ギャラリー新人日記 2005年9月

ギャラリー新人日記 9月30日

今日、仏蘭西に旅行中の三浦さんから電話が入った。日本時間午後3時半、仏時間8時。途切れ途切れの少し聞き取りにくい声が距離を感じさせ、またいい。
磯崎新「百二十の見えない都市」の第二期の制作見取り図を急いで作成し、磯崎新アトリエへ北海道直送のじゃがいも10個と一緒に届けた。「百二十の見えない都市」パトロンのひとり旭川の高橋さんがどっさり送ってくれた中から持っていったのだが、さすがにいつもより遠く感じた。帰りは、特に用はないのだが、アトリエの直ぐ近くなので白井版画工房へ寄ってきた。  

ギャラリー新人日記 9月29日

今日磯崎アトリエに磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の銅版画用に使ったポジフィルムやドローイングの図版を返却に行った。磯崎新アトリエの平田さんと返却の作業をしていると、磯崎先生が近付いて来て、『百二十の見えない都市』の見取り図を失くしちゃったと言う。私の顔を見て原稿を書くのを思い出したかのような感じにも取れた。磯崎先生はそんな感じだから何も言えず、平田さんに催促するしかなかった。平田さんに、「そう言えば、モンロー定規ってどうなっているのですか?」と聞かれた。そう言えば、入社当日の打ち合わせでモンロー定規を作る計画の話をしていたことを思い出した。誰でも、どこかに忘れてきてしまう話は多いものだ。
  

ギャラリー新人日記 9月28日

今日は、綿貫さんと令子さんの同窓会のような日だった。二十数年ぶり、十数年ぶりという綿貫さんの元同僚だった方々が、まるで、呼ばれて集ったみたいに同じ時間帯に次から次へと現れた。これは全くの偶然。綿貫さんは、今日は不思議な日だな〜と何度も呟いていた。  

ギャラリー新人日記 9月27日

今日から、磯崎新モスクワ展の映像を公開しました。画面が小さいせいか、あまり見やすくないかもしれません。
今日あたり、作家のFさんが来廊すると聞いていたが、何時に来るのか、本当に来るのかなど一向に連絡が入らない。18時頃、今日は来ないのかなと思っていた矢先の突然の来廊だった。心の準備ができていなく、皆慌てふためき、Fさんに“マイネームイズ………”と挨拶をした。“レイコ?”と呼ばれたので、“イエス!レイコ!”と咄嗟に出た言葉はレベルの低い英語。三浦さんはパリに行って今週一杯休みだし、困った。自分では、英語は多少できると思っていたのだが、綿貫さんに「二人分」と伝えてと言われ、二人分って英語で何というんだ?と思いながら、“two person”と言った。“two person?”という顔はしていたが、‘身振り’と‘手振り’と‘念じ’で何とか伝わった。小学生の頃から英会話を習わされていたのが、目が合ったときは微笑み、もしくは目を合わせず頷く。この必殺技しか身に付いていなかったようだ。
  

ギャラリー新人日記 9月24日

今日の画廊は賑わっている。場所がわからないとの電話も鳴る。22日の朝日新聞に、磯崎新展が紹介されたからである。たいていのお客様は、画廊に足を踏み入れた瞬間「あぁ〜やっと着いた。」と言った類の言葉を口にする。諦めないでご来廊くださりありがとうございます。どうか、南青山を散歩する気持ちで迷い、素晴らしい作品を見て、腰を下ろし書物を読んで、気持ちの良い心になって帰ってください。
私も初めて訪れた面接の日は迷子になりかけたものだ。6月だというのに暑苦しいスーツを着て、地図を片手に通り過ぎたこともあった。少し、髪の色が明るかったかな・・黒く染めてくれば良かったとか思いながら。
  

ギャラリー新人日記 9月22日

磯崎新連刊画文集「百二十の見えない都市」の銅版の試刷りを取りに白井版画工房に向かった。
青山墓地は鮮やかな花を抱える人々でいつもより賑やかだった。
22版を確認し、残る2版が刷り上れば、銅版は12都市全て揃うことになる。
何度も打ち合わせを繰り返してきた。没になる版も多々ある。そのお蔭で、私は12都市以上の見えない都市を見ることができた。

ギャラリー新人日記 9月21日

磯崎新アトリエから先日開催されたモスクワでの磯崎新展の映像が送られて来た。ときの忘れものでの磯崎新展の会期中、映像を放映したいと、以前お願いしていたからだ。
放映の方法を打ち合わせていたところ、綿貫さんは大きい液晶を買いたい・・・と言うし、社長は渋い顔をするし・・・・とりあえず、パソコンで流すことで話は収まった。
モスクワ展の映像を一人で見てみた。ゾクゾクする。ブラックライトと音、蛍光色を駆使したサイケ調といった感じ。今ときの忘れもので開催中の磯崎新展とはえらい差異を感じるかもしれないが、これは見ものだ。
27日からノートパソコンを使って上映します。7分程度の映像です。是非足をお運びください。  

ギャラリー新人日記 9月20日

磯崎新展は推定20代の方がよく来廊される。白井版画工房の版画教室で一緒になった生徒さんも来廊してくれた。知っている方が来てくださると嬉しくなる。
来月の企画展はジョナス・メカス展、そして版画掌誌第5号もジョナス・メカス特集。その準備のため、今日はジョナス・メカスの長い略歴を作成した。メカスさんの略歴は、働く、学ぶ、離れる、移る、撮る・・この繰り返し。私も働き、学び、離れ、移り、書く・・そんな活発な略歴になればいいなと思う。
磯崎新展1磯崎新展2  

ギャラリー新人日記 9月17日

先日、植田実先生に弘前ツアーの座談会パンフレットの原稿を依頼しており、夕方、その原稿が届きました。末尾に、私尾立への清書の依頼の文章が書かれていました。植田先生からご指名があるなんて・・・喜んで清書させて戴きました。
丹下研究室時代に描いた磯崎新先生のデッサンの紙焼きが出来上がっていた為、白井版画工房へ届けようと出掛けた。横断歩道の向こう側に刷り師の石田了一さんを発見。一緒に画廊へ戻り、シルクスクリーン用の紙焼きを渡し、また白井版画工房へ向かった。赤坂はお祭りみたいだ。ちびっ子たちが法被を纏って御輿の周りに集っていた。白井版画工房では、雁皮刷りをしていたので技法を教えてもらった。ときの忘れものに戻り、綿貫さんにシルクスクリーンの技法を教わり、石田さんのプロフェッショナルな職人振りの話を聞いた。改めて磯崎新展のシルクスクリーンを見ると、グラデーションの巧みさとズレのなさに頭が上がらない。磯崎新展では磯崎先生の銅版画も展示しているのだが、フランク・ロイド・ライトやル・コルビジェの建築をエッチングで描いている。知識があって見るのと、無知のまま見るのとでは、前者の方が数倍楽しむことができる。休みの日は、色々なコト、モノを吸収する日にしようと思う。目に映る全てのモノが今の私より100倍楽しく思えるように・・・

ギャラリー新人日記 9月16日

今日から磯崎新展。今回シルクスクリーンは額装をせずにシートで展示している。額が光に反射することなくクリアでリアルに見ることができ、シルクスクリーンサイズは58.3×77.0cmもあるので迫力がある。そういえば、昨日疑問になって三浦さんに聞いてみた。「シルクスクリーンってシルクで作るんですか?」と。私は、シルクスクリーンが一体どうやって出来上がるのか全く知らなかった。今度はシルクスクリーン刷り師の石田了一さんに技術を学びに行きたいものだ。
弘前ツアーの詳細がやっと完成した。弘前の石場旅館の亭主石場創一郎さんと電話やメールなどで練りに練って考えた詳細です。HPのトップとブログに掲載しているので是非ご覧ください。

「SHADOW 影」シリーズ  

ギャラリー新人日記 9月15日

明日から磯崎新展を開催します。雄高さんと三浦さんがシルクスクリーン11点と銅版画7点を展示しました。
評論はできないのですが、いつも10cm程のポジフィルムでしか見ていなかったので、実物を見ると迫力があり、シルクスクリーンという技法のカラートーンは絶妙。私の一番のお気に入り「DARKNESS1 闇1」がデスクの目線の先に展示されています。パソコンで目が疲れたら、緑を見るように、「闇1」を眺めようと思います。
磯崎新展は10月1日(土)まで開催していますので、ぜひ足をお運びください。
18時から白井版画工房で版画教室でした。7月23日以来です。今回は色を付けることを試みた。前回、ゴールディ・ホーンの絵をソフトグランドで描いた銅版と同じサイズの新しい銅版を用意し、色を付けない部分にグランドを塗る。それに松脂を篩い、ヒーターで松脂を溶かし、10分間腐蝕液に浸けると、グランドを塗っていなかった部分だけが粒状に腐蝕をし、そこにインクがのる。唇が青、眼が緑、花が赤、黄、緑、青でカラフル&ファンキーを目指したのだが、試刷りしてみて白井さんが一言。「キモチワルイ・・・」。
二度目は唇と眼は色付けをせずに、花だけパステルカラーを塗りました。プレス機にかける際に銅版を反対にしてしまった為、失敗。しかし、その失敗作品もなかなかアイデアとしては良かった。次回は何をしよう・・・。

雄高さん&三浦さん展示中・・・尾立、版画教室にて・・・似ていないが、ゴールディ・ホーン  

ギャラリー新人日記 9月14日

ときの忘れものの全ての出版物の編集に協力していただいている和光大学教授の三上豊先生が来廊された。三上先生に、谷川渥先生に執筆していただいた原稿と、芸術専門の翻訳家木下哲夫さんが翻訳したジョナス・メカスさんの原稿を見て戴いていたので、その原稿を持って来てくださった。「編集者の仕事とは何か」というものを教わった。 編集者は、原稿の一つ一つが事実であるかどうかを調べなければない。引用された原典にも直接あたり確認することなど、原稿には私の知らないコトが散乱している。無知な私にとっては調べる量が多すぎるのだが、強制的に調べないといけなく、嫌でも自動的に身に付くのだ。  

ギャラリー新人日記 9月13日

今日は入社3ヶ月記念日。まだ暑いが、入社して季節を跨いだ。気持ちだけは、もう一年くらいここに居るが、編集者としては、それ相応かな…。
やっと、弘前ツアーの詳細が完成しました。後は、石場旅館の亭主石場創一郎さんにチェックして戴き、ときの忘れものHPに載せます。石場さんをはじめ、弘前の方々に座談会の準備などご協力戴いています。この場を借りて、ありがとうございます。
ジョナス・メカス展のDMゲラをディス・ハウスの北澤さんとFaxでやり取りをし、校正しました。
「やれば終わる」ので、着々と片付けています。  

ギャラリー新人日記 9月10日

14時から、朝日カルチャーセンター主催の講座「磯崎新さんに聞く」に出席のため新宿住友ホールに行った。隈研吾さんが磯崎新先生に「建築の戦後、都市の戦後」について聞く会だ。
磯崎先生は、戦争や原爆の時代を生き、逃げ回った。その小さい頃の記憶から1968年ミラノ・トリエンナーレの「再び廃虚になった広島」が生まれたそうだ。“再び”というのは回想、つまり、未来と過去の廃虚を意味しているのだという。歴史は一定のサイクルで反復し亀裂や断面が歴史を変えるのだ、と。
笑いを交えながら隈先生は、建築家には岸田日出刀さん、丹下健三さん…のタイプと、岡本太郎さん、磯崎新さんタイプの2種類がいるという。岡本太郎さんと磯崎新さんは、ユートピアを描く。私は磯崎先生のスケッチを見る機会が多く、たまに何の絵かわからない時があるが、磯崎先生はそれを説明する。天才という言葉がしっくりくる。「一つの瞬間に一つの存在を信じる」、偶然の関係を見てみたい、プロセスを信じたいとおっしゃる磯崎新先生。
磯崎先生ともっと仕事をして、もっといっぱいお話しを聞きたい。そう思った。
夕方、私が卒業した大学の先輩2人が、ときの忘れものに来廊された。私の仕事場と、一言では説明できない仕事をしているので、それを見て欲しかった。綿貫さんが先輩を接客?してくださり、私も見たことのない磯崎新先生や安藤忠雄先生のスケッチブックを見せてくれた。先輩は「とても貴重な話を聞くことができた」と感激してくださり、皆が羨ましがる仕事と職場だと言ってくださった。えへへ。
公開対談  

ギャラリー新人日記 9月9日

今日は9時30分にときの忘れものの倉庫がある狭山の駅で待ち合わせでした。いつも12時出勤の私にとっては、朝から大騒動。予定通りに家を出たが、満員電車でつぶされ、乗り換えで戸惑い、時間のロス。遅刻は確実。電車の中で、反省しながら言い訳を考えた。持ちネタの宇宙人にさらわれたという言い訳をしようと思ったが、そんな子供染みた言い訳ではなく「すみません。」の言葉が出た。私、少し成長した。
狭山の倉庫はとにかく大きい。どんな倉庫か想像はしていなかったものの、思っていたよりも随分大きいと言ってしまいたくなる。箒と掃除機で楽しく掃除をし、あっという間に時間が過ぎた。昼食はみんなでとった。そういえば、ときの忘れもので一つのテーブルを囲んでの昼食は初めてだ・・・とか思いながら。
狭山から南青山までシステムの田中さんに送って戴き、16時から磯崎新アトリエで打ち合わせのため、綿貫さんと私は大慌てで準備し、アトリエへ向かった。まだ濡れている刷ったばかりの銅版をもって刷り師の白井四子男さんが到着し、同じく刷り師の石田了一さんも交え、打ち合わせ開始。磯崎先生が未だ20代の丹下研究室時代に描いた図面を確認して戴き、先日磯崎先生の書斎で仕上げた銅版をチェックして戴いた。磯崎先生は桃林堂の鯛焼きをむしゃむしゃ食べながら御機嫌で、「来日中のレム・コールハースに試作中の銅版画を見せたら、欲しいというんだよ」。綿貫さんは少しむっとして「トライアル・プルーフにして下さい」と注文をつけていた。打ち合わせ終了後、モスクワ展のビデオまで見せて戴いた。
 

ギャラリー新人日記 9月8日

ジョナス・メカス展DMの原稿制作を急ピッチで行い、北澤さんと打ち合わせをした。
夕方、美術専門の翻訳家木下哲夫さんが来廊され、来月開催予定のジョナス・メカス展の件で打ち合わせをした。オープニングには何とか来日して下さるとのこと。とても楽しみだ。

ギャラリー新人日記 9月7日

打ち合わせでは、今週中に急ぎでやらなければならない作業内容を次から次へと言われた。金曜日は倉庫がある狭山に行った後、16時から磯崎新アトリエで打ち合わせが入っており、土曜日は朝日カルチャーセンター主催の磯崎新先生と隈研吾さん公開対談に出掛けることになっている。今日と明日でこなさなければならないのだ。綿貫さんにも手伝って戴けることになり、なんとか間に合いそうだ。ジョナス・メカス展のDM制作に取り掛かり、弘前ツアーでお世話になる石場旅館の亭主石場創一郎さんにメールをし、費用を表記できるように詳細を考えた。
夕方、綿貫さんと谷川渥先生の原稿の読み合わせをした。

ギャラリー新人日記 9月6日

綿貫さんが、東京大学の西村研究室へお伺いし、磯崎新連刊画文集「百二十の見えない都市」で使用する、磯崎新先生が20代の頃に描いた図面を4枚お借りしてきた。丹下研究室時代のもので、今は東大に保存されている。
約100×70cmのトレーシングペーパーは、すでに黄ばみ、一部は破損はしているもののインクはきちんと載っている。こんな貴重なものを拝見できるなんて・・・。
早速、撮影の手配をした。今週の金曜日に、その大きい図面を磯崎先生に確認してもらう時間を割いて戴くことになった。
図面 こんなに大きい  

ギャラリー新人日記 9月3日

内間安王星展の最終日。綿貫さんたちは葬儀に出席のため、画廊には、岡部百合子さんと私のみ。私は、谷川渥先生の原稿を打ち込み、夕方には終了した。夕方になると来廊されるお客様が途絶えることがなく、岡部さんと接客にまわった。ちょうど居合わせたお客様同士で内間安王星の作品について話していたので、そんなに私の出番はなかったので安心した。私に話をふられることもあり、答えられる質問には答えた。内間安王星展のDM制作を担当した際に頭に入っていたのだろう。習うより慣れよ、といったところだろうか。

ギャラリー新人日記 9月2日

出勤したら、デスクの上に書籍が重ねられていた。全て谷川渥先生の著書。名前は存じ上げているが、本は読んだことはない。これは私に読めという指示だろう。
版画掌誌用の原稿を依頼していた谷川渥先生から、26枚の原稿がFAXで届けられていた。谷川先生の著書がデスクに積まれていた理由を理解することができた。
昨日の続きで磯崎新連刊画文集「百二十の見えない都市」エッセイの字割をした後、さっそく谷川先生の原稿の打ち込み作業に取り掛かった。
 

ギャラリー新人日記 9月1日

9月になりました。
プレスリリースの制作を行い、綿貫さんに校正して戴きました。
ディス・ハウスから昨日打ち合わせでお願いしていた磯崎新連刊画文集「百二十の見えない都市」のデザインが届き、エッセイの字数を磯崎先生にお知らせするため、デザイナーの北澤さんから教わった“字割”をしました。久しぶりの計算。数えている最中に話しかけられると数え直しになるので、文字を押さえながら小さい声で数字を読み上げ、自ら話しかけられない空気にしました。
  


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