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尾形一郎・尾形優のエッセイ「ナミビア」
第6回 人間のいた時間  2011年5月25日


 コルマンスコップの町のはずれに子供たちのいた痕跡が残っていた。小学校の跡だ。倒れかけた優雅な扉をくぐって中に入ると、暗闇の中に板張りの大きな教室が見えた。さらに、ガラスの割れた扉を開けると暗くて長い廊下に出た。ヒューヒューという、砂を伴った風の音を聞いていたら、子供の頃「漂流教室」という漫画があったのを思い出した。
ある日授業を受けていると、突然、学校が人類の終った異次元の砂漠にワープしてしまうという刺激的な内容だったが、ここではそれが不思議に思えない。もしかすると近未来の私たちの町の姿も、こことあまりかけ離れていないのかもしれない。
 以前、メキシコの先住民が自分の町にある銀鉱山を批判して、山を掘りかえすようなことをしてはならない、という祖先からの言い伝えを訴えている場面をテレビ番組で見たことがある。アフリカの先住民から見ても同様に、鉱物を選別して富を得ていくという科学技術や資本主義といったシステムは異質なものであったろう。
 かくして、アフリカの砂漠にも西洋文明はやってきた。私たちの目の前を漂流するものたちは、近代人が砂漠に持ち込んだものだ。この姿は、地球の長い時間の中で、人間のいた時間の短さを見せつけている。人間の欲望が作り上げた室内に、自然の力がなだれ込んで神秘的な空間が生まれている。扉の向こうにあの世が見えるような。
 私はこのような、自然の力が作り上げた室内の砂丘を見ていると、生まれ故郷の京都の禅庭を重ね合わせてしまう。母の実家から程近い銀閣寺に子供の頃よく訪れた。大きく崩れそうでありながら、かっちりと切り取られたような石庭の表現を見るのが好きだった。人工と自然の衝突というか、箱庭的な感じがナミビアと同じだ。
 私の妻は、ナミビアの家の中にいると、遠い記憶を呼び起こされるような懐かしい感じがするという。妻は幼少期をドイツのデュッセルドルフで過ごしている。
 京都の石庭とドイツの家、ナミビアのゴーストタウンの風景は二人の原風景が重なっている場所なのだ。
(おがたいちろう・おがたゆう)

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