「新発見の瑛九のフォト・コラージュについて」

大谷省吾(東京国立近代美術館副館長)  2022年

 

はじめに
 瑛九(本名・杉田秀夫、1911-1960)は、1930年代から50年代にかけて、油彩、フォト・デッサン、エッチング、リトグラフなど、さまざまな技法を駆使しながら、豊饒なイメージを生み出した芸術家である。今回の展示は、その多彩な作品群の中から、フォト・コラージュとフォト・デッサンに焦点を当てたものだが、実はこれらの作品は、瑛九の郷里、宮崎県の年少の友人、湯浅英夫がまとめて所蔵していたものであり、最近までその存在は知られていなかった。2021年の「生誕110年 瑛九展」(宮崎県立美術館)で初めて公開されたものである。本稿では、このうち、とくにフォト・コラージュについて詳しく考察したい。

暗闇に浮かぶ謎めいた物体
 今回展示される11点のフォト・コラージュのうち、黒い台紙の作品が1点だけあるが、瑛九は第1回自由美術家協会展(1937年7月10日~19日)にこれと同じ傾向の作品5点を《レアル》と題して発表したことが知られている。
 この1937年は、日本の前衛美術運動の歴史において特筆すべき年である。6月に美術評論家で詩人の瀧口修造と山中散生が、フランスのブルトンやエリュアールらとの交流に基づき「海外超現実主義作品展」を実現させた。一方で上述の瑛九が参加した自由美術家協会は、抽象絵画を推進する長谷川三郎を中心に結成された団体である。雑誌『アトリヱ』6月号は「前衛絵画の研究と批判」を特集し、瑛九の作品が表紙を飾った。その後も、8月に福沢一郎による『シュールレアリズム』、9月に長谷川三郎による『アブストラクトアート』が相次いで刊行されるなど、二つの傾向を軸としながら、この年に日本の前衛美術運動は大きな高揚を迎えたのである。一方、自由美術家協会展とほぼ時を同じくして勃発した日中戦争はその後泥沼化してゆき、それとともに前衛美術運動は抑圧されていくことになるから、この年は歴史の転換点でもあった。
今回展示されるcat.no.1の作品や、第1回自由美術家協会展に出品された《レアル》は、黒い台紙が支持体となっているため、謎めいた物体が暗闇に浮かんでいるように見える。では、謎の物体の正体は何か。近づいてよく見ると、この物体は映画雑誌やファッション雑誌に掲載された女優やモデルの写真から、額と髪の毛の生え際、頬、首などが切り抜かれ、寄せ集められたものであることがわかる。一方で、その人物の個性を示す目や口などは、あえて除去されている。cat.no.1の作品では、肉塊の右下のほうに目や口のパーツも認められるのだが、しかし通常の顔とは全く異なる配置にあるため、やはり全体としては、謎めいた不気味な物体としか言いようがない。
 これら黒い台紙のフォト・コラージュは、1937年に集中して制作されているのだが、この前年の1936年、彼は「フォト・デッサン」という新しい技法を生み出し、それまでの杉田秀夫という本名から「瑛九」という新しい名前に変え、画壇に本格的にデビューしていた。
「フォト・デッサン」の原理は、モホイ=ナジのフォトグラムやマン・レイのレイヨグラムと同じく、さまざまな物体を印画紙の上に置いて感光させ、物体のシルエットを定着させるものだが、瑛九は既存の物体だけでなく、自身のドローイングを切り抜いて型紙として併用することで、夢と現実が交錯するような特異なイメージを獲得することに成功していた。しかし批評家たちはモホイ=ナジやマン・レイの技法との類似を指摘するばかりで、そこで瑛九が表現したかったことには一切、踏み込んで論じようとしなかった。そうした、既成の枠組みに依拠して安易にものごとを片づけようとする批評家たちに、瑛九は強い不信の念を抱くことになる。瑛九が第1回自由美術家協会展に出品したフォト・コラージュ連作はいわば、そうした批評家たちへの反撃として生み出されたものと解釈できる(1)。瑛九は次のように書いている。「現実を安価に理解して公式的にかたづけて現実を見失つてゐることと現実とは断じて同一ではない」(2)。批評家たちが理知的と思い込んでいる方法では現実は捉えきれないのだということを示すために、瑛九は理性の窓ともいうべき目を欠いた、名づけがたい肉塊を暗闇に浮かばせ、それにあえて「レアル」と題したのだろう。

構成への意志
 以上に確認したような、cat.no.1のフォト・コラージュや、第1回自由美術家協会展に発表された《レアル》連作が、いずれも反理知的性格を強く有しているのに対して、このたび新たに発見されたコラージュの多くは大きくその性質を異にしているようにみえる。上述のcat.no.1を除くと、台紙は暗闇を表す黒ではなく、ニュートラルな白である。そして構成の仕方に、大きく分けて2つの傾向が認められる。ひとつは個々のイメージがはっきり何であるかがわかりやすく、それらを画面上にどのように構成するかに意が注がれているもの(cat.nos.2, 4, 5, 6, 7, 8)、そしてもうひとつは、個々のイメージがより断片的であり、それらが画面上にオール・オーヴァーに散りばめられているもの(cat.nos.3, 10, 11)である。cat.no.9は両者の中間に位置づけられるようにみえる。
 前者のうち典型的なのがcat.no.4の作品である。垂直と水平、そして斜め45°の形態の組み合わせによって画面全体の構築性が明確に意識されている。そして、古代ギリシア・ローマの円柱のイメージと、近代的な鉄骨建築のイメージが重ね合わされている点にも注意したい。これらのイメージは新旧の対比であると同時に、オザンファンとジャンヌレ(ル・コルビュジエ)が、『エスプリ・ヌーヴォー』誌上で試みたような、数学的秩序によって古典と近代に共通の美を認めようとする態度をも想起させる。同様の対比はcat.no.6の作品にも認められるが、こちらではさらに流行の衣装をまとう女性のイメージが組み合わされており、ここでの女性はその容貌が解体されていない。いわば、黒い台紙を用いた彼のフォト・コラージュとは正反対の性質をもつ作品といってよい。
 cat.no.5の作品では、画面のあちこちに柵や格子戸、割れたガラス窓のイメージが配され、その格子戸のひとつに目がコラージュされている。つまり、画面をひとつの境界として、向こう側とこちら側とを隔てるイメージが繰り返され、そのひとつの窓からこちら側に視線が向けられる構図となっており、これもきわめて計算された画面構成であることがわかる。
さらにcat.no.8の作品は、建物や人物の反復的配置に、バウハウスの作家モホイ=ナジの「フォト・プラスティック」の考え方との類似が認められる。ここでは渾沌よりもリズミカルな構成が指向されている。瑛九は、まだ本名の杉田秀夫を名乗っていた1930~1932年に、雑誌『フォトタイムス』誌上で写真論を執筆していたが、この頃の彼はフォトグラムを試みるとともに、新興写真の旗手であった堀野正雄(1907-1998)による機械美をとらえた写真に関心を示していたから(3)、本作もそうした関心がまだ残存している時期の制作であるかもしれない。さらに古賀春江(1895-1933)への関心も、これらのフォト・コラージュに反映されている可能性もあろう(4)。古賀もまたバウハウス的な要素とシュルレアリスム的な要素を共存させながら、機械とモダンガールを組み合わせた幻想的な絵画を描いた画家であった。これらのフォト・コラージュには年記が入っておらず、制作年については慎重な検討が必要であるけれども、少なくとも黒い台紙を用いたフォト・コラージュより前に、異なる考え方のもとで制作されたものと考えるべきだろう。

乱反射する現実の断片
 一方、cat.nos.3, 10, 11の作品では、切り抜かれた個々のイメージはひじょうに断片的であり、もともと何のイメージだったかわかりにくい。cat.no.3 の作品における縞模様のイメージは、その一部にスキーヤーの姿をかろうじて認めることができるので、雪山の写真を切り抜いたものとわかるが、あまりに細分化されているため、雪山という意味を失い、同じ画面内に配されている網目のイメージとほぼ等価の、単なる模様としての効果を求められるのみの存在となっている。そして、個々のイメージがあまりに断片化され、画面内にオール・オーヴァーに貼り付けられているため(とくにcat.no.10は中心から四方にイメージが放射状に散らばるように配置されている)、作品の天地がはっきりしない(5)。現在採用されている画面の向きはあくまで暫定的なものだ。
 しかしながら瑛九の他の作品、とりわけフォト・デッサンでも、しばしば天地の判断が難しいことを思い出したい。暗室の中で水平に置かれた印画紙の上に物や型紙を置いて感光させるフォト・デッサンは、制作時点でそもそも天地が曖昧であり(6)、彼の代表作『眠りの理由』でさえも、明確に天地が定まっていない(7)。それと同様に、こうしたフォト・コラージュにおいても、天地を決めつけること自体がナンセンスなのかもしれない。むしろ瑛九はこうした一連の作品において、私たちを取り巻く現実の360°全方位を意識していて、その空間全体に乱反射するイメージを捉えようとしていると考えることもできるだろう。そこで想起されるのは、彼の最晩年の点描による一連の油彩画である。これらの作品はやはりオール・オーヴァーに点で埋め尽くされていて、天地の判別のしがたいものが多い。最晩年の瑛九は、そうした点描作品を、見る者を取り囲むように配して陽光の下で見ることを理想としたという(8)。今回展示されるオール・オーヴァーに貼られたフォト・コラージュにも、そうした考え方の萌芽を認めるべきかもしれない。彼は、さまざまにスタイルや技法を変えながらも、常に光を媒介としながら生命の根源に触れようとしていたのではないか。その光のヴィジョンこそが彼にとっての「レアル」だったのではないか。

おわりに
 このたび紹介される11点のフォト・コラージュは、これまで知られていた彼のフォト・コラージュとは異なる傾向のものも含むが、しかしここまで見てきたように、それは必ずしも従来の瑛九像を否定するものではなく、むしろ試行錯誤を経ながら探求を続けた彼について、より深く知る契機をもたらしてくれるように思われる。彼がいみじくも書いているように「現実を安価に理解して公式的にかたづけて」はならない。複雑な存在である彼の歩みを、単純化することなく丁寧に跡づけていくことの必要性を、あらためて知らせてくれる作例なのである。
おおたに しょうご


(1)大谷省吾「闇の中で「レアル」をさがす-山田光春旧蔵資料から読み解く1935-1937年の瑛九」『瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす』展図録、東京国立近代美術館、2016年11月、pp.6-17
(2)瑛九「現実について」『アトリヱ』14巻6号、1937年6月、p.71
(3)杉田秀夫「写壇批判について」『フォトタイムス』8巻1号、1931年1月、p.143
(4)瑛九と称するようになる直前の1936年1月に、杉田秀夫は友人の画家、山田光春に古賀春江画集を貸してほしいと手紙を送っている。山田光春『瑛九 評伝と作品』青龍洞、76年6月、p.119
(5)cat.no.9の作品は放射状の構成という点でcat.no.10に類似するが、画面中央に配された東大寺戒壇院四天王(持国天像)の邪鬼の向きによって、画面の天地の判断が可能である。またcat.no.2の、男の顔と組み合わされている人体はエドワード・ウェストンの《ヌード》(1936年)をコラージュしたものであることが判明した。男の顔とヌードは上下が逆に組み合わされており、これも現状の天地はあくまで推測による暫定的なものである。
(6)梅津元「浮遊する視覚―フォトグラムをめぐって」『光の化石 瑛九とフォトグラムの世界』展図録、埼玉県立近代美術館、1997年6月、p.12
(7)10点のフォト・デッサン複製を収録した作品集『眠りの理由』は限定40部で刊行された。現存するいくつかのエディションには、各作品の裏面に瑛九自身による「QEi」のスタンプが押されているが、エディションによってスタンプの向きが異なる場合があり、作者本人もケースバイケースで向きを変えていた可能性がある。
(8)木水育男「ぼくは瑛九が好きです。」『現代美術の父 瑛九展』図録、小田急グランドギャラリー、1979年6月


01_collage_001_31.2x25.7cmNo.1 瑛九
題不詳 Title Unknown
1937
フォト・コラージュ Photo collage
16.0×17.0cm/31.2×25.7cm
裏にサインと年記あり
Signed and dated on the back

02_collage_002_38.2x27.2cmNo.2 瑛九
題不詳 Title Unknown
フォト・コラージュ Photo collage
27.3×18.5cm/38.2×27.2cm

03_collage_003_36.4x25.8cmNo.3 瑛九
題不詳 Title Unknown
フォト・コラージュ Photo collage
25.8×35.5cm/25.8×36.4cm

04_collage_004_27.0x37.9cmNo.4 瑛九
題不詳 Title Unknown
フォト・コラージュ Photo collage
27.0×37.9cm/27.0×37.9cm

05_collage_005_27.2x38.2cmNo.5 瑛九
題不詳 Title Unknown
フォト・コラージュ Photo collage
27.2×38.2cm/27.2×38.2cm

06_collage_006_27.1x38.0cmNo.6 瑛九
題不詳 Title Unknown
フォト・コラージュ Photo collage
27.1×38.0cm/27.1×38.0cm

07_collage_007_26.0x36.4cmNo.7 瑛九
7 題不詳 Title Unknown
フォト・コラージュ Photo collage
26.0×33.3cm/26.0×36.4cm

08_collage_008_36.4x25.8cmNo.8 瑛九
題不詳 Title Unknown
フォト・コラージュ Photo collage
36.4×25.8cm/36.4×25.8cm

09_collage_009_36.2x25.8cmNo.9 瑛九
 題不詳 Title Unknown
フォト・コラージュ Photo collage
35.0×25.2cm/36.2×25.8cm

10_collage_010_25.7x36.2cmNo.10 瑛九
題不詳 Title Unknown
フォト・コラージュPhoto collage
36.2×25.7cm/36.2×25.7m

11_collage_011_25.8x36.2cmNo.11 瑛九
題不詳 Title Unknown
フォト・コラージュ Photo collage
35.5×25.0cm/36.2×25.8cm

 

大谷省吾(おおたにしょうご)
1969年茨城県生まれ。筑波大学大学院博士課程芸術学研究科中退。1994年より東京国立近代美術館に勤務。現在、同館美術課長。博士(芸術学)。「北脇昇展」(1997年)、「地平線の夢 昭和10年代の幻想絵画」(2003年)、「生誕100年 靉光展」(2007年)、「麻生三郎展」(2010年)、「生誕100年 岡本太郎展」(2011年)、「瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす」(2016年)、「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」(2019年)などを企画。著書『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画 一九二八-一九五三』(2016年 国書刊行会)。

 

「第32回 瑛九展」図録


会場=Art Basel Miami Beach 2022
会期=2022年11月29日(火)~12月3日(土)
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館美術副館長)
図版:20点
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
翻訳:小川紀久子、新澤悠(ときの忘れもの)、勝見美生(ときの忘れもの)
海外における瑛九の第2回個展『第32回 瑛九展』のカタログ。全文日英2か国語。