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植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」
第11回 「パウル・クレー おわらないアトリエ」展  2011年7月12日
「パウル・クレー おわらないアトリエ」展
会期:2011年5月31日(火)―7月31日(日)
会場:東京国立近代美術館

 あらためてクレーの年譜を見直してみると、この人は16歳のときにはもう、山や浜辺や樹木の、絵画作品というよりは見事な自然観察記録に近い水彩を描いていたり(*1)、24歳にしてあの精緻でグロテスクで皮肉な銅版画シリーズ「インヴェンション」を手がけていたり(*2)、いろいろなスタイルや技法に手を染めているのだがそのどれもが魅力的だし完成度が文句なく高い。
 1902年、23歳のときにカメラにハマり現像までやるかと思うと、05年にはガラス絵を始めるし、10年にはパントグラフを使った素描実験、11年には自作の作品目録を制作しはじめてそれは生涯にわたったという。今回の展示のポイントのひとつである「油彩転写」は1917年頃からのものらしい。何にしても試みはじめたときにはすでに完璧な表現に達してしまっていたわけだし、自分の作品とそのデータを管理する意識と能力も半端じゃなかったようだ。画家というより科学者みたいな気さえする。
 今回の展示企画はそうしたクレーの技法の局面を徹底して実証するという筋を通していて、「油彩転写」のほかにもいったん描いた作品を切り離したり向きを変えたり、紙やキャンバスの表裏に描く絵に連続性をもたせたりという、思いがけない破壊と再構成の作業過程をとことん見せられる。これまでのクレー展みたいに彼の素晴らしい描線と色彩にうっとり包まれるといった充足感とはちがって、彼のあくなき自己照合の厳しさに、でもやはりその充足が会場にみなぎっている。これまでに見知ってはいたアトリエ内の光景を記録した写真にまでも新しい読みとりと分析の目配りがされているのにはほんとうに驚いた。「パウル・クレー研究展」と名づけられてもいいくらいだ。けれども当然そこで扱われているのは技法のための技法ではない。絵画が純粋な美しさからひそかに思想へと向かう(政治的社会的思想と、ときによっては言ってしまってもいい)技法であると、私には感じられた。クレーは何をやっても正確・完璧(ピカソのような壮大な完璧さとはすこし違うかもしれないが)である。しかし絵画が時代状況によって思想を帯びざるを得ないとき、彼の完成された絵画は果てない未完成に変わる。自分の作品に鋏を入れて切り離し、あるときにはそれを90度または180度回転させて台紙に貼ったとしても、クレーにとってはもうプロセスのなかの絵画という、新しい見えかたのなかにしか目指すものは存在しないことになった。一分の隙もない線描と色彩のハーモニーを期待して集まってきたファンたちは、この底知れない亀裂をどう受けとめるだろうか。

*1 1995年7-8月大丸ミュージアム・東京「パウル・クレー展」で展示
*2 1980年9-11月西武美術館「生誕100年記念 パウル・クレー展」で集中的に展示

 会場はテーマごとに6ブロックに分けられた作品群を、6つの不整形のアイランド状に構成された壁面に展示していて、これが思いがけないほど見やすい。迷路的になっていながらひとつのブロックから次のブロックに進む動線に切れめがなく、ほとんど意識せずともスムーズに渡り歩いていけるし、アイランド状の壁だから入隅が少なく、人が渋滞することがない。解説的な要素が多い展示(最近はこうした企画展が少なくない)にはありがたい工夫である。
 図録もこれまでにないほど精緻で美しい。研究書といっていいくらいだし、クレーの知的な仕事の質がそのまま伝わってくる。ただそれぞれの論文で次々と指摘されている図を、思い切り小さな文字の頁数(ノンブル)や作品番号の指定に従って探すのがなんともわずらわしい。ノンブル自体がまた意地悪なくらいに小さい。本のなかを行ったり来たりのなかで論文そのものも落ちついて読めない。視力の衰えている者には辛い。
 勝手を言えば、論文内で指摘される図は(作品頁とダブってもかまわないから)欄外のすぐわきに小さく出す。註としてのノンブルと作品番号は本文と同じか、逆にもっと大きくする。といった文字組みのフォーマットは考えられないのだろうか。作品は会場でまた図録の作品頁で、ひと通り見て頭に入っている。欄外の註的図像はその記憶をスムーズに呼びさませる。そして何と言っても論文を一気に読み通すことができる。展覧会図録はたんなる作品集でも論文集でもない、もうひとつの機能――観客に展示企画の意図を十全に伝えることが不可欠だ。そこにはルーティンワークとしての安定した文字組みやブックデザインに、ズレや逆転をつくり出す可能性がひそんでいる。ただ分かりやすく親切な図録であればよいと言うつもりはまったくない。もっと読むことにたいして正確かつ挑戦的な図録であってほしい。今回のように精密な図録をつくり得たデザイナーにこそ、ないものねだりをしたいのである。
(2011.7.7 うえだ まこと)

植田実 Makoto UYEDA
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。

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