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植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」
第21回 「杉浦康平・脈動する本―デザインの手法と哲学」展・「杉浦康平・マンダラ発光」展  2011年12月11日
「杉浦康平・脈動する本―デザインの手法と哲学」展
会期:2011年10月21日(金)―12月17日(土)
会場:武蔵野美術大学美術館 展示室3

「杉浦康平・マンダラ発光」展
会期:2011年12月1日(木)―12月24日(土)
会場:ギンザ・グラフィック・ギャラリー

 2004年10月にギンザ・グラフィック・ギャラリーで「疾風迅雷―杉浦康平・雑誌デザインの半世紀」展が開催された。タイトル通り、杉浦がデザインしてきた代表的な30種の雑誌が一堂に会した回顧展だが、展示構成にも当然杉浦の考えが徹底しているので、会場風景がそのまま30雑誌(点数にして500近く)を統合再編集した途方もない大きさの、もうひとつの雑誌のようだった。このときにつくられた図録がその内容をよく伝えている。私が編集に関わった「都市住宅:(1968年創刊、鹿島出版会)も杉浦の雑誌デザインの一項であり、図録には当時のやりとりについての小文を書かせてもらっている。
この企画展について説明し出したらきりがないが、今回はその第2弾としての、数多くの単行本、その異種とでもいうべき豪華本(という表現はあいまいだが本としては隔絶したありかた)や東京画廊カタログ(一画廊の、小さいが案内的印刷物とオブジェとの間を往復する試み)やダイアグラム(「マップ」の手法を多方面に活用することで人間の身体や国土環境についての概念を一変させる研究的!ダイアグラム化)などによって、東京藝術大学美術学部建築科の出身でありながら、近・現代建築に象徴されるいまの都市文明的環境からどんどん遡行していって「アジア」なるものの原像にたどりついた杉浦の全行程を辿る企画展である。
 武蔵野美術大学の会場は、800点以上の作品がテーマ別に8グループに整理され、新書などのシリーズから豪華本まで順に見ていくことができる。とくに実物を直接見る機会があまりなかった特装本などの全てがおそるべき密度で並んでいるのだ。
 ギンザのギャラリーのほうは、そのなかから「教王護国寺蔵伝真言院両界曼荼羅」、「天上のヴィーナス・地上のヴィーナス」(ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》と《春》)、「西蔵〈曼荼羅〉集成」の3作品の内容をさらにくわしくディスプレイして杉浦の「マンダラ造本宇宙」を解き明かしている。この3作品をひとつに重なるように見ることは、すなわちヴィーナスは大日如来でもあるという杉浦の驚くべき読み取りに向かい合うことでもあるのだ。
 両会場それぞれの図録が、2004年の「疾風迅雷」展のそれに続く同様のシリーズとして刊行されている。展示作品の作者がそのまま図録までつくってしまっているわけだから、会場の臨場感が封じ込まれている。一般の美術展とその図録にはない連動である。
 すなわち杉浦康平はデザイナーである。ふつうその肩書から理解される仕事とはまるで違うと思うのだが、会場に並んでいるのはどれも印刷されたもの、製本されたものばかりである。ごく簡単な指示メモが数点あり、それは杉浦の手になるもののようでもあるが、美術作品という評価基準から見ればそのわずかなメモだけが「美術」として拾われるのだろうか。あるいはこれら展示物のなかには駒井哲郎のエッチングを本仕立てにしたもの(埴谷雄高の「闇のなかの黒い馬」、丸山薫の「蟻のいる顔」など)や奈良原一高のオリジナルプリントを納めた畳(たとう)のデザイン(Seven from Ikko)などがあるが、ここではあくまで杉浦の作品として見ることになるのだ。いいかえればオリジナル作品を見せること見ることにあくまで依存する(たとえば何十年ぶりに来日した「着衣のマヤ」といった謳い文句に端的にうかがえるような)美術展からすれば異質なのである。
 どれほど私的な営みであろうとアートの製作を通して、自ずと世界に開かれるというより、そこにはデザインの対象となる詩人や小説家、画家や彫刻家、哲学者や歴史家の仕事をまず読み取る作業がある。それは世界に達してしまう読み取りである。つくられた本にそれが歴然としている。デザイナーの仕事であるといえば済むのかもしれないが、この尨大な本のひとつひとつに刻まれた深い読み取りの痕跡を前にして、人ひとりの作業の途方もない大きさに唖然とするばかりだ。「瀬戸内晴美長編選集」全13巻の、日本の小紋文様が13通りに藍染め風の手触り感のある表紙、「ライプニッツ著作集」全10巻の、じつに微細な●と▲の図形が銀の箔でグリッド状に、しかし方向が見分けのつかないほどに微妙にランダムに並べられることで、移ろう光に包まれている表紙などを挙げるだけでもその一端がうかがえるだろう。
 しかも彼の読み取りは本の表層にのみ反映しているのではない。本文デザインにこそ杉浦の真骨頂がある。雑誌のデザインではその性格からして表紙と本文フォーマットに終らざるをえないばあいがあるのに対して単行本が別の存在たる所以であるが、そこまで紹介する余裕がない。雄弁な図録をぜひ参照してほしい。
 本文デザインといっても文字組みや図面・写真のレイアウトに分けて説明しようがない。すべてが混然一体としている。見慣れない読者は戸惑うかもしれない。読むのに緊張する。ごく平易な文字組みや表紙の本で十分だという人もいるだろう。だが杉浦の本は、日頃私たちがふつうに接している本がある限られた時代の産物あるいは消費物にすぎないことを教えてくれるのである。大体からして、今日のブックデザインといわれるものの基本はじつは杉浦によるデザインから由来している部分がけっこう大きいのだ。それが匿名のデザイン・ソースとして勝手に使いまわされているといってもいい。杉浦はその自分自身の歴史をあっさり乗り越えて、これまで人間がつくってきたあらゆる時代あらゆる分野の本に対峙している。それぞれの時代と分野が不可欠とした本の形である。ヨーロッパ中世の写本やチベット仏教の経典、長く使われてきた航海図や地形図もその一項にすぎない。それらはすべて杉浦の視野のなかにある。たんなる本の愛好者・思索者ではない。超絶技巧の手と眼の持ち主(これを実証するエピソードにも事欠かないが、やはり割愛する)が世界の本のフィールドワークから得た視野のなかで、限られた機会によって実現した本が、いま2会場に集められ、自分たちの出自を生真面目に語っている。
 いまの世の常識からすれば、不穏な本の展示であり、回顧展とはむしろマギャクの空気に、訪ねる人は圧倒されるだろう。そこはどこかにワープしている空間である。
(2011.12.6 うえだ まこと)

植田実 Makoto UYEDA
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。

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