ときの忘れもにには珍しく盛況の「エドワード・スタイケン写真展」は本日が最終日です。
画廊にはかぐわしい花の香りに包まれたスタイケンの名作群が皆さんをお待ちしています。
スタイケンと越前水仙
左は福井県大野のYさんから届いた越前水仙。
毎年、この時期になるとりんご、お菓子、お蕎麦まで、お客様からのいただきもので体重Up!
今年はお餅も届くらしい。
昨日のイブには某S堂の宝石のようなケーキをいただき、スタッフ大満足。
写真担当の三浦によると「この一切れでボクたち夫婦の夕食代より高い」とか。
美味しいものをいただき、その上作品も売れれば元気も出ます。

ところで掲題の「堀内正和、前川直、吉行淳之介」を見て、なんのこっちゃと思われるでしょう。
少し長い話になります。

ただでさえ客の少ないときの忘れものですが、企画展開催中はともかく、それ以外の期間(常設展示している)に来廊者があることはめったにありません。
まあ通常はゼロ、実に静かな日常で、聴こえるのはスタッフたちが打つパソコンのキーの音だけです。
靉嘔小鳥
靉嘔 Ay-o「小鳥

つい先日、企画展の準備作業中の折、珍しくも初めてのお客様が二組も来廊されました。

ともにホームページをご覧になって、作品を買いにいらっしゃったのですが、最初に来た方は靉嘔の作品を、後から来たご夫婦は、これも珍しいことに堀内正和先生の版画をお求めになりました。

堀内先生の幾何学的な形態の彫刻作品は、例えば上野の東京都美術館の入り口にある「三本の直方体B」をご覧になっている人も多いはず。亡くなられてから来年がちょうど10年です。
瑛九と同い年と言われるとあらためて驚きますが、亭主は生前何種類かの版画をつくっていただき、機関誌(版画センターニュース)に幾度も原稿を書いていただきました(たいへんな名文家でした)。

堀内正和「カクマルうずまき」左の「カクマルうずまき」(ネーミングからして凄い!)は、現代版画センターの会員用プレミアム作品としてつくっていただいた作品です。
京都芸大では多くの教え子に慕われ、私たちが開催する展覧会のオープニングにも必ず顔を出してくださいました。
そんな思い出の深い作家なので、つい嬉しくなって長い時間お客様と話し込んでしまいました。まあめったにない来客なのでヒマだったせいもありますが、おかげで思わぬ人の縁の不思議さにうたれる結果となりました。

堀内正和「三つの矩形」
堀内正和 Masakazu HORIUCHI「三つの矩形」
  Screenprint 1977  
  20×28cm Ed.75 Signed

堀内正和「咬みあう二つの形」
堀内正和 Masakazu HORIUCHI「咬みあう二つの形」
  Screenprint 1977  
  20×28.5cm Ed.75 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

そのお客様は折り紙作家なので(こういえば直ぐにおわかりになる方もいるはず)、堀内先生のあの幾何学的な不思議な造形に関心があり、ネットでときの忘れものにたどり着き、思いもかけず紙の「版画作品」もあると知り、訪ねてこられたというわけです。
そこで亭主の知る堀内先生のアトリエ(ときの忘れものから程近い原宿)の話になりました。
部屋中が紙のマケットだらけで、そのマケットを広げたり組み立てたりしながら、実現しない(難しすぎて実現させるには熟練の職人の腕と多大な費用がかかる)プランを嬉しそうに種々説明してくださるのですが、幾何や数学はまるで苦手な亭主はチンプンカンプンでした。
晩年、といっても1993年のことですが、資生堂ギャラリーの椿会展に堀内先生が選ばれ、それら実現しなかったプランが次々と実現し、資生堂のコレクションとなり、今では掛川の資生堂アートハウスに展示されています。
お客様には亭主が編集参加した椿会展のカタログをお見せしました(この第四次椿会には、立体では堀内先生はじめ、向井良吉、飯田善國、山口牧生、小清水漸、舟越桂の6名、平面では野見山暁治、大野俶嵩、中野弘彦、李禹煥、村上友晴、滝沢具幸、小嶋悠司、百瀬寿、堀浩哉、小野隆生の10名、計16名が参加した)。
すると、野見山先生のページに目を留められ、「昔、叔父が野見山先生と一緒の家に住んでいたので、よく遊びに行った」ともらされたので、野見山先生とはつい先日駒井哲郎展のオープニングでお会いしたばかりなので、「叔父さんってどなたですか」と訊くと、「マエカワ」というではありませんか。

驚いたのなんの、実は先月11月23日に亭主は岩手県立美術館で開催されていた「百瀬寿展」の最終日に駆け込みで盛岡へ行ってきたばかりです。
一泊二日の慌しい往復でしたが百瀬さんはじめ何人かの旧知の人たちと会い、「そういえばマエカワチョクさんが居た頃はにぎやかだったなあ」と昔話をしてきたばかりでした。

百瀬寿さんは北海道生まれですが、岩手大学在学中には野見山先生の特別講義も受けていたはず。その後ずっと盛岡に住んでおられます。
このブログで何度も書いたとおり、盛岡には亭主の師匠・上田さんが経営するMORIOKA第一画廊という知る人ぞ知る大画廊があり、1980年前後、亭主はしょっちゅう盛岡通いしていました。亭主が行くたびに上田さんは盛岡の名士を集めて大宴会を開き、遊んでくれたものでした。
それら名士の中心に前川直(1929~88)さんという画家で岩手大学の名物先生がいました。
繊細な線描で描くペン画を見れば、あっと気づく人もいるはず。
吉行淳之介「娼婦の部屋~」
吉行淳之介さんは前川さんの絵が好きで「薔薇販売人」はじめ、吉行さんの本の装幀を前川さんが多数担当しています。
MORIOKA第一画廊での前川さんの個展では吉行さんが文章を寄せ、「繊細過ぎて弱いと見る人もいるかもしれないが、じつは強靱な絵である」と述べています。

九州佐世保生まれの前川さんは東京美術学校を卒業し、自由美術家協会などに出品、最初は工業デザインなども手掛けていたようです。
30歳ごろから装幀に携わり「新潮日本文学全集全64巻」で装幀賞を受賞した翌1969年、岩手大学に迎えられ、多くの学生を指導し、盛岡の文化人としても名を馳せました。

鞄の中身
吉行淳之介著・限定版『鞄の中身』
装画・装丁:前川直
外箱:10.5×13.8×2.6cm
46頁 著者サイン入り
昭和58年4月10日発行
潮出版社刊

1
前川直の銅版画3点が挿入され、限定118部刊行された。
銅版3点には前川直の自筆サイン入り

23

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

夜の宴席で繰り広げられる豪放で、どこまでが本当か法螺なのかわからない抱腹絶倒の自慢話の数々と、あの細かな線で画面を埋めていくペン画の作者が同一人物とはどうしても思えず、いつも笑いこげ、楽しいひと時を過ごしたのでした。

前川さんが亡くなった後、やはり夜の宴会の常連だった市立図書館長が奔走して、木立の中に建つ小さな木造の図書館で遺作展が開かれ、吉行さんはじめ、三島由紀夫、太宰治、宮柊二、安部公房らの装幀仕事が展観され、あらためて装丁家としての前川さんの仕事の素晴らしさに感嘆したものでした。
吉行さんとは別のご縁があり、文庫本の装幀のお手伝いをしたこともあるのですが、それは又の機会にしましょう。
堀内先生、前川さん、吉行さん、皆さん鬼籍に入られました。

あれから20数年、まさか前川さんの甥ごさん夫妻が偶然に(堀内作品に導かれて)来廊されるなんて、世の中はなんて狭いんでしょう。