ART OSAKA 2010が終了し、昨日撤収も完了しました。
搬入・展示・搬出をひとりで担当した(もちろん作家の井桁裕子さんがいたからできたのですが)尾立麗子から、終了後に携帯メールで「気味悪いとも言われたけど、すごく誉めてくださった方もいて、良かったです。」と送信してきました。
「気味が悪い」、何という名誉な言葉でしょう。
亭主の画商生活30数年でこの言葉を投げかけられたのは草間彌生だけでした。
さて、昨日は長谷川潔をご紹介しましたが、今日はやはり亭主の好きな世紀末ドイツを代表するマックス・クリンガーの銅版画をご紹介します。
音楽ファンなら、ライプツィヒのコンサートホール、ゲヴァントハウスのクリンガーの間に飾られていたベートーヴェン像を思い起こすでしょう(現在はライプツィヒ美術館(Museum der bildenden Kuenste Leipzig)で展示されている)。
クリンガーはこのベートーヴェン像のために多額の資金を投入し、実に16年もの歳月(1885-1902)をかけて制作した。1902年ウィーン分離派会館で行われた完成式典では、クリムトをはじめ分離派の画家達がベートーヴェンをモチーフに壁画を制作し、グスタフ・マーラーは義父カール・モルの依頼により、第九の合唱部分を管楽器用に編曲して分離派会館で演奏したという。マックス・クリンガーが同時代の世紀末芸術家達からいかに深い敬意を抱かれていたかがわかります。
マックス・クリンガー
《間奏曲》より 「海辺」
銅版 23.0x40.0cm
左下に版上サイン
台紙に貼り付けられています。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆版画集《間奏曲》全12点は、1911(明治44)年の「白樺主催泰西版画展覧会」(白樺主催第2回展覧会)、翌年の「白樺主催第五回美術展覧会」に出品されている。
この作品は、2009年の神奈川県立近代美術館他を巡回した「白樺100年」展にも出品され、西洋美術館にも収蔵されています。
◆マックス・クリンガー Max Klinger (1857-1920)
19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したドイツの芸術家。
1857年ライプツィヒに生まれる。カールスルーエの美術学校で学び、17歳で画家カール・グッソーに師事し、翌年ベルリン・アカデミーに入学。1983年から3年間パリで修業、ギュスターブ・ドレやゴヤの銅版画を研究する。1892年ミュンヘンでシュトゥックらが「分離派」が旗揚げするとそれに呼応して「ベルリン分離派」を結成した。
油彩・素描・彫刻・壁画装飾・版画など多彩なジャンルの創作活動に精力的に取り組む。中でも生涯に14作の版画連作など約450点の版画作品を制作している。
物語性の強い連作版画や、古今東西の音楽や思想、文学などが反映されたクリンガーの版画には、彼が執着していたテーマやモティーフが繰り返し描かれており(「生」「死」「愛」「幻想」など)、その独創的で幻想的なスタイルは、近代版画の新たな時代を築くとともに、同時代の音楽家、文学者、特にマックス・エルンストなどシュルレアリスム画家に大きな影響を与えた。
作曲家ヨハネス・ブラームスとも親しく、クリンガーの父が死去した際にはブラームスによって曲が捧げられている。
またクリンガーはドイツの画家としては珍しく、近代日本において早い時期に評価を受けた画家であり、特に『白樺』において、熱狂的な支持を得た。1920年、歿。
国立西洋美術館や高知県立美術館にコレクションされている。
故郷ドイツでは、2004年秋に開館したライプツィヒ美術館(Museum der bildenden Kuenste Leipzig)に、約100作に及ぶ絵画と彫刻、35の石膏像、300点のスケッチ・版画という世界最大のコレクションが収められている。
◆ときの忘れものは、2010年7月2日[金]―7月14日[水]12:00-19:00(※日・月・祝日休廊)まで、画廊コレクションからル・コルビュジエ、マックス・クリンガー、ドローテ・ジョルジュ、長谷川潔、池田満寿夫、草間彌生、パウル・クレー、他を展示しています。ぜひお出かけください。

搬入・展示・搬出をひとりで担当した(もちろん作家の井桁裕子さんがいたからできたのですが)尾立麗子から、終了後に携帯メールで「気味悪いとも言われたけど、すごく誉めてくださった方もいて、良かったです。」と送信してきました。
「気味が悪い」、何という名誉な言葉でしょう。
亭主の画商生活30数年でこの言葉を投げかけられたのは草間彌生だけでした。
さて、昨日は長谷川潔をご紹介しましたが、今日はやはり亭主の好きな世紀末ドイツを代表するマックス・クリンガーの銅版画をご紹介します。
音楽ファンなら、ライプツィヒのコンサートホール、ゲヴァントハウスのクリンガーの間に飾られていたベートーヴェン像を思い起こすでしょう(現在はライプツィヒ美術館(Museum der bildenden Kuenste Leipzig)で展示されている)。
クリンガーはこのベートーヴェン像のために多額の資金を投入し、実に16年もの歳月(1885-1902)をかけて制作した。1902年ウィーン分離派会館で行われた完成式典では、クリムトをはじめ分離派の画家達がベートーヴェンをモチーフに壁画を制作し、グスタフ・マーラーは義父カール・モルの依頼により、第九の合唱部分を管楽器用に編曲して分離派会館で演奏したという。マックス・クリンガーが同時代の世紀末芸術家達からいかに深い敬意を抱かれていたかがわかります。
《間奏曲》より 「海辺」
銅版 23.0x40.0cm
左下に版上サイン
台紙に貼り付けられています。
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◆版画集《間奏曲》全12点は、1911(明治44)年の「白樺主催泰西版画展覧会」(白樺主催第2回展覧会)、翌年の「白樺主催第五回美術展覧会」に出品されている。
この作品は、2009年の神奈川県立近代美術館他を巡回した「白樺100年」展にも出品され、西洋美術館にも収蔵されています。
◆マックス・クリンガー Max Klinger (1857-1920)
19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したドイツの芸術家。
1857年ライプツィヒに生まれる。カールスルーエの美術学校で学び、17歳で画家カール・グッソーに師事し、翌年ベルリン・アカデミーに入学。1983年から3年間パリで修業、ギュスターブ・ドレやゴヤの銅版画を研究する。1892年ミュンヘンでシュトゥックらが「分離派」が旗揚げするとそれに呼応して「ベルリン分離派」を結成した。
油彩・素描・彫刻・壁画装飾・版画など多彩なジャンルの創作活動に精力的に取り組む。中でも生涯に14作の版画連作など約450点の版画作品を制作している。
物語性の強い連作版画や、古今東西の音楽や思想、文学などが反映されたクリンガーの版画には、彼が執着していたテーマやモティーフが繰り返し描かれており(「生」「死」「愛」「幻想」など)、その独創的で幻想的なスタイルは、近代版画の新たな時代を築くとともに、同時代の音楽家、文学者、特にマックス・エルンストなどシュルレアリスム画家に大きな影響を与えた。
作曲家ヨハネス・ブラームスとも親しく、クリンガーの父が死去した際にはブラームスによって曲が捧げられている。
またクリンガーはドイツの画家としては珍しく、近代日本において早い時期に評価を受けた画家であり、特に『白樺』において、熱狂的な支持を得た。1920年、歿。
国立西洋美術館や高知県立美術館にコレクションされている。
故郷ドイツでは、2004年秋に開館したライプツィヒ美術館(Museum der bildenden Kuenste Leipzig)に、約100作に及ぶ絵画と彫刻、35の石膏像、300点のスケッチ・版画という世界最大のコレクションが収められている。
◆ときの忘れものは、2010年7月2日[金]―7月14日[水]12:00-19:00(※日・月・祝日休廊)まで、画廊コレクションからル・コルビュジエ、マックス・クリンガー、ドローテ・ジョルジュ、長谷川潔、池田満寿夫、草間彌生、パウル・クレー、他を展示しています。ぜひお出かけください。


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