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植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」
第29回 「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」  2012年4月6日
「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」
会期:2012年2月10日(金)―5月6日(日)
会場:東京国立近代美術館


 駅貼りの巨大ポスターの謳い文句があまりにもノリがよかったので、もっともポロックらしい時期の大画面がこれでもかこれでもかというくらいにひしめいているのかと思いつつ出かけて行ったのだが、当の展示構成は各時代の作品をバランスよく精選して、ポロックの生涯をきちんと教えてくれ、60点あまりだから見疲れすることもない。見たあと、ずっとポロックのことを考えているので、とても良い企画展だったにちがいない。
 ずいぶん前に、東京の青山あたりでささやかなポロック展を見た記憶があるのだが(今回展図録の「国内個展歴」のリストにはその記録はない)そこではどれも小振りの作品ばかりで、期待していた大画面がなかったことの失望というよりは、小さなサイズなりに妙にまとまった絵になっていることがまるでポロックらしくないのに戸惑ったのだった。
 私がこの画家に寄せていた信頼は、初期の1930年代から40年代前半に描かれた油彩と素描によっている。実物を見ているわけではないがこれらの作品は文句なく好きだ。油彩は彼の教師でもあったというリージョナリズムの画家やメキシコ壁画の画家などの影響を受けているらしいが、はじめから自分を完全に直接的に描いていて習作という印象がまるでない。素描はそれ以上だ。手元には1985年に渋谷区立松涛美術館での「ジャクソン・ポロックの素描」展図録があり(これも見に行く機会を逸した)印刷されたものにすぎないがその神髄は十分に伝わってくる。ピカソやミロやマッソンのような形が断片的に見え隠れしているが、スタイルからも時代性からも逃れているのは完成された絵画ではなく意識下の測量的線描や色付けであり、きわめてプライヴェートなカルテでもあるからだろう。これら素描のほうは50年代初めまで続けられているが、そのいくつかはヴォルスを思い出させる。神経が剥き出しになったような繊細で痛々しい線描の城塞は他者を誰ひとり寄せつけないほど堅固だ。
 となると、私が機会あるごとに接しているポロックの実物はただ1点、国立西洋美術館常設展示室の出口近くにある大画面、だけど墨一色の筆使いで描かれた半具象的作品で、ここに来たら必ずそれだけは見て帰る。どの時代に描かれたのか考えもしなかったが、描かれているもののなんともいえないスケール感と何者かがはっきりとした形姿を現わす直前のおそるべき力感が、どういうわけかミケランジェロが天井画のために描いた原寸大の下絵の一部みたいな気持ちにさせるのである。
 日本におけるポロック環境では、だから肝心の最盛期の仕事については作品集などを見ても判断できず、いつか日本にやって来るまで待つしかないやと諦めていたその回顧展が今回実現されたわけである。
 もうひとつ重要で決定的なポロック像についてさきに言っておきたいのは、ずっと以前に見た彼の制作中の映像である。今回の会場で久しぶりに見ることができた。これについても後に述べるつもり。
 で、この回顧展はほんとうに教科書みたいにきちんと編集されていて、初期作品と素描のなかでも代表的なものが勢揃いしているし、西洋美術館の上の墨一色も呼び出されていて、それが「1951−1956年 後期・晩期 苦悩の中で」のセクションに属することを初めて知った。
 それに先行するのが「1947−1950年 成熟期 革新の時」で、私だけでなく多くの日本人がいわば「ポロックのポロック」に初めて面と向かうことができたのではないか。
 この時期の作品についてあらためて書くことはあまりない。その解読については図録の中林和雄(当館企画課長)という方による文章で極めつくされている感があり、絵を見ての漠然とした気分を次々と先まわりして正確に説いてくれる記述の流れにたいしては、自分なりの見方の切り口があるなんて到底思えないくらいだ。それを承知で、初めてポロックの森に分け入った印象を自分のためにメモするとすれば、これは画家自身が強く主張していることだが、ポーリング(流し込み)技法やドリッピング(滴らし)によりながら、それは往々にして言われてきた「偶然性」とか「カオス」の絵画ではない(「カオスなんかじゃない、くそったれ!」とポロックは反論している)ことが一目瞭然であるくらい精緻な画面なのである。これは今だから迷いもなく思えることで、そこに50年という時間を痛感する。彼が登場した当時は、アクションペインティングといった見方から外れることは不可能だっただろうし、完成した作品そのものについても新しい、かつてない美しさなどと、とりあえずは抽象表現を評価するしかなかったはずで、それを今の時点から、一面的な見方だと批判するのは後出しジャンケンと同じだ。逆にいえばポロックの作品が時代状況に抗していかに内的に堅牢につくられていたかを私たちは今知るのである。回顧展という展示形式の持つ意味をこれほど痛感したことはない。回顧のなかを現在、さらにこの先の時間がぐいぐいと押し上げてくる。それは2012年現在における新しい絵画の誕生といってもいいくらいだ。ポロックが同時代人だからではない。むしろ100年も1000年も前の画家のような幻覚に襲われる気分でさえある。
 彼の絵の特性をオールオーヴァー(均質的パターンで全画面を覆う手法)と呼ばれることがある。そこが実はよくわからない。カオスではないならば無限の宇宙の一部を切り取った表れなのか。中心はないかもしれないが周縁はありそうだし、人間世界における連続性や反復が反映されてみえることもある。それは彼の絵の精緻さにどのような位相で関わるのか。オールオーヴァーという表現システムだけを掬いあげるとすれば草間彌生のほうがより純粋に果たしているようにも思えるのだが、ポロックの多層のオールオーヴァーはそこに隠そうとしている形象の奥行きを表そうとしているのか、あるいはそこに隠されているものを推し出そうとする圧力なのか。
 1950年、ハンス・ネイムスが撮影した制作中のポロックは、これまでにない画家の姿である。床に置いたキャンバスのまわりを動きながら絵具や塗料をポーリングし、ドリッピングする。まさにオールオーヴァー的アクションペインティングなのだが、それとは正反対の営みにも見える。体操選手かダンサーに似て、おそろしく高度な一分の隙もない動きは、キャンバスと画家との従来の関係を解体し、絵を描く眼と手と身体と、そして時間とがまったく新しく再編成されている。それは天賦の才能によるものなのか、それとも結果としての作品からはうかがわれない秘密裡のトレーニングによるものなのか推測しようもない。同じように謎めいた画家の制作中の映像を見たことがある。棟方志功が大きな板に目と鼻と口を押しつけんばかりに近づけて、下描きもなしに一気に彫りつづける姿である。その結果がどうしてあのような、たしかに自由闊達でありながらも整然とした作品になりうるのか。板を介して描かれる対象と描く者との関係が通常と違うところにあったとしか思えない。ポロックもそう。
 ポロックはその生の始まりから死までがあまりにも劇的であったために、彼の作品について考える前に、ひとりの生涯にきりもみ状に呑みこまれてしまい、作品は閃光の如き短い時間の出来事のように思いこんでしまいそうになる。その絶頂期(図録では1947−50年の4年間)は、あとに苦悩の晩期が控えているためにとくに一瞬の輝きとも見えてしまうのだが、それらの作品1点1点を仕上げるのにどれほどの精神的集中と身体的消耗をもって贖ったか想像もつかない。その4年間は100年間に相当するにちがいない。図録では全体図と部分図を併載している作品が多いが、それらを見ているととくにそんな気持ちになる。1998年から99年にかけてニューヨーク近代美術館で開かれた回顧展図録ではその対比がさらに劇的に強調され、作品数自体も多いが、全体図と部分図とをまるで異なる作品のように見せている。だから晩期の方向転換について図録では「いったん自分の中で一つの頂点を極めたと感じたあと、真の前衛芸術家たるポロックは、そこに留まっていることはできなかった」と擁護しているのはまったくその通りだと思うのだが、ただ単純に、心身能力を使い果たしてひと休みせざるを得なかったとも思えてくる。私の言い分を通すなら、なんせ100年間働いたのだ。
 その晩期の作品は14点が展示されている。「頂点を極めた」あとのこれら「ブラック・ポーリングにおける具象的なイメージの復活」に、ある意味ではとくに関心と共感をもった。他人事じゃないみたいな。人の頭部を描いたものやどこか勢づいたパターンに身をまかせている半具象にはウォーミングアップみたいな段階だと思ったが、何か大いなるものを迎えようとしている気配は確実にある。このなかでの最高傑作はさきに述べた国立西洋美術館所蔵の作品≪ナンバー8.1951/ 黒い流れ≫である(と私は独断的に思う)。ポロックが事故死しなければ、また制作のための心身をぎりぎりでも保っていたならば、さらなる永遠的な作品が生み出されたこと間違いなしと思う。
 もうひとつ、ポロック問題を彼個人の生涯のなかだけでは完結できないと感じたのは、イネス・ジャネット・エンゲルマンの『ジャクソン・ポロックとリー・クラズナー』(杉山悦子訳 岩波書店 2009)を、近代美術館のミュージアムショップで図録と一緒に買って読んでからである。リー・クラズナーの絵は前から好きだったけれど、まさにポロックの晩期について書かれた「創造力の秘密:ポロックの衰退、クラズナーの成長」の章は、ポロックの方法の有効性の在り処を否応なく示唆している。流派や時代性に関わりなく誰にとっても自分で自分に問うしかない「ジャクソン・ポロック」が、ちらっと鮮明に見えてきた。
(2012.4.1 うえだ まこと)

植田実 Makoto UYEDA
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。

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