ギャラリー新人日記 2005年8月

ギャラリー新人日記 8月31日

14時から、磯崎新連刊画文集「百二十の見えない都市」の未完成版画の原版に磯崎新先生が手を加える作業を行なうため、刷り師の白井さんと伺った。
先生の自宅の書斎に通された。そこは、クラシックのBGMが似合う空間。
早速デッサンが始まった。姿勢の良い磯崎先生は、12都市全体のバランスや、和紙の上にどのように配置するかを考慮し、トレーシングペーパーの上に描き足していく。作家、磯崎新の顔だった。万年筆や墨汁を使い黙々と、手が止まることなく全体を把握しながら描き加え、思考と手の意気がピッタリ合っているという感じだった。次から次へと出される銅版には、白井さんと版画の技法を相談し、ソフトグランドという技法で指や脱脂綿で手を加えられた。
ただ黙って見ていることしかできない私は、まるでサザエさんに出てくる伊佐坂先生の原稿完成を待つノリスケさんといったところだろうか。
磯崎新アトリエを5時半過ぎに出て、本来5時に予定していたディス・ハウスの北澤さんとの打ち合わせ時刻を変更してもらい、急いで画廊へ戻った。ディス・ハウスに着いた頃には6時半を回っていた。説明下手な私が、軽井沢での打ち合わせ内容を伝達するという仕事を務めた。編集者の仕事や業界用語を教えて戴き、綿貫さんと同様、北澤さんも私をエディターへと育ててくれる方なのです。
磯崎新邸 書斎にてソフトグランド銅版に手を加える  

ギャラリー新人日記 8月18日

明日から内間安王星展なので、三浦さんと雄高さんは展示作業をし、私は、磯崎新アトリエから、磯崎新連刊画文集「百二十の見えない都市」の版画のイメージの変更のFaxが届いていたので、変更作業に取り掛かった。完成した見取り図を届けるため、また、新作版画のデータを戴きに磯崎新アトリエへ水羊羹を持って行った。
青山墓地を通って行くのだが、花が枯れているお墓がいくつも見られた。先日、お盆だったのに、お墓参りをしていないのか、この暑さでお花が枯れるスピードが速いのか、どっちだろう・・・。田舎では、おじいさんおばあさんが、定期的にお花を換えに通い、掃除をしている姿を見ることができる。
磯崎先生と26日に軽井沢で打ち合わせが決定した。軽井沢で打ち合わせ、しかも、一泊。素敵だ。
内間安王星  

ギャラリー新人日記 8月17日

10月23日〜25日に、開催する弘前ツアー(前川國男建築、温泉、紅葉を楽しむ)の段取りを組んだ。いつの間にか、私は幹事という役に任命されていた。
幹事・・・1.主となって事務を担当すること。また、その人。2.世話人。まとめ役。
事務の担当は何とかできそうな気はするが、果たして、まとめたり、お世話をしたりできるのだろうか・・・。
東京より北に行ったことがない私。東北とは無縁だったので、弘前が何県に属していて、どこにあるのか全く知らなかったので、地理を少し教わった。
新幹線の時刻表を買って来て、往復の旅程の雛型を作った。
時刻表を調べるのは、世話好きな父親任せだったので、見方に困った。
私の感覚は九州が中心なので、九州から見て北に行くのが「上り」、南に行くことが「下り」といつもの様に調べていたら、それは東北では通用しないことを思い出した。
東北初進出、とても待ち遠しい。
日焼け時刻表  

ギャラリー新人日記 8月16日

夏休み明けの初仕事。私の夏休みは、里である鹿児島に帰り、綺麗な海を求め存分に遊んだ。その結果、肌はすっかりココア色に染まった。
家族には、東京の話、ときの忘れものの話…話は尽きなかった。
母はブログを「こんなに大きくなって…」と泣きながら読んでいたそうだ。少し大げさであるが、嬉しかった。
あれもこれも、仕事が溜まっているため、打ち合わせをした。夏休みボケをしている暇はないみたい。
夕方、ディス・ハウスの北澤さんと、俳句集の打ち合わせをした。私には理解し難い話をしていた。大人になるにつれて、色々厄介な問題が増えるものだ。

ギャラリー新人日記 8月6日

出勤したら、私のデスクに私宛の郵便が届いていました。私宛の郵便は今までなかったので、少しドキッとしました。柳田冨美子さんから届いた原稿でした。一昨日の打ち合わせで、「読み直してからコピーして送ります」とおっしゃっていた原稿です。綿貫さんは明日行われるマンドリンの発表会の準備の為お休みなので、ケータイに報告しました。お返事の手紙を書いて令子さんにチェックしてもらいなさいとのこと。ある程度文章を作ったのですが、三浦さんにも考えて戴き、令子さんに見てもらいました。
16時頃、ディス・ハウスの北澤さんが、出来上がった親切のための看板を持って来てくださりました。それは、アクリルのとても可愛い親切な看板でした。デザイナー自らドリルを持ち、取り付け作業をしてくれました。申し訳ないです・・・。
ときの忘れものは7日〜15日まで夏休みです。私は明日から実家に帰ります。
親切な看板しんせつ〜  

ギャラリー新人日記 8月5日

夏休み前に済ませておく仕事、磯崎新展のDM原稿がディス・ハウスの北澤さんから届いていたので、急いで校正をし、明日までにデータをくださいと北澤さんにお願いしたら、すぐにデータを戴くことができました。印刷会社の新晃社に発送もでき、順調に仕事が捗っています。
今日は東京国際フォーラム・展示ホールで開催されるART FAIR TOKYOに三浦さんと行ってきました。隣で開催されていたバーニーズ ニューヨークのバーゲンの方に惹かれていたら、三浦さんに「仕事仕事!!」と言われ、後ろ髪を引かれる想いでアートフェアに入りました。80あまりのギャラリーがコの字形に仕切られて出展していました。日本画を展示しているギャラリーより、ポップ・アートを中心に展示されているギャラリーの方が、人が群がっており活気があるという印象を受けました。意外に若い人も多く、外国の方がとても多かったです。時代の人、村上隆さんもいらっしゃっていました。私も唯一知っている作家澤田知子さんの作品も展示されており、澤田さん本人が何役もこなす証明写真の作品は、まるで別人で見事でした。三浦さんは個人的に諏訪敦さんの油絵と中堀慎司さんの愛くるしい顔をした女の子の作品に惹かれているようでした。
アートフェア東京会場インヴィテーション  

ギャラリー新人日記 8月4日

今日は柳田冨美子さんと打ち合わせのために、成城の柳田國男旧宅に綿貫さんと伺いました。柳田さんが経営していた緑陰小舎ギャラリーの歴史をまとめた本を出版したいということで、私たちがお手伝いをさせて戴くことになり、その打ち合わせでした。
柳田さんは品が高く、美しい容姿の方でした。私の祖母よりも年齢は上なのですが、シャキシャキされており、「日本は遅れているのよ・・・」と世の中を変えるため動き回っているスーパーウーマンでした。
つい先日、晶文社から田中正明編『柳田國男の絵葉書 家族にあてた270通』 が刊行され(4,800円+税)、その309ページに「絵はがきの心」と題された柳田冨美子さんのエッセイが掲載されています。
緑陰小舎ギャラリーについては、既に手書きの原稿をお書きになっていたのですが、柳田さんがもう一度読み直してから送って戴くということになり、夏休み明けから作業に取り掛かりたいと思います。

柳田さん柳田冨美子さん  

ギャラリー新人日記 8月3日

ホームページリニューアルに向けての打ち合わせのため、ディス・ハウスの北澤さんと森田さんが来廊され、綿貫さん、雄高さん、三浦さんと私で打ち合わせをしました。分からない単語を連発され、チンプンカンプンでした。
システムの田中さんが来廊され、バックアップ作業をしていたのですが、サーバーが突然ネットワーク上から消えてしまうというアクシデントがおき、四苦八苦していました。そんな最中に私と三浦さんは小野隆生さんのビデオを観て、益々欲望心に拍車が掛かりました。画廊にある小野さんの作品を全て見せて戴き、魅惑的な瞳した男の子の肖像画を私の家に迎えたいと思います。
7時頃、綿貫さんのマンドリンクラブの同級生の内海さんと後輩田沼さんが揃い、昔話に花が咲き、画廊でビールをガンガン飲み始めました。その後、私も食事に誘って戴き、皆さんで外苑西通りにあるベトナム料理を食べに行きました。皆さん昔の記憶は鮮明に残っているらしく、応援歌なんか歌ったりして・・・。綿貫さんの学生時代、登下校中の買い食いをする人はちょっと小意気な不良だったみたいです。夜の公園で牛乳を買い食いするだけで大人になった気分になったなんて、古風ですね。
只今、打ち合わせ中・・・  

ギャラリー新人日記 8月2日

もうすぐ夏休みです。夏休み前に済ませておきたい仕事が溜まっているので、夏休みを気楽に過ごすために片付けてしまおうと思います。
俳句の打ち込みが終了し、そのままになっていたので、綿貫さんと読み合わせをしました。後半疎かになっていくという私の性格が素晴らしく出ており、後半間違いだらけでした。9月に開催する磯崎新展のDMの原稿もそのままになっていたので、綿貫さんに校正して戴きました。
只今、アンディ・ウォーホル論にハマっています。彼は、何者にもなれる人物なのだろう思いました。近い未来、ウォーホルのシルクスクリーン「KIKU」と小野隆生のテンペラを我が家に迎えようと思います。簡単に迎えられるプライスではないですが、ここはドーンと分割で・・・。ここに勤めている限り、自動的に絵を好きになってしまうのです。


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