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中川美香のエッセイ

◆第206回 第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙 2011年9月9日[金]―9月17日[土]


浅野智子さんの連載エッセイ「瑛九の型紙考」に続き、宮崎日日新聞文化部デスク中川美香さんの「瑛九の追っかけの記」を全3回掲載します。 宮崎日日新聞は瑛九の故郷宮崎で精力的な瑛九キャンペーンを繰り広げています。


■中川美香 Mika NAKAGAWA
宮崎県都城市生まれ。都城西高、神戸市外国語大学卒。1993年、宮崎日日新聞社(宮崎市)に入社し、報道部、日南支社、文化部に勤務。2005年から在籍する文化部では美術、音楽、芸能、読書、医療、子育てなどさまざまな担当を受け持つ。これまでに「土呂久からアジアへ(鉱害告発30年)」(3部作)、「埋もれたSOS〜都城わが子殺害の衝撃」などを連載。美術関連では「美巡る 宮日美展60年を迎えて」、「総選挙・問われる現代像 宮崎・表現者からの視点」などの連載に携わった。「瑛九 光の冒険」ではデスク兼ライター。
著書に「ハローベイビーズ! 双子育児で見えたもの」(宮崎日日新聞社発行、問い合わせ=宮日文化情報センター?0985〜27〜4737)。自身の双子出産を機に、周産期医療の現場や現代の育児事情などを取材し100回以上続けた連載を単行本化した。現在、日本多胎支援協会「虐待防止のための連携型多胎支援事業」推進委員なども務める。


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中川美香のエッセイ「瑛九を追って」
第1回 「かくれんぼ」  2011年9月11日
 出身地の都城市は鹿児島県に隣接しており、宮崎県出身と言っても県庁所在地の宮崎市になじみがないまま大人になった。そのためか、宮崎市出身の画家瑛九のことはほとんど知らなかった。
 宮崎日日新聞社に入社し、報道部にいたころ、展覧会などの取材で「郷土画家瑛九」という枕ことばを何度か使った気はするけれど、鮮明な記憶はない。2005年から文化部に移り、担当の一つが美術になってしばらくたったころからだ。なぜか妙に、「瑛九」が気になりだしたのは。
 地元、宮崎県立美術館所蔵の瑛九作品は油彩、フォト・デッサンなど約千点。全国でもダントツに多く、年間を通してさまざまな角度からコレクション展を開催している。しかし、その"熱意"に比較して、市井の人々の話題に上ることは少ないように感じた。美術館の中だけで完結しているというか、「美術館の中に生きている」というべきか、そんな印象を抱くようになった。

 ただ、この人はどうして「瑛九」なんて変わった名前を用いたんだろうとか、縁の太い眼鏡の奥にある瞳は大まじめに何を見詰めていたのだろうかと、徐々に頭の中にクエスチョンマークが増えてきた。後世の評価より、この人自身が何を見て、何を感じ、どんな道を歩いてきたのだろうかという興味にとらわれ始めた。
 そのうち没後50年(2010年)、生誕100年(2011年)という節目の年が視野に入ってきた。今なら企画が通る! まだ漠然としていた瑛九像だったけれど、何とか企画書を仕上げて上司に仰ぐと、幸せなことに「宮崎日日新聞創刊70周年企画」として展開できることになった。終わった今考えても、それは本当に幸せなことだった。取材班は全国各地に何度も足を延ばせたのだから。 

 ただし、簡単な道ではなかった。疑問に浮かんだことを次々と取材して全体像を描き、伝えるべき本質をその中から見抜いて書く。記事、特に連載企画などはこういうプロセスで書き進めていくのだが、瑛九の場合、それが困難だった。それは、彼に魅了された学芸員、研究者たちも口をそろえるところだ。
 油彩、フォト・デッサン、エッチング、リトグラフ…。表現の舞台を一カ所に決めて安住しようとはせず、次々と新たな光に向かって駆けだす瑛九。評論、俳句、静坐、エスペラント語…とさまざまな活動にも熱を上げた。実生活も宮崎を飛び出し、東京、大阪、福井…と各地で風を起こした。当時の画壇を痛烈に批判しデモクラート美術協会という新しい団体をつくった。と思えば、解散して1人、キャンバスにただただ向き合う日々。短い48年の生涯を目いっぱい使い、動き回っているのでなかなか全体像がつかめないのだ。
 連載にゴーサインを出してくれた当時の部長は、後に1面コラムでこう書いている。「多面体の入れ子のようだ。(中略)理解が進んだと思ったらまた謎が深まる不思議な存在」(2010年10月22日付け「くろしお」)。本当にこの通り。取材中、瑛九がひょっこり目の前に現れたと思うくらい間近に迫れることがあったかと思うと、すぐさま舌を出して逃げてしまう…。瑛九と草むらでかくれんぼをしているような感覚も抱いた。
 ただ、この直感だけは信じた。美術館に飾られているまばゆいばかりの点描が、こう言った気がしていたのだ。「外へ外へ」。どんどん出ていこう、どんどん追いかけようと思った。駆け足で次の場所に移動してしまう、その背中を見失わないように。
(なかがわみか)

瑛九
「フォトデッサン型紙2」
切り抜き・印画紙
12.6x4.7cm

瑛九
「フォトデッサン型紙10」
切り抜き・厚紙
12.0x16.0cm

瑛九
「フォトデッサン型紙14」
切り抜き・印画紙
9.8x6.2cm

瑛九
「フォトデッサン型紙16」
切り抜き・印画紙
30.4x25.3cm
"Q Ei"と鉛筆サインあり

瑛九
「フォトデッサン型紙17」
1937年
切り抜き・印画紙
30.2x25.2cm
"Q Ei/37"と鉛筆サインあり


第2回 「掲載数100回超」  2011年9月12日
 2010年1月から年間企画を展開することが決まり、取材班を組んだ。メンバーは3人。1人は美術担当として経験が豊富で、視野が広く、気が付けば海外に飛び出ている国際派。1人は静かにじっくり活字の海を深く潜っていく文学青年。いわば1人は横に、1人は縦に移動していくタイプで、時空を超えて対象に迫るのに素晴らしい同僚を得た。
 デスク兼ライターの私を含め、3人の共通項は「旅好き」ということ。何が起こるか分からない状況も楽しめ、失敗も笑い話にできる点で一致しているので、苦労が予想される今回の連載がどうなろうとも気を遣わないでいい。精神的にとても楽だった。
 これに多くの写真記者が加わった。中心的に動いてくれた記者が「何でも来い!」と真っ向勝負してくれる人だったので、連載で出てくる抽象的概念も見事に表現してくれた。企画タイトルを決めようと誰より張り切ってくれた部長、先の見えない船出を見守ってくれた編集幹部を含め本当に体制に恵まれた。身内話だがこの場を借りお礼を言いたい。

 瑛九好きの方なら分かると思うが、それくらいしっかり体制を整えなければ彼をつかまえることはできない。もちろん今もつかまえられたとは思っていない。が、始動を前に足場を固めておくことは大事な仕事だった。
 そうして始まったのがシリーズ「瑛九 光の冒険」だ。第1部「今に生きる」は番外編含め9回。瑛九関連の企画展は没年から現在まで、毎年のように全国どこかの美術館や画廊で開かれている。「瑛九ほど学芸員に愛されている画家はいないのでは」と評する声もあるほどの魅力。
 東京国立近代美術館(東京)、国立国際美術館(大阪)など各地の学芸員、画廊経営者やコレクター、共に活動した版画家ら、時間が許す限り関係者に会いに行き、何に魅了されているのかを探った。偶然にもこの時期、筑波大で「瑛九作品をめぐるワークショップ」が開かれたので、その様子も加えた。若い研究者たちが懸命に瑛九に食らいつき、発表している姿を見て、瑛九はまだ生きているんだという実感を持てたのが大収穫だった。
 第2部「自由を求めて」は26回。「瑛九 評伝と作品」(山田光春著)や関連図書を読み込み、関係者の肉声を交えて足跡を紹介した。記者の1人が初回に書いた「『瑛九さんに会いたい』。恋するような気持ちで、48年の生涯をたどる」という文の通り、どこかの曲がり角で瑛九に会えないかキョロキョロする感覚で取材を続けていたころが懐かしい。

 第3部「温もりの記憶」では同時代を生きた人たちそれぞれの心の中にある瑛九像を描いた。番外編含め10回。第4部「点描のヒミツ」は瑛九が晩年、なぜ点を打ち続けたのかその謎に迫った。計6回。学芸員や画家、大学教授らに見解を聞いた。締めくくりには取材班各自の、素人ならではの自由奔放な“推察”を掲載。これが生誕100年記念の「瑛九展 輝き続ける自由の魂」(宮崎県立美術館、埼玉県立近代美術館、うらわ美術館で開催)の図録で「参考文献」に挙げられていたのを知り、冷や汗が出た。
 最終章の第5部「語りかけるもの」は7回。研究や作品保存の現状や課題とともに、瑛九が現代に何を語りかけているか、若き芸術家らに話を聞いた。年間を通し、靉嘔、細江英公、玉井瑞夫、福島辰夫、瀬木慎一、本江邦夫さんら、宮崎の地方紙記者ではなかなかお会いする機会のない芸術家、評論家の方々の話を聞けたのも、瑛九のおかげだろう。
 ほかにも新聞1ページ、または2ページを丸ごと使った特集を4回。極めて珍しいポスター作品や下書きが見つかったという記事などで1面トップも3回飾った。関連記事含め掲載は100回以上。まさかこんな数になろうとは…。周囲からは、取り憑かれているように見えているかもしれない。
(なかがわみか)

瑛九
「フォトデッサン型紙19」
切り抜き・印画紙
25.2x30.3cm
"Q Ei"とペンサインあり

瑛九
「フォトデッサン型紙20」
切り抜き・印画紙
30.2x25.2cm
"Q Ei"とペンサインあり

瑛九
「フォトデッサン型紙23」
切り抜き・印画紙
30.2x25.2cm
"Q Ei"とペンサインあり

瑛九
「フォトデッサン型紙24」
切り抜き・印画紙
30.2x25.2cm
"Q Ei"とペンサインあり

瑛九
「フォトデッサン型紙30」
切り抜き・厚紙
38.2x53.9cm


第3回 「新しい風」  2011年9月13日
 瑛九は没して半世紀。生前に会ったことのある人々の証言をまとめて残す機会としては最後になるかもしれない。できるだけ多くの人に会おう。今回の企画にはこんな“ミッション”もあった。実際、お話を聞きたいと考えていた評論家の針生一郎さん、元現代歌人協会理事長の加藤克巳さんら数人が、企画開始後にお亡くなりになった。取材班はほかの担当も複数持っているため、思うようには時間がつくれず、焦りの中での取材となった。
 そんな中でも、ある若き研究者に出会えたことが私たちの幸せとなった。
 彼女は埼玉県に住み、アルバイトを掛け持ちして瑛九研究を続けている20代。中学時代、埼玉ゆかりの画家として美術資料集に登場していた瑛九に関心を持ち、大学の卒業論文で瑛九の「光」を題材にした。「作品、思想などを調べるうちにのめり込んでしまった」という。最近は特に晩年の活動や交流関係の見直しに没頭。「あまり明らかになっていない埼玉での足跡を補足できたら役立つかな」と実に謙虚な姿勢で研究に臨んでいる。
 芸術大出身ではなく、所属する研究機関があるわけでもない。ただひた向きに、個人で瑛九を追いかけている彼女。世紀が変わった。時代背景や価値観も変わった。なのに、没して半世紀経っても誰かにひた向きに追いかけられている瑛九は何て幸せ者なんだろうと思った。そう、瑛九は幸せな画家なのだ。

 今年になってからも、宮崎日日新聞文化面では2本の連載を展開した。一つは、県内外の芸術家や画廊関係者らに自由に書いてもらった「寄稿シリーズ 私と瑛九」(10回)。普段は瑛九について語ることのない方々にも依頼。ある画家は最晩年作「つばさ」と向き合い、「『個』とは『繋がり』とは何か。どうあるべきか」などと考察を深めた。ある造形作家は「手放しに高い評価をしていないところが私の中にはある」と遠慮なく所感を述べた。瑛九を取り巻く世界に、新鮮な風が入ってきた気がした。
 もう一つは兄の杉田正臣宛てに出した書簡から、彼の家族への思いなどを拾い出した「兄へ〜瑛九の手紙」(6回)。実は宮崎県立図書館にはエスペラント語による瑛九直筆の書簡が59通眠っていて、これらの翻訳を宮崎エスペラント会会員に依頼した。何かの謎を解き明かすような記述がないだろうか−と野心もあっての依頼だったが、ガツンとやられた。瑛九の純粋さに。
 「自分があなたの寛大な兄弟愛を受けるにふさわしくないことは分かっています。私の働きを通じて、ふさわしくなりたいと望み、期待しています」…。妻の看護を献身的に行っている様子など暮らしの描写もふんだん。現実の大変さに触れつつも、「人生の困難はいつものように私を鼓舞します」と生活を“生きていることを実感できる大切な糧”として慈しんでいた姿がはっきり浮かんできた。

 「瑛九は現実主義者で、生活の中から自分のイメージを見いだし、膨らませていた。抽象、そして光は瑛九にとってリアリズムの追求だった。私は、彼が何を見ていたのかが知りたいんです」
 以前、そう語っていたのが前述の埼玉の女性研究者だ。埋もれている資料を掘り起こし、新たな人材が考察を加えていけば、思わぬ角度から瑛九が求めていたものに少しでも近付けるのではないか。これまで耕されてきた研究の土壌に意識的に風を巻き起こしていけば、さすがの瑛九も驚いて顔を出すのではないか――。
 連載を終え、瑛九の何がつかめたかと問われても即答はできない。彼の言葉を借りると、瑛九の周囲を「ぐるぐるまわっている」だけだったかもしれない。ただ、彼と一緒に自由に飛び回る「冒険」は楽しかった。そして宮崎県立美術館に戻って作品を眺めると、瑛九はニヤリと笑い、昔着ていた黒マントを翻しながら軽やかに光の中に消えていった。
(なかがわみか)

瑛九
「フォトデッサン型紙25」
切り抜き・印画紙
18.6x28.9cm

瑛九
「フォトデッサン型紙26」
切り抜き・印画紙
13.2x28.2cm

瑛九
「フォトデッサン型紙34」
切り抜き・印画紙
55.8x45.5cm

瑛九
「フォトデッサン型紙39」
切り抜き・厚紙
52.5x34.8cm

瑛九
「フォトデッサン型紙42」
切り抜き・印画紙
55.6x45.7cm
"Q"とペンサインあり

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