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尾形一郎・尾形優のエッセイ「ナミビア」
第2回 アフリカのドイツ  2011年3月25日


 アフリカ大陸の南西の端には、人を寄せ付けない砂漠が広がっている。月面のようにひたすら何もない広い国土を移動する手段はもっぱらセスナだ。
 海岸線に沿って飛ぶと、眼下に大型船の残骸が見える。これらは喜望峰を目指しながら、荒れた海で難破し砂漠に飲み込まれた船だ。一番大きいのは1909年に濃霧で座礁したドイツの貨客船エドアルト・ボーレン。100年の歳月にも関わらず、地平線まで続く砂漠にくっきりと恐竜のように横たわっている。乗客たちはこの砂漠から脱出できたのだろうか。
 ナミビアの砂漠地帯は、地球の原始の姿が残された場所といわれている。白や赤、黒、緑などのいろいろな色の岩石と、風や磁力によって混じわったその粒子による砂丘が、月面を想像させるような荒涼とした風景を作っている。
 強風によって砂丘は1日に60キロも移動することがあるといい、鉄道や道路はたびたび砂丘によって寸断されてしまう。
 僅かな先住民と鹿などの動物が暮らす砂漠に、19世紀の末にドイツの人たちが入植した。広大なアフリカ大陸も、植民地としておいしい場所はすでにイギリスやフランスなど先行する帝国に握られており、遅れをとったドイツ帝国に残されていたのは何もない荒涼とした砂漠だった。
 ドイツは1884年に港町ルーデリッツを中心としたドイツ領南西アフリカを成立させ、内陸部に鉄道網を築くための工事を始める。そして1908年4月、ルーデリッツの内陸部の鉄道工事現場で光る石が発見される。それがダイヤモンド原石であることが確認されると、何も無かったはずの砂漠に一躍一攫千金を夢見る人々が押し寄せた。
 そんなダイヤモンド・ラッシュの中、1908年の9月にドイツ植民地政府はダイヤモンドを含むと考えられるすべての地域を立ち入り禁止地帯として規制し、許可証なしでは入域できないようにした。それは、現在もナミビア政府とデビアスに引き継がれている。
 当時を記す初期の文書には、満月の光のもとでかすかに光るダイヤモンド探すために、砂漠の上をうつ伏せに這っている男たちが列をなしている姿が記録されている。現在もポモナの鉱山跡で選別に使ったふるいの残骸とダイヤモンドを掘ったあとの無数の砂山を見ることができる。
(おがたいちろう・おがたゆう)

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