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植田実のエッセイ 本との関係7

突然の手紙 茨城から福岡から

 この連載エッセイは、企画者である「ときの忘れもの」のブログおよびホームページから発信されている。これを読む人は新しいメディアの仕組みを当然知っているのだろうが、ケータイもパソコンも使わない私には最終的な形での自分の文章を読むことができない。コクヨの400字詰め原稿用紙に手書きで埋めた文字を「ときの忘れもの」にファックスで送って仕上げてもらうだけである。
 しかしこのメディアの威力をまざまざと実感する機会があった。
 第4回目に詩人・粕谷栄市のことを書いた。大学時代にほんのちょっと接触があった人で、その後の彼の詩作活動については私はもちろんよく知っていたが、彼が私のことを覚えているはずがなかった。ところが突然粕谷さんからの手紙が届いたのである。当然、50年来初めての手紙なのだが、茨城の住所と氏名の筆蹟は、すでに何度も受けとった気分になった。手紙そのものはパソコン文字だが、これも粕谷さんの人柄や言いまわしは知りつくしているかの気持で繰り返し読んだのである。ありがたいことに、彼の記憶のなかに私はなぜか居たらしい。
 もうひとつは、1回目に触れた、高校生のときに私が参加していた北九州の詩誌からの反応である。そのときに名前を出した河野正彦さんから連絡があって電話で話した。その詩誌『沙漠』の、私の作品が掲載されている号は手元にないというのを読んで、表紙をはじめ全頁のコピーと、もう1冊、バックナンバーが残っている第12号とを送って下さるというのである。
 数日して小包が届いた。河野さんの著書と一緒に入っていた『沙漠』第7号にはたしかに私の「不審の街」という詩が載っているが、表紙の絵やタイトル・ロゴはまるで覚えていない。麻生久の巻頭の詩に続く場を与えられてもいるし、当然強烈な印象を受けたはずなのにその表紙を忘れ果てているとは。うろたえてしまった。しかもこの連載エッセイのなかでは『砂漠』と表記したが、じつは『沙漠』であることにも気がついた。「砂じゃなくて沙なんだ」と、当時同人の誰かが強調していたことを思い出してきた。今は表紙の絵にも記憶が戻りつつあるような気がする。大人たちのなかに混じって議論に耳を傾けていた、小さな画廊の様子まで見えてきたようでもある。記憶の蘇生はどこか痛ましい感情を伴っている。
 裏表紙には「沙漠同人氏名」として12人の名前が並び、最後に「研究会員」の肩書で私の名がある。同人費を払えないみそっかすに与えてもらった特別席である。同人の人たちの顔まで記憶のなかから現像されてくる気配があった。同人会費40円とある。
 第12号の表紙が頭のなかにはっきりと刻まれているのは、それがしばらく手元にあったからだろう。驚いたのはこの号に載っている私の「怠慢な囚人」という詩についてはまるで忘れていたことと、その次に載せられた麻生さんの「ディエンビエンフー 外人部隊兵士の手配より」という作品には強烈な印象を受け、この一篇が麻生久という詩人についての圧倒的な記憶のすべてでもあったことである。この号では「会費」は「頒価」に変えられて、同じく40円。発行日は第7号が昭和28(1953)年、第12号が翌年の10月20日。
 そしてさらに驚かされたのは、『沙漠』はそんな時代に北九州の片隅で刊行されていただけの詩誌ではなく、現在も継続しているのである。小包に同封されていたのは、今年2006年11月発行、第244号である。発行・編集は麻生久。添えられた河野さんの手紙には「私は78歳、麻生さんは私より十歳ほど上ですが、二人ともまだ口は達者です」とあった。裏表紙にはやはり執筆者とその住所一覧がある。27名。かつての同人で名が残るのは麻生久と河野正彦である。麻生さんは詩はもちろん、福岡県詩集2006年版の作品評まで丁寧に手がけている。そこには「ディエンビエンフー」から全然衰えていない重い響きがこもっている。
 新しいメディアには無頓着だったために、ときの忘れものや植田実の名からアクセスすればこの連載エッセイに辿りつくことは教えてもらってはいたが、文中の氏名からも突きとめられることを私は知らなかったのである。だから粕谷さんや河野さんに読まれるなんて考えもしなかったし、それで気楽に書いてもいた。ところが今はそれこそ沙漠のなかの1本の針まで探り当てられるわけだ。その結果、懐かしい人たちの便りに接することができたと同時に、50年の歳月などものともせずに同じ形で出し続けている紙のメディアにも再会したのである。俳句誌や短歌誌はいざ知らず、現代詩でのこれほどの営為は稀なのではないか。それも継続は力なりみたいな気負いではなく、ごく自然にやってきたにちがいない。このメディアの交錯が編集者としての私に、今、を見せつけたのである。
 『沙漠』第7号の発行人は枝見静人という名である。12号になると「発行所・沙漠社」とだけになり、住所は河野さんの住まいである。その横に新宿区三光町の現代社という出版社の広告があり、図書出版をはじめたからよろしくという枝見静人名の挨拶が付いている。『沙漠』同人を続けながら東京に活動拠点を移したのである。火野葦平『女傑一代』、檀一雄『ペンキン記』などの刊行書名が広告に入っている。
 この枝見さんは、『沙漠』同人のなかで私がもっとも世話になった人だった。何かにつけ相談相手になってもらった。彼が東京に拠点を構えたあと、私も大学受験を機に、東京に戻ることになったのだが、頼って行った兄のところにいつまでも居候しているわけにもいかない。新宿区三光町の現代社にまで押しかけて生活の相談までしたのを覚えている。結局、それ以来会うことがなかったが、何年か前、新聞で訃報を見た。かなり大きな扱いで、というのも福祉事業家としての活躍でよく知られていた人だったことをそのとき知った。写真を見ると、新宿街頭に立つその姿と眼光はたしかに私の知っている枝見さんだった。これも電話で河野正彦さんに確かめたことである。
 ここまで書いたところで、麻生久さんからも小包が届いた。日本現代詩人叢書の1冊『麻生久詩集』(1989 芸風書院)だが、既刊詩集5冊からの選集らしい。「ディエンビエンフー」もそこに収録されていた。経歴を見ると、1938年に安川電機入社、74年同社を定年退社とあり、私が聞いていた旧・八幡製鉄に勤められていたという経歴はどこかで混線していたようだ。けれども河野さんが記憶していた私のプロフィールも、なんと小倉駅長の息子だというから、これもどこでどうして間違ったのか。ということで、お互いに記憶を少し修正し合い、私は高校生時代に一瞬遭遇した、ふたりの詩人の現在にまで及ぶ詩活動の長い航跡を読みふける機会を得たのだった。

2006.12.22 植田実


『沙漠』Vol.7(コピー)
発行所:沙漠社
発行日:1953年9月10日
サイズほか:21.2×10.3cm 表紙を含めて24頁

『沙漠』No.12
発行所・サイズは同上 表紙を含めて20頁
発行日:1954年10月20日 



『沙漠』No.244
発行所:沙漠詩人集団
発行日:2006年11月10日
サイズほか:14.7×20.9cm 表紙を含めて32頁
頒価:300円
























植田実のエッセイ



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