じて人間は本質的に一つの家族である」というメッセージを掲げ、結婚、誕生、遊び、家族、死、戦争といったテーマに沿って人類の普遍的な営みをフォトストーリーとして表現した写真展でした。この写真は写真展の導入部分で展示され、展覧会のカタログには、写真の上に「The universe resounds with the joyful cry I am. (我あり、という歓喜の叫びが全世界に響き渡る。)」という、ロシアの作曲家スクリャービンの言葉がキャプションとして添えられています(図2)。つまり、一人の少年の誕生の瞬間をとらえた写真が、このキャプションとともに「人間の誕生」を象徴的に表すものとして読み取られていたのです。
(図2)のように、写真に添えられるキャプションは、写真の読み取り方を方向づける役割を果たし、新聞や雑誌においては、記事の内容や編集方針を明確に反映したキャプションが写真に添えられることになります。フォトジャーナリズムの黄金時代を代表する雑誌として名高いアメリカのグラフ雑誌『LIFE』の創刊号(1936年11月23日刊行)の巻頭見開きには、「LIFE創刊号に寄せて」と題された、編集部から読者に向けられた挨拶として書かれた記事に、出産の場面を捉えた写真が添えられています。医師が片手で新生児の足を掴み、片方の手で首の後ろを支えるようにしている場面が、俯瞰するような視点からとらえらており、写真は右側ページの真ん中に新生児の姿が位置するように配置されています。写真には、「LIFE BEGINS」という大きな見出しが添えられており、「人生が始まる」と「LIFE創刊」の二つの意味が掛け合わされています。つまり、このような写真とキャプション、テキストの組み合わせ方には、写真にとらえられた新生児と同様に、『LIFE』が誕生する瞬間に立ち会った読者に向けて、これから雑誌の成長を見届けて欲しいというメッセージが込められているのです。

(図3)
1936年11月23日
「Introduction to the first issue of LIFE」

第二次世界大戦後のベビーブームの時代(1940年代末から1950年代)を背景として、『LIFE』には出産に関する医療環境や社会的な状況をテーマとしたフォトエッセイが度々掲載されています。写真と文章を組み合わせて数ページを割いて構成されるフォトエッセイは、写真のレイアウトやキャプションの配置の仕方に、読者の関心を惹きつけ、視線を誘導するような編集のテクニックが駆使されています。
写真エージェンシー、マグナムフォトに参加した初めての女性写真家として知られるイヴ・アーノルド(Eve Arnold, 1912-2012)のフォトエッセイ「Baby's momentous first five minutes(赤ん坊の重要な最初の5分間)」(1959年11月16日号掲載)は、新生児が生後5分の間に医師や看護師によって施される処置や、新生児と母親の接触を間近に捉えた写真で構成されています。(図1)や(図3)のような写真に捉えられた出産の場面の前後の状況を、5分間という短い時間の中で繰り広げられるドラマとして展開しています。

(図4)

(図5)

(図6)

(図7)
(図4,5,6,7)「Baby's momentous first five minutes(赤ん坊の重要な最初の5分間)」(1959年11月16日号掲載)

フォトエッセイは、新生児の足の裏にパッドをあてがう写真(図4)で始まり、ベッドに横たわる母親が見つめる中で新生児にほどこされる処置をとらえた写真で構成された見開き(図5)と、身長を計測している場面をとらえた見開き(図6)に続き、最後は新生児の手が母親の人差し指を握りしめている写真(図7)で締めくくられています。
このフォトエッセイを通して強調されているのは、新生児の大きさです。『LIFE』は、1ページの判型が高さ約38.5cm、幅28cmの大判の雑誌で、見開きはその倍の大きさになります。したがって、(図6)の見開きでは、新生児の身長を計測している場面をとらえた写真は、ほぼ新生児の実寸に近い大きさで配置されており、「生後3分後の実寸大ポートレート」という見出しが添えられています。新生児の足を掴んで逆さに吊るすような状態で撮影された写真が反時計回りに90度回転させて掲載され、キャプションも同様の向きで掲載されています。新生児の足を掴んで逆さに吊るすという場面は、(図1)や(図3)にも共通していますが、現在の産科医療の現場では、新生児をこのような方法で逆さ吊りにして扱うことはないそうです。そういった事情を鑑みると、このフォトエッセイは、出産をドラマティックに描き出したものであると同時に、当時の医療のあり方を知る手だてでもあることがわかります。
「赤ん坊の重要な最初の5分間」が、都会の設備の整った清潔な病院での出産を描き出しているのとは対照的に、W.ユージン・スミス(W. Eugene Smith, 1918-1978)はフォトエッセイ「Nurse Midwife(看護師・助産婦)」(1951年12月3日号掲載)の中で、サウスカロライナ州の住人のほとんどを黒人が占める貧困地域で奮闘する看護師、助産婦モード・カレンの仕事ぶりを描き出しています。ユージン・スミスは、地域の貧弱な医療環境や劣悪な衛生・生活環境を描き出すとともに、陣痛にうめく妊産婦の表情にも肉薄しています(図8,9)。
(図9)の左側のページに掲載されている、モード・カレンが赤ん坊を取り上げる様子をとらえた写真(図10)において、ユージン・スミスは暗室作業で光のコントラストを操り、生まれたばかりの赤ん坊を暗闇の中から光の世界へと出てきた存在として、ドラマティックに描き出しています。

(図8)

(図9)
(図8,9)W.ユージン・スミス「Nurse Midwife(看護師・助産婦)」

(図10)
赤ん坊を取り上げるモード・カレン

このように、第二次世界大戦期前後のフォトジャーナリズムの歴史に照らし合わせながら「出産に立ち会って撮影された写真」を拾い集めてみると、出産という個人的な営みに対して向けられる眼差しや、写真が読み取られるコンテクストが、時代や社会の状況を反映しているのを見て取ることができます。「子どもの誕生」は、歴史の中で繰り返されてきた普遍的な事象であるからこそ、その時々に子どもを迎え入れる社会のあり方が写真を通して浮き彫りにされてきた、とも言えるのではないでしょうか。
(こばやし みか)

小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。
2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。

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