ときの忘れもの ギャラリー 版画
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写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング
第4回フォトビューイング 口上(つづき) 原茂
2010年12月12日
  「知る人ぞ知る」だった風間さんのお名前が知られるようになったのは、2006年に「日本写真協会新人賞」、「写真の会賞」、「地方出版文化功労賞奨励賞」を立て続けに受賞されてからですが、そのきっかけとなったのは言うまでもなく、写真集『夕張』(寿郎社、2005年)です。
 今回のビューイングの中心になる「夕張」シリーズが、このような形でまとめられるに至った経緯について、出版元の「寿郎社」代表の土肥寿郎さんが、「『風間健介写真集 夕張』出版までの経緯」として、次のような文章を寄せて下さっています。風間さんの作品がどのように受けとめられ、多くの人を巻き込み、突き動かしながら、ひとつのかたちを取るに至ったかについての貴重なドキュメントかと思いますので、以下に転載させていただきます。
 なお、「寿郎社」のホームページの「既刊案内」では、「風間健介写真集 夕張」は、次のように紹介されています。

『風間健介写真集 夕張』
風間健介
2005年8月25日発売/税込価格5.040円

夕張の炭坑遺産と日本の原風景ともいえる町並みを
16年に渡って撮り続けた心ゆさぶるモノクロ写真の数々。
時代に反逆する写真の“原石”

人間と時代の深奥を印画紙に定着させた奇跡の写真集

夕張の風景………6
風を映した街……30
発電所と機械……46
消えた街…………152

解説
夕張のこと 佐藤時啓……170
晒す光、注ぐまなざし 大西みつぐ……170
16年に及ぶ営為の集大成 長野重一……172
滅びの美に魅せられた男 梶原高男………172
人間の崇高さと惨めさ 東直己……………174

取材地リスト……………188
あとがき 風間健介……194


<以下転載>

『風間健介写真集 夕張』出版までの経緯  寿郎社代表 土肥寿郎

 初めて風間健介に会ったのは二〇〇〇年のたしか夏。寿郎社を興したばかりの頃だ。中年にさしかかった一人の男が会社を尋ねてきた。ぜひ自分の作品を見てもらいたいと。
 男は三重県出身の写真家で、夕張の風景に魅せられて移住し空知地方の炭鉱遺産などを撮っていると言った。しかし私は彼を全く知らなかった。そして失礼ながらその風体はみすぼらしかった。男が紙袋から取り出した六ツ切写真の束を、私はあまり期待せずに見た。
 驚いた。夕張の街並や発電所、炭鉱関係の機械類が完璧な構図とピントで焼き付けられていた。そこに写し取られた無機物たちは、モノクロながら、いやモノクロであるがゆえに神々しく美しかった。一見廃墟写真のようにも見えるが、しかしそれとは何かが決定的に違っていた。その迫力に圧倒されながら私は言った。「今時こんな写真を撮る人はいない。写真集にまとめれば土門拳賞でも木村伊兵衛賞でも取りますよ、これは」
 もちろんその男風間健介は、写真集を出したいと言った。
「こんなすごい写真なら私も出したいが、写真集は金がかかるうえに売るのが難しい。なにしろ我が社は立ち上がったばかりで金がない。すぐには無理です」。そう答えると、「ではどこか他から出せないだろうか」と問われて、私はすぐさま北海道新聞出版局図書編集部の親しい編集者に電話を入れた。
「すごい写真を撮っている人が夕張にいる。うちでは無理だから道新でどうだろうか」
 風間さんの写真を見たその編集者は、社内の企画会議にあげてくれた。が、結局それは通らなかった。
 風間さん以上に私はがっかりした。「風間さんの写真集、いつか必ずうちから出すから、儲かるまで待ってて」と言うしかなかった。
 風間さんはその後、道内外の若手写真家たちと札幌や東川町でゲリラ的な写真展を精力的に開催していった。私はできるだけ足を運び、風間さんと親交を深めた。そして写真を見るたびに彼の写真集を早く出したいと思った。しかし寿郎社は儲かるどころか年々赤字がひどくなっていった。
 風間さんと出会ってから一年が経ち、二年が経ち、三年が経ち、四年が経った。その間私は「もう少し待って」と言い続けた。そして二〇〇四年の初秋、風間さんからメールが来た。〈もはや、夕張での作家活動はあきらめました。体調も悪くてバイトができなくなり、とても食っていけない。夕張に十五年いたが、今年中に引き上げます。最後の写真展を我が家で行うのでぜひ来てほしい。写真展が終わったら東京で仕事を探します〉という内容だった。
 私の心情は複雑だった。一言で言えば、残念無念、忸怩たる思い、だが、それだけではおさまらない。
 夜、風間さんとも親しい写真家の車に乗せてもらい、札幌から一時間半ほどの夕張に向かった。車中でさまざまなことを考えた。
 夕張に着いたのはかなり遅い時間だったが、風間さんは手作りの料理とお酒を用意して待っていてくれた。私は車中でまとめた自分の意思を風間さんに伝えた。
「風間さんの写真集を出すことに決めました。だから、まだ北海道にいてほしい」
 札幌で出版社を始めて、そこで世界に通用する本物の写真家と出会って、その作品を本にする前に写真家は絶望とともに北海道を去って行く。このまま東京へ行かせてしまったら、自分はなんのために北海道で出版社をやっているのかと、たぶん一生後悔するだろう。後悔はしたくない――そんな思いだった。
 風間さんは、それならとりあえず写真集ができるまで移住は延期すると言ってくれた。
 そして私たちは深夜まで酒を飲んだ。
腹は決まった。あとは、編集者として全力を尽くすだけだ。すぐには売れなくともよい。ここまで待たせたからには、納得のゆく本を作ることだ。日本だけでなく世界に通用するレベルのものを。金などなんとかなる。町工場の旋盤工をしながら小説を書き続ける職人作家小関智弘の言葉が思い浮かぶ。〈苦しさを、本物を作ることではね返す。それがモノを作る人間の矜持ではないか〉

 二〇〇四年初冬。風間健介の焼いたモノクロ写真をカバンに詰めて札幌から東京飯田橋に向かった。写真評論家でもある稀代のブックデザイナー鈴木一誌に会うためだ。鈴木氏に言う言葉は決まっていた。
「夕張に風間健介という、乞食みたいな生活をしながら写真を撮り続けている男がいる。作品を見てほしい。そしてもしそれがよければ造本をお願いしたい。鈴木さんの力を貸してほしい」と。

それから一か月ほど後の師走。忙しいスケジュールを調整して鈴木一誌氏は冬の夕張まで来てくれた。そして、廃校を利用した宿泊施設の中で風間さんとともに写真選びをしてくれた。それはなかなかの修羅場だったが、写真集に収めるすべての写真を選び終わった時、風間さんも鈴木さんも私も心地よい疲れとなかなか鎮まらない興奮状態の中にいた。夕張本町の居酒屋へ行き、飲んだ。
 氷点下のしばれる深夜、人気のない繁華街を、白い息を吐きながら私たちはほろ酔い加減で歩く。自身もカメラを持ちながら鈴木さんは、風間作品そのままの雪に覆われたの古い家々を見渡しながら「いいねえ」としみじみ言い、レンズを向けた。そんな鈴木さんの後ろ姿を風間さんがじっと見つめる。
「鈴木さん、足下すべりますから気をつけてください」
 そう言いながら私は確信した。いい写真集になる。心の中で拳を握った。
(どいじゅろう、寿郎社代表)

風間健介
<風を映した街>より



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