磯崎新アトリエの平田さんから電話があり、磯崎先生との打ち合わせ日程が29日の15時からに決まった。29日なら、磯崎先生とゆっくり打ち合わせができるから・・・と考慮してくださったみたいだった。
ディスハウスから磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のゲラが届いていたため、綿貫さんと別々に校正を行った。第一期の磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の原稿の校正に従うことになり、照らし合わせて校正の原則を決めていった。
暗くなる前に、神保町にある紙屋さん「竹尾」に注文していた磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』たとうの題簽紙を取りに行った。
画廊に戻ると、植田実先生からFaxが届いた。先日依頼していたときの忘れものHPに新設した「植田実の本」というコーナーの原稿だった。植田先生が選んだ第一回目の本は『植田実の編集現場』だった。
18時過ぎに植田先生が来廊されるということで、早急にデータ化した。植田先生に校正していただき、先程やっていた『百二十の見えない都市』エッセイの校正も見て戴いた。
ディスハウスから磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のゲラが届いていたため、綿貫さんと別々に校正を行った。第一期の磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の原稿の校正に従うことになり、照らし合わせて校正の原則を決めていった。
暗くなる前に、神保町にある紙屋さん「竹尾」に注文していた磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』たとうの題簽紙を取りに行った。
画廊に戻ると、植田実先生からFaxが届いた。先日依頼していたときの忘れものHPに新設した「植田実の本」というコーナーの原稿だった。植田先生が選んだ第一回目の本は『植田実の編集現場』だった。
18時過ぎに植田先生が来廊されるということで、早急にデータ化した。植田先生に校正していただき、先程やっていた『百二十の見えない都市』エッセイの校正も見て戴いた。
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