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小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」
第9回 ラリー・クラーク「Combing Boy」  2012年1月25日
図1)
ラリー・クラーク Larry CLARK
「タルサ」より Combing Boy
1963年
ゼラチンシルバープリント
20.7x31.2cm
サインあり

三面鏡に向かってブラシで髪を整える青年。至近距離から撮られているのにもかかわらず、逆光で影になった顔の表情は、カメラを意識していないかのようにも見えます。三面鏡の縁で切り取られた胴体や腕の輪郭や、鏡の中に映り込んだ壁や天井により、室内の奥行きが強められています。この写真が収録されている写真集『TULSA』(Lustrum Press, 1971)は、次のような衝撃的な独白で始まります。

「俺は1943年にオクラホマ州タルサで生まれた。16歳の頃にアンフェタミンを打ち始めた。3年もの間、友だちと一緒に毎日打った。それから街を出たが、また戻ってきてしまった。一度針を刺してしまうと、それはもう抜けないのだ。」L.C.

ラリー・クラーク(Larry Clark, 1943-)は独白に記されているような、タルサでの仲間たちとのドラッグ漬けの日々を撮影し、1963年、1968年、1971年の3つの時期に分けて写真集を構成しました。彼の写真は、ドラッグ、暴力、セックス、死にみちた若者たちの日常生活を当事者の視線で生々しく描き出しています。(図1)がそうであるように、その多くは寝室やバスルーム、車の中など、屋内で撮影されていて、タルサという街の様子をつたえるものはほとんど写っていません。しかし、若者たちがリビングルームに集まってドラッグを注射している写真(図2)を見ると、マントルピースの上にイエス・キリストの肖像画が架けられていて、アメリカ内陸部のオクラホマ州の街タルサが、宗教的な保守層の強い地域であることをうかがわます。若者たちは、このような抑圧的な地域の風土に反発し、あるいは逃れるために、ドラッグにのめり込んでいったのかもしれません。

(図2)

(図3)

(図1)の写真は、写真集の導入部分にあたる、仲間たちを間近に捉えた四点の写真で構成された見開きのページ(図3)の中に含まれています。被写体になった青年たちはいずれも逆光や薄暗い光のもとで撮影されており、物思いに沈んでいたり、苛立っていたりするような表情を浮かべています。また、誰もカメラの方に視線を向けていないこともあって、映画の中の場面を彷彿とさせたりもします。
(図3)のページの右上の写真で、割れたガラス越しに写っている青年は、写真集の表紙(図4)にも使われている、上半身裸でベッドの上に座り、ピストルを構えている青年と同一人物です。写真集の中でこの写真が掲載されたページでは、dead 1970(1970年他界)というキャプションとともに、「死は生よりも完璧だ」という一文が添えられ、ドラッグ漬けの若者が迎えた悲惨な結末が示唆されています。

(図4)
『TULSA』表紙

冒頭の独白の「一度針を刺してしまうと、それはもう抜けないのだ。」という言葉通り、『TULSA』の全体を通じて繰り返されるのは、若者たちが腕や脚にドラッグの注射針を刺している場面であり、ドラッグ中毒に陥った若者たちのセックスや暴力的な状況が生々しく描き出されています。写真集の最後のページは、伸ばした左腕に注射の針を刺す場面を捉えた写真で締めくくられています(図5)。また、写真集の終盤近くに掲載されている、出産を間近に控えた妊婦が、窓際の椅子に腰かけ、自分の腕に注射を打っている様子を捉えた写真(図6)は、窓から差し込む光の効果も相まって、強烈なインパクトを具えています。

(図5)
1971年

(図6)
ラリー・クラーク Larry CLARK
「タルサ」より Pregnant woman
1971年
ゼラチンシルバープリント
20.6x31.1cm
サインあり

『TULSA』は、ドラッグにまつわる状況を糾弾したり、解決すべき社会問題として提示したりするのではなく、ラリー・クラークが閉ざされた室内に籠もるドラッグ中毒の若者の一人として、当事者の生活をパーソナルな視点で虚飾なく捉えた写真をまとめたものです。描き出された数々の衝撃的な場面とともに印象に残るのは、部屋に差し込み、若者たちを照らす光であり、彼らが抱える苦悩や絶望感を際立たせるような酷薄さを帯びています。(図7)

(図7)
『TULSA』より

『TULSA』を、同時代のアメリカン・ニューシネマを代表する映画『イージー・ライダー』(1969年 デニス・ホッパー監督)と併せて見ると、当時のドラッグ・カルチャーやアメリカ内陸部の閉塞感を多面的に理解することができるのではないでしょうか。
(こばやし みか)

小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。
2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。

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