「織田一磨石版画展」
会期:1979年11月16日~25日
会場:美術館松欅堂(愛知県豊田市)

創作版画の人々―1
織田一磨
カタログ:B5版 64ページ
企画:美術館松欅堂/現代版画センター
執筆:小倉忠夫
発行人:綿貫不二夫
発行所:現代版画センター
発行日:1979年11月16日
18世紀末から19世紀初頭にかけて、自らひきいる芝居の一座の脚本と楽譜を印刷することを目的としてゼネフェルダーが発明、開拓した石版印刷術は、たちまち印刷技術の花形として世界中に広がり、ポスターからマッチのラベルに至るまで幅広く利用されました。単なる複製化の手段としてばかりでなく、ゴヤ、ドーミエなどによって新しい版画の一表現手段として展開され、今世紀に入り、ボラールを始めとする近代的な画商達の出版活動に支えられ、石版画(リトグラフ)は、今や現代版画の中で欠かすことの出来ない大きな位置を占めています。
印刷分野における石版術自体は、次の新しい技術(オフセット方式)によって駆遂され、日本に於いても明治初め以来、隆盛を誇り街の印刷所に沢山あった石版石も次第に消えていきます。
織田一磨は、このような石版術の印刷分野に於ける興隆と衰退の時期を身をもって生き、日本に於ける創作石版画のパイオニアとして少年時代から死ぬまで石版画をつくり続けたのでした。
「純芸術的立場を有する自画石版の存在を明かに」することを生涯の道とし、作品の制作はもとより、未刊の大業「日本版画史」の研究など織田一磨の一生は、明治末「方寸」以来の創作版画運動の中でも特に異彩を放ち、また輝かしいものと言えましょう。
美術館松欅堂と現代版画センターでは、創作版画運動と総称される時代の作家と作品に光をあて、体系的な展示と基礎資料の作成をはかる連続企画『創作版画の人々』の第一回として「織田一磨 石版画展」を開催致します。作家自らの執筆になる〝自画石版目録〟に記された346点の作品の中より、遺族の方々のご好意により、40余点を選び展示致します。
石版作家としての歩み、技術と芸術に対する先見的な考え、浮世絵研究に於ける該博な知識、蝶や植物の採集を始めとする自然科学への傾倒など織田一磨の魅力は今日の私達に大きな刺激を与えるものであり、今回の試みが更に広い視野での再発見のきっかけとなれば幸いです。
1979年11月 美術館 松欅堂 現代版画センター
●『創作版画の人々―1 織田一磨』図録

会期:1979年11月16日~25日
会場:美術館松欅堂(愛知県豊田市)

創作版画の人々―1
織田一磨
カタログ:B5版 64ページ
企画:美術館松欅堂/現代版画センター
執筆:小倉忠夫
発行人:綿貫不二夫
発行所:現代版画センター
発行日:1979年11月16日
18世紀末から19世紀初頭にかけて、自らひきいる芝居の一座の脚本と楽譜を印刷することを目的としてゼネフェルダーが発明、開拓した石版印刷術は、たちまち印刷技術の花形として世界中に広がり、ポスターからマッチのラベルに至るまで幅広く利用されました。単なる複製化の手段としてばかりでなく、ゴヤ、ドーミエなどによって新しい版画の一表現手段として展開され、今世紀に入り、ボラールを始めとする近代的な画商達の出版活動に支えられ、石版画(リトグラフ)は、今や現代版画の中で欠かすことの出来ない大きな位置を占めています。
印刷分野における石版術自体は、次の新しい技術(オフセット方式)によって駆遂され、日本に於いても明治初め以来、隆盛を誇り街の印刷所に沢山あった石版石も次第に消えていきます。
織田一磨は、このような石版術の印刷分野に於ける興隆と衰退の時期を身をもって生き、日本に於ける創作石版画のパイオニアとして少年時代から死ぬまで石版画をつくり続けたのでした。
「純芸術的立場を有する自画石版の存在を明かに」することを生涯の道とし、作品の制作はもとより、未刊の大業「日本版画史」の研究など織田一磨の一生は、明治末「方寸」以来の創作版画運動の中でも特に異彩を放ち、また輝かしいものと言えましょう。
美術館松欅堂と現代版画センターでは、創作版画運動と総称される時代の作家と作品に光をあて、体系的な展示と基礎資料の作成をはかる連続企画『創作版画の人々』の第一回として「織田一磨 石版画展」を開催致します。作家自らの執筆になる〝自画石版目録〟に記された346点の作品の中より、遺族の方々のご好意により、40余点を選び展示致します。
石版作家としての歩み、技術と芸術に対する先見的な考え、浮世絵研究に於ける該博な知識、蝶や植物の採集を始めとする自然科学への傾倒など織田一磨の魅力は今日の私達に大きな刺激を与えるものであり、今回の試みが更に広い視野での再発見のきっかけとなれば幸いです。
1979年11月 美術館 松欅堂 現代版画センター
●『創作版画の人々―1 織田一磨』図録

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