ギャラリー新人日記

2006年5月

ギャラリー新人日記 5月31日

連日、讀賣新聞の書評を見たという方から『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』の注文が来る。発行されて10日も経つのに、新聞は1日しか配られないものなのに、新聞は「新しく聞いた話」という意味らしいのに・・・。
永井桃子さんとカメラマンのお父様が来廊され、展示風景のテスト撮影をした。お父様がアングルなどを決め、私もレンズを覗かせてもらうと、画廊の空間が超広く見えた。桃子さんがレンズを覗き「もうちょっとこうしたい。」と意見していた。お父様は、「決めていいよ。お父さんはお手伝いをするから・・・」なんて言っていましたが、仲良くテスト撮影は終了。
夕方、渋谷にある額縁屋さんに出掛けた。お店のカウンターの上に藤田嗣治の銅版画が広げてあったので、盗み見した。
画廊に戻ると、盛岡からMORIOKA第一画廊の上田さんが来廊していた。上田さんはものすごい価値のあるデッサン画を持っていたので見せてもらった。綿貫さんは「いいな〜上田さんは・・・」と羨ましそうにしていた。いい作品をいっぱい見せてもらって、いっぱい鑑賞力を付けようと思った。

ギャラリー新人日記 5月30日

綿貫さんの高校の後輩の田沼さんが来廊した。何やら企み顔の綿貫さんに、私は手招きされた。「美味しいご飯をご馳走するから・・・」と甘言で釣られ、即O.K.を出した私は、高崎高校のマンドリンオーケストラのパンフレットを作成することになった。
今日は、『フォーゲラーとヴォルプスヴェーデ展』でHPに載せるヴォルプスヴェーデの歴史やハインリヒ・フォーゲラーなどの略歴を作成した。ヴォルプスヴェーデ村の風景に惚れ込み、相次いで移住して作品を制作した芸術家たち。版画には、メルヘンな自然が描かれており、純粋な自然だということがすぐにわかる。

ギャラリー新人日記 5月27日

草間Tシャツと尾立麗子

綿貫さんがどこかに出掛けて、行方知れず。しばらく経って、パンパンに膨らんだユニクロの袋を持って帰ってきた。初めてユニクロに行ったらしい。草間彌生×ユニクロのTシャツを9枚買って来て、みんなにプレゼントしてくれた。水玉のTシャツは、売り切れている店舗もあるという。私は白Tシャツにキラキラしたピンクの柄入りを選び、さっそく着替えた。今度サインをもらいに行こう。
今日は永井桃子さんが画廊に終日いてくださり、接客をしていた。永井さんのお母様が作ったというラズベリージャムがのったチーズケーキを私はいっぱい食べた。たくさんのお客様が来廊し、永井さんは幸せそうでした。

ギャラリー新人日記 5月26日

20060526永井桃子オープニング

今日から永井桃子展が始まり、17時からオープニング。永井さんとお母様がサンドウィッチと煮物、お新香を作って持って来てくださった。私は、クリームチーズやサーモンが挟まったサンドウィッチをパクパク食べた。綿貫さんが永井桃子さんに質問をしていた。「どうして油絵なのにテカテカしていないの?」「どこの顔料を使っているの?」とか。油は少なめに使用しているらしくニスを塗っておらず、顔料は外国のものも日本のものも使っていると言う。キャンバスは自分で作っているが、市販のキャンバスも試してみたそうだ。タイトルは出来上がって最後に決めるそう。
オープニングも19時半頃には閉めて、永井さんと綿貫さんと令子さんと雄高さんと三浦さんと、外苑西通りにある「セカンド・ラジオ」に飲みに行った。ここは残念ながら6月いっぱいで閉めてしまうという。地下への階段を下りると、高価なグラスやボトルに囲まれた大人な雰囲気のバー。大きな木のテーブルに浅く腰掛け、覚えられそうにない横文字のお酒を注文した。背後からカタカタと音が聞えるので振り返るとマスター尾崎浩司さんがシェイカーを振っていた。5種類のドライフルーツとカシューナッツと松の実とひまわりの種をつまみながら、フレッシュなカクテルを戴いた。尾崎さんは、「ほどよく緊張してお酒を飲むのは心地のいいものなんですよ。」と言っていた。バーの雰囲気は、店やバーテンダーだけでなく、お客様ひとりひとりも作るものなのだという。このバーの雰囲気に適応したいと思い背伸びをしたくなる、そんなバーでした。

ギャラリー新人日記 5月25日

今日は14時に、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の作品のポジフィルム撮影のため、東麻布にある撮影スタジオに出掛けた。普段は作品を預けて撮影してもらうのだが、今回はセットの組み合わせを間違えないように私も撮影に立ち合うことになった。今回は、シルクスクリーン1点と銅版画2点のセット4組と、たとうの計5カットの撮影。背景紙はグレーに決めた。カメラマンの方は、平台にロール状になったグレーの背景紙を敷き、天井からぶら下がった照明の位置を決め、カメラをハイアングルにセットした。私は見取り図を見ながら作品の組を間違えないように作品を置いた。スタジオに次々集ってきたスタッフの皆さんに意見をもらい、レンズ越しにみる作品の位置を指示してもらい、ようやく撮影に入った。準備だけで1時間が経とうとしていた。試しのポラロイドを撮ってもらい確認した。静物なのでポーズを極めてくれないのに、作品にも表情ってものがあるんだと知った。2カット目も3カット目も4カット目も淡々と終了した。たとうの撮影は、正面から撮ったら立体的に写らないよと言われ、うぅーん・・・と悩んでいたら、正面からと、斜めから撮っていい方を使ったら?と言われ、そうすることにした。16時前に撮影が終了した。お茶とおやつを戴き、一息入れてから画廊に戻った。

ギャラリー新人日記 5月24日

お昼過ぎに「本が欲しいんですけど・・・」と電話があった。「本」と言われ、私はてっきり讀賣新聞の書評に載った『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』の注文と思って受けていたら、『日和崎尊夫句集』の注文だということを後で知った。危ない危ない・・・。
仕事が終わり、恐ろしい音で雷が鳴る中、綿貫さんと令子さんと「机」に晩御飯を食べに行った。今日はいつもより仕事の話をした。アンディ・ウォーホルのギャラリートーク第2弾を2ヶ月に1回はやらなきゃね、という話になった。今度はどんなテーマにしようかな。

ギャラリー新人日記 5月23日

5月21日(日)の讀賣新聞に『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』の書評が大きく載りました。ドローイングの画像も1点掲載されており、評者である上智大学教授の林道郎さんの書評は興奮の熱がありありと伝わってくるものだった。お蔭さまで今日は注文の電話が鳴り、Faxが届き・・・令子さんと私はその応対に追われる一日でした。

ギャラリー新人日記 5月20日

今日は14時に永井桃子さんに来廊してもらい、永井桃子新作展の展示作業を行なった。昨日宅急便で大きい油彩が届き、今日は小品を持参された。昨日も遅くまで描いていたという、まだ完全に乾いていない可愛い作品たち。永井さんが展示のレイアウトを決め、三浦さんと雄高さんが壁に掛ける。私は、渋谷にある額縁屋さんにドローイングの額を買いに行った。炎天下の外出で少し疲れ、水分を補給すると生き返った。人間が植物っぽくある瞬間だ。展示は夕方終了した。永井桃子さんはしばらくその展示を見渡していた。永井さんの描く植物からは、気候や季節、温度や湿度までも伝わってくる。カラッと晴れた空に向ってぐんぐん育ったんだろうなと思わせる『光途―窓から』シリーズは、もうすぐ夏だよと告げているようにみえた。

ギャラリー新人日記 5月18日

今日は最近サボりがちだった白井版画教室に行ってきた。現在制作中の作品は2版2色刷りで、1版は銅版にソフトグランドでジッパーを描いており、もう1版は銅版にデニムを貼り付けていたので試刷りをしてもらった。デニム生地はコーティングをしていないので色の変更が利かないとわかり、どの色にしようか工房をぐる〜っと見渡した。赤にしようか・・・グラデーションもいいな・・・と、あれこれ迷った末、デニムっぽさがでる水色にした。冒険心のない私。ジッパーの版に黒のインクを詰めて、デニムを貼っている版にはコバルトブルーにホワイトをたっぷり混ぜた水色をローラーで塗ってもらった。まずジッパーの版を設置し、湿った紙を被せテープで固定しプレス機にかけた。次に紙が動かないようにその版を取り除き、同じ位置にデニムの版を設置してまたプレス機にかけて、試刷りと対面。「う〜ん・・・なんかモノ足りない」と言うと、いつの間にか背後に他の生徒さんが集っていた。試刷りが出来ると決ってアドバイスをくれる。そのアドバイスを採用し、ジッパーの空いている部分を白ヌキにして、そこに雲を描くことになった。雲の形に切り抜いた紙をデニムの版に貼って、プレス機にかけた。さっきよりはよくなった。
晩御飯タイムになり、ワインを飲んだ。生徒さんがおすそ分けしてくれたチーズや餃子も食べて、お腹いっぱいでふにゃ〜と動けずにいたら「もう今日はお終いにするの?」と聞かれた。そうしようかとも思ったけど、デニムの色をもうちょっと薄くしたかったので、もう1枚試刷りしてもらった。

ギャラリー新人日記 5月17日

今日は15時からホテルニューオータニで「福岡オリンピック・パラリンピック招致スポーツ記者説明会」がありました。4月25日にあったのは外国記者向けの開催計画記者発表で、今回はスポーツや新聞等に向けた予算などの詳細をつめた内容でした。麗の間というなんとも古風な名前の会場で、ビデオカメラは3台くらいに新聞記者やテレビ局の報道陣が来ていたが、思っていたより少ない数だった。綿貫さんが「あんまり前もなぁ〜」と言うので、少し遠慮して前から3列目の磯崎新先生の座席側に座ると、ウエイターがコーヒーとミルクを注いでくれた。開催定刻1分前に登壇者が来場し、磯崎先生はオフホワイトのスタンドカラーに黒いスーツを着ていた。右から磯崎新先生、福岡市オリンピック招致準備事務局長、福岡市財政局長、福岡・九州オリンピック招致アドバイザーの梶原紀子さん(アトランタ・アテネ・パラリンピック金メダリスト)、日下部基栄さん(シドニー・オリンピック柔道女子57キロ級銅メダリス
ト)、宗茂さん(旭化成陸上競技部顧問)。前回の記者発表で話されなかった予算案や輸送問題について、細かくプレゼンテーションされた。磯崎先生はパワーポイントを使って、福岡オリンピックの開催計画内容と、東京と比較した財政等を説明した。1936年ヒットラーによって開催されたベルリンオリンピックに代表される大都市での国威発揚型から、クーベルタン男爵が考えた世界のアスリート達がある都市に集まり技を競い合うと言う原点への回帰と、東京の十分の一の規模の小都市での開催という21世紀の新しいモデルを目指す姿勢を鮮明にされた。博多湾岸に3つのクラスターを集中的に設置すること、また既存の施設も利用すること。海外からの客の輸送については、羽田空港より近い上海・ソウルの空港を利用し支援の輪を広げること等を述べた。前回は東京の案の批評をしていなかったが、今回は「東京は大都市でありながら、最近の流れ(郊外に施設を分散)に反した都心集中型のプランだ。既存の都市活動をしながら、オリンピックという巨大イベントを開催する意味をわかっていない。」など、個人的な印象だと言って話された。また、6月末にJOCに提出する福岡のプランについては「あまり細かいことは申し上げられない・・・発表すると1週間後には東京に真似されるから」と、会場から笑いが出る発言もあった。プレゼンテーションの最後には、スピード感のあるエキサイトしてしまう鳥瞰映像が流れた。BGMにはテクノ音楽(?)がかけられ、その音楽とカメラワークが調和しておりカッコイイ映像だった。12

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ギャラリー新人日記 5月16日

先週末に終了した《アンディ・ウォーホル展》の展示の撤去を行なった。「原茂日記」コレクターのギャラリーめぐりの執筆者が、日記の校正をしたいと来廊し、少し撤去のお手伝いもしてもらった。会期中、一枚一枚インデックスなどメモを取っていたものが、2日くらいでダーッと書き出されてアップされていた。私にはとても真似できないな・・・。
撤去作業は展示作業の約半分の時間でできた。扉を開けるたび感じた出しゃばりな活字たちが齎す圧迫感はなくなった。圧迫感って、なんとなく負のイメージを持っていたけど、今回の展示で、良い意味で圧迫感がどれだけ強烈なものなのかを知った。
来週の26日からは一転して《永井桃子新作展》。今回から私が出品リストを作成することになり、キャンバスのサイズに書かれてある「F」とか「P」とか、どうしてわかるの?と思い、綿貫さんに聞いた。洋画号数法表という表を見せてもらい、画廊に勤めてもうすぐ1年にして、初めて知った。

ギャラリー新人日記 5月13日

今日はまったりとした土曜日。昨日のギャラリートークを回想して新人日記を書いた。ICレコーダーに録音していた野々村先生のトークを聞いた。当時の時代背景など、私が知らないことは綿貫さんに聞いた。ヒッピーやロン毛、パンタロン・・・80年代、90年代・・・21世紀、新しい恰好をする人が増えて行き、良と不良の境目も変動する。

ギャラリー新人日記 5月12日

19時から「アンディ・ウォーホルとメディア/栗山コレクションをめぐって」というお題のギャラリートークを行なった。講師を務めてくださったのは、和光大学助教授の野々村文宏先生。ギャラリーの収容力と参加人数に少し無理があり、席もきゅうきゅうの中、メモを取る方もおり熱心に聴いていた。
今回、野々村先生に講師をお願いしたのは、若い世代にウォーホルを伝えていくには若い世代の人がいいと考えた綿貫さんが、色んな方に相談したところ、野々村先生を推薦する方が多く、初対面だがお願いをして、快く引き受けてもらった。
野々村先生は思春期のころ音楽小僧だったらしく、ベルベット・アンダーグランドなど、ロックやパンクミュージックを聞き、ニューヨークのアングラ・シーンから入ったと言う。綿貫さんとはまた違った視点でアンディ・ウォーホルについて語っていたので、興味深いものだった。ユースカルチャーは、ウォーホルのスタイルが下敷きになっている場合が多いらしく、娯楽の社会にウォーホルのスタイルを真似ているものが存在することには驚かされた。綿貫さんはリアルタイムでウォーホルに接しており、世間に認められる前のウォーホルは変人扱いされていたという。野々村先生がウォーホルを知った時は、もうカリスマ的存在であった。私が彼の名を知ったときには、すでに歴史的人物になっていた。もう永遠に会えることのない存在になってしまったウォーホルだが、彼の社会的な地位の変化や、世間やメディアが注目する矛先を世代ごとに振り返っていくことは、文化を知ることだと思った。映画・アート・音楽・ファッション・同性愛までも、辿り着く人物はウォーホル。栗山豊さんが、アカデミックなものからアンディ・ウォーホルという文字しか載っていない紙切れまで、とにかく莫大な資料残して逝ってしま理由は何なのだろうか?私たちに何かのきっかけを与えてくれたに違いない。この資料をどう生かすかがときの忘れものの課題であると思う。是非、皆様のお力を借りたいと思います。

ギャラリー新人日記 5月10日

綿貫さんに、6月9日から催す《フォーゲラーとヴォルプスヴェーデ展》のDMはもう作成したのか聞かれた。「・・・?」。随分前に指示されていたような気がすることを、にわかに思い出し、急いで作成した。
私の脳中枢は、まだ鹿児島の海や山で遊んでいるようです。
DMの原稿を作成し終え、プレスリリースも作成し始めた。
5月26日から開催する《永井桃子新作展》の段取りは任されたので、搬入日や展示日の日取りを永井さんと相談して決めた。

ギャラリー新人日記 5月11日

17日に行なわれる《福岡オリンピック・パラリンピック招致―スポーツ記者説明会―》のお知らせが届いた。もちろん、磯崎新親衛隊の綿貫さんと私はシッポを振って行きます。
私はプレスリリースを作成し、《フォーゲラーとヴォルプスヴェーデ展》出品作品の画像が暗過ぎて上手く出てくれないので苦戦した。
200枚以上をカラープリンターで1枚1枚出力していくから、いつも大変。プリンターは眠らせないで、私は帰ります。

ギャラリー新人日記 5月9日

11日ぶりの出勤でした。外に貼ってある看板を見て、ウォーホル展やっていたんだ・・・と思い出した。どうもまだ鹿児島時間が流れているみたいで、あくびは出るし、終始ボーっと仕事していた。
十分に機能してくれない頭で、なんとかDMに同封する書簡を作成した。
仕事が終わり、綿貫さんと令子さんの夕食に交じ合わせてもらった。「机」という和食屋さんに連れて行ってもらい、根三葉とホタテの炒め物を注文した。三葉がこんなにも美味しのか・・・と知りました。シメで食べたそぼろうどんのそぼろとうどんは相性抜群で、明日からまた仕事がんばるぞーという気にさせてくれました。




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