ときの忘れもの

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瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI

詩人・美術評論家・造形作家。富山県出身。戦前・戦後を通じた、前衛芸術の精神的・理論的支柱といえる存在。西脇順三郎を通じて知ったシュルレアリスムの紹介・普及に、生涯にわたり注力した。慶應義塾大学在学中にA.ブルトン『超現実主義と絵画』(厚生閣書店、1930年)を全訳し、前衛詩の極北とされる一連の実験的な詩も執筆した。1931年に卒業後、36年頃まで映画製作所PCLに勤務する傍らブルトンらと文通し、シュルレアリスム文献の翻訳や評論を発表、また多くの前衛芸術家グループも指導した。37年には「海外超現実主義作品展」(銀座の日本サロンほか)を山中散生とともに開催した。当時のシュルレアリスムは国際共産党と対立していたが、41年4月、治安維持法違反の嫌疑で福沢一郎とともに特高に検挙され、起訴猶予処分による11月の釈放後も保護観察下に置かれ、活動は抑圧された。

戦後は「時代の証言者」とも評される多彩な活動を展開した。読売アンデパンダン展(49~63年)などの眼識のある展評により、若手作家から絶大な信頼を寄せられた。51~57年、神田駿河台下の画材店竹見屋の依頼でタケミヤ画廊を運営し、208回の展覧会を通じ河原温、草間彌生らを輩出した。51年に北代省三、山口勝弘、武満徹、湯浅譲二らが結成した「実験工房」の活動も、命名者として後見した。58年、ヴェネチア・ビエンナーレの代表・審査員として訪欧し、イタリアの彫刻部門代表L.フォンタナに絵画・彫刻の両部門で投票した後、ブルトン、M.デュシャン、S.ダリらと面談して帰国した。

60年以降、執筆の重心を美術批評から展覧会序文へと移し、また自らも水彩やデカルコマニーなどの制作を開始し、個展を6回ほど開催した。国立近代美術館運営委員(52~64年度)などの公職を退く一方、赤瀬川原平の「千円札裁判」(65~70年)では特別弁護人を買って出た。63年、架空の「オブジェの店」の開店を構想し、店名の命名をデュシャンに依頼すると、有名な女性変名「ローズ・セラヴィ」を贈られ、返礼に『マルセル・デュシャン語録』(後出)を刊行した。以降もデュシャン研究に従事し、心筋梗塞で没した。

著書に『近代芸術』(三笠書房、1938年)、『ミロ』(アトリヱ社、1940年)、『幻想画家論』(新潮社、1959年)、『余白に書く』(みすず書房、1966年)、『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』(思潮社、1967年)、『シュルレアリスムのために』(せりか書房、1968年)など。

造形作家との共作に、阿部芳文(展也)との『妖精の距離』(春鳥会、1937年)、北川民次、瑛九らとの『スフィンクス』(久保貞次郎私家版、1954年)、デュシャン、J.ジョーンズ、J.ティンゲリー、荒川修作との『マルセル・デュシャン語録』(東京ローズ・セラヴィ、1968年)、J.ミロとの『手づくり諺』(ポリグラファ社、1970年)、同『ミロの星とともに』(平凡社、1978年)、岡崎和郎との『檢眼圖』(東京ローズ・セラヴィ、1977年)など。
(執筆:土渕信彦)

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