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植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」
第4回 「シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による」  2011年4月4日
「シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による」
会期:2011年2011年2月9日(水)―5月9日(月)
会場:国立新美術館


 いつだったか、ポンピドゥセンターのサルバドール・ダリ大回顧展に行ったことがある。おかしかったのは絵を展示している壁の下部が連続して黒い布でおおわれ、風船のようにふくらんでいる。見た眼のデザイン上の発想でもあり、ラインや柵では観客が絵に近づくのを防ぎきれないための工夫でもあるようにみえた。それを裏づけるように、たいへんな数のおしあいへしあいしている観客は身体が絵に触れたりするのを避けられるが、子どもたちは布風船の上によじ昇って指で作品を突つかんばかり。「ほら、ここを見てよ!」などと声をはりあげている。ダリの絵はたしかにおもしろい。笑いや驚嘆の声、各自それなりの講釈の声がこれほどあふれ返っていた美術展はあとにもさきにも知らない。
 そのポンピドゥの所蔵品から精選されたにちがいない作品群、そしてシュルレアリスム史を十全に教えてくれる資料と全体構成による展示だろうと思いながら竜土町の国立新美に行ったが、期待は裏切られなかった。意外だったのは見に来ている人の多さ。「この絵描きさんの頭のなかはどうなっているの」とか「アンドレイ(なぜかそう呼んでいる)という人がリーダーみたいね」とか若い声が飛び交い、みんなすごくおもしろがっている。なんだかうらやましい。
 マン・レイの写真が例によって小さいし、マックス・エルンストの待望のコラージュ《百頭女》が6点出品されているがこれもディテールをじっくり見るのに一苦労する。書籍、雑誌、ビラなどの資料にはオペラグラスを目から離せない。時間がかかる。この時期、終了時間が繰り上げになっているのに気がつかなかったから少しあわてたが、急いでも2時間かかった。映画4作品を見るとしたらあと1時間は必要だ。
 大きくは5つの時期からなる5つの会場で構成されている。1919-24(ダダからシュルレアリスムへ)、1924-29(ある宣言からもうひとつの宣言へ)、1929-39(不穏な時代)、1939-46(亡命中のシュルレアリスム)、1946-66(最後のきらめき)。そして展示作品はその傾向を解説するキーワード(内的なモデル、自動記述、偏執狂的=批判的、オブジェ、欲望など)でさらに細分化されているが、これまで日本で開かれたシュルレアリスム展は、最後の1946-66年の時期の、アートとして一般にもなじみやすくなった作品群にやや偏っていたのではないかと、この展示を見てあらためて思った。ポンピドゥセンターのように長い歳月をかけて系統的に集めることができなければ、そうなるのも当然だろう。いいかえれば今回のシュルレアリスム展は楽しいばかりとはいえず、「革命」の傷みが否応なく伝わってきて、辛いようなところがある。「破壊」の炉心がいまも見る者の前で稼働している。
 たとえばエルンストは初期の《解剖―花嫁》《ユビュ王》からすでに完成度が高く優雅でさえあり、60-70年の《最後の森》《三本の糸杉》、あるいは彫刻もふくめてその作品は変わらずソフィスティケートされている。対してヴィクトル・ブローネル(なんと20点近くを出品。ダリ2点、ポール・デルヴォー1点と比較すると位置づけがよく分かる。ルネ・マグリットでさえ7点)の直接的にして切開的な作品は各時代を通じて奇妙な声をあげつづけ、最終の部屋では画風は一転して民画的ともいえる平面パターンになるが、それでも不安の星からやってきたような衝撃力は衰えていない。
 これまで日本で私が見る機会を得たブローネルは3、4点しかなく、それだけに嬉しかった。この画家についての関心が一挙に高まったのは、1988年に他ならぬ綿貫さんと、エッフェル塔関連の取材でフランスに行った折にパリのシュルレアリスムアートの収集家のお宅に偶々うかがってブローネルの油絵を見せてもらってからである。たった1点だが、それまではちょっとした変わり者と思っていたのを、足元すくわれたくらいに驚いた。この人には誰にも見えないものが見えている。それを絵画作品にするつもりもなく、写真を撮るようにストレートに描いているのだと。その作品をあとで彼の画集で確認はしたのだが、実物に接していなければ見過ごしてしまうような図柄である。
 ブローネルをはじめとして、日本ではなかなかお目にかかれないアーティストたち(アンドレ・マッソン、ジョセフ・シマ、マリー・トワイヤン、ドロテア・タニングほか)のすごい作品がここに惜しげもなく大量に投与されている。この美の激震のなかでシュルレアリスムの本体がすこしは見えてきた気がするが、それも全貌のごく一端にすぎないこともよく分かったのだった。
 ほんとうはこれらの作品の内容をもうすこし論じなければいけないのだけれど、いままでと異なる展示の「外形」をまず紹介しておきます。図録はこれから読むつもり。
(2011.3.27 うえだ まこと)

植田実 Makoto UYEDA
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。

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