マン・レイ・イストの「アートフェア京都」観戦記その2  石原輝雄

 翌日の午後、四条烏丸の大丸百貨店に用事がある家人と連れだって外出。買い物の後、「アートフェア京都」に誘うと渋々承知してくれた。彼女が同行を躊躇するのは、わたしと展覧会に行くと時間が掛かりすぎると云う事らしい。道すがら眼にとまったのは倉田青果店の店先に置かれた朝堀りの破竹、にょろにょろとした長さかげんがオブジェみたいで面白い。これも柔らかくて美味しく季節が夏に向かうのだと感じられた。
石原輝雄原稿20110522

 それはさておき、二日目のホテルモントレ京都は5階の会場から拝見した。土曜日の為かエレベーター・ホールから人が溢れている。若い女性たちが多く活況の様子、家人の話によると、作家になることや作品を買うことがブームであるらしい──まだ、女性のコレクターを知らないけどね。今回の入場料は3日間通しで2,000円、チケットの裏面を見ると「預かり金2,000円」とある(5,000円以上の買い物をすると2,000円が割り引きされる仕組み)。展示品には作家ものの陶器やアーティスト・ジュエリーなどで廉価なものもあるから、コレクションの入り口としては入りやすいだろう。でも、集める魅力にとりつかれると恐い、人生を狂わせてしまう。もちろん、そんな同病者が現れるのを期待している訳です、マン・レイの競争相手にはならないでね(笑)。

 5階の展示も30室以上が使われている。まず508号室の東日本大震災支援・チャリテイー作品展示室でジョック・スタージスの特別作品を拝見。ベッドに置かれたカラーとモノクロの2点は完璧なプリント、眼鏡を外し裸眼で食い入るように見た、しびれるような美しさだ。もちろん売約済みの印が幾つか付いている。部屋を出て廊下を行ったり来たり、各部屋を回遊すると方向感覚がおかしくなって、家人にしかられる有様。それに昨夜、会話を交わした作家や関係者に挨拶をしつつの拝見なので、ちょっと勝手が違う。そして、コロタイプ印刷で知られる便利堂では、印刷の工程を示すビデオが流れていたので、なるほどと時間を忘れた。濱谷浩の写真集『女人暦日』の魅力を覚えているので、フランスのフォトグラーベ手法で刷られたマン・レイの『エレクトリシテ』との違いを確認したい訳。しっかりとしたパンフレット『永遠のさきがけであるということ。』をいただいて部屋を出ると、古い知り合いのI夫妻と出会う。記念のスナップ写真を撮ってしばらく昔話、今では芸大の教授となっているので「若い人の作品も買ってあげてね」と頼まれてしまった。角部屋の新生堂に入りNさんと昨夜の話題をひとしきり(わたしが帰宅したのは12時頃だったが、彼女は5次会までとか)。廊下を曲がって奈良と東京で活躍するGallery OUT of PLACEの野村さんの新しい仕事、石川真生の写真集『LIFE IN PHILLY』を拝見する、ちょっと衝撃的だ。
 ホテルを会場にしたアートフェアでは、客室に細かく作品が置かれるので、拝見するのに探す必要がある。広い空間に壁面展示であれば、観るペースもとりやすく疲れる事はないのだが──これは加齢によるものか。しかし、今回のようにインスタレーションの要素が入る展示は変化があって面白く、バスタブとトイレの扱いが個性的で、各出品者が競争をしているような感じでもあった。金魚すくいのおどろおどろした人形を水に浮かべる例もあるが、523号室のHARD FINE ART(京都)に出品していた南條敏之のように、実際の水にとらわれず、水を抜いた底面に置いた作品は、印画紙を現像するときの像の現れ方のようで、ちょっと上手いと思った。写真をやっている者には懐かしい記憶でもある訳。別の部屋で家人は気に入った器と出会い思案している、嬉しそうだ。
 「アートフェア京都」には企業の出展などもあって、個人主義者のコレクターとしては、不快な部分もあるが画廊も企業なので同じ事だと、思う事にした。それにしても、人をかき分けての作品との対話、傾向の異なる沢山の作品を一度に観るのはとても疲れる。興味惹かれる作品が続けばよいのだけど、こればかりはいたしかたない。
 4階に降りて、再び各部屋を拝見する。江寿コンテンポラリーアート(京都)の太田三郎による種子を封印し消印を押した切手たち、Acte2galerie & Art~scène3k(パリ)のJacques COURTEJOIEによる時間を削ったポラロイド、STANDING PINE – cube(愛知)の杉山健司による視覚からくりの立体、YOD Gallery(大阪)の新野洋による美しい昆虫、こうした作品に興味を持った。5階よりこの階の方が緊張感があるのよ、昨日、最初に拝見した為に印象が強いのだろうか。特に新野洋の作品はベッドの上に花々とともに置かれ、目を凝らすと姿を現す案配で素晴らしいと思った。数日の後、「アートフェア京都」が終わり418号室窓側のベッドで誰かが寝た朝、「青の時間」にアクリルと合成樹脂で形づくられた小さな虫が飛び立つのだろうな──そんな光景が目に浮かぶ。

 さてさて、遅くなったが「ギャラリー ときの忘れもの」の421号室を訪ね、お二人に昨日のお礼を伝へ家人を紹介する。楽しいが、ちょっと恐い時間「コレクターの奥さんたちに睨まれているから」と笑って綿貫さん、サラリーマン・コレクターは家族に不義理を重ねつつの人生だから辛い、家族か作品か、そんな二者択一なんて出来ないよな、最近読んだ齊藤哲也の『零度のシュルレアリスム』(水声社、2011年)には、ブルトンの優柔不断ぶりが弁護されていたので、これにすがって生きていこう。丁度、先輩のコレクターのAさんがいらっしゃって紹介される。オープンで収集を続けられれば、幸せなんだけどとつくづく思った。
  (いしはら てるお)
宮脇愛子オマージュ・マン・レイ
宮脇愛子オマージュ マン・レイ

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*画廊亭主敬白
二日間にわたり石原輝雄さんに「アートフェア京都」の観戦記を書いていただきました。
急なお願いにもかかわらず、メモを片手に取材、レポートして下さった石原さん、ありがとう。
昨日朝、21箱の荷物を運送屋に渡し、帰京しました。
いただいたたくさんの名刺や芳名簿の整理、何よりお買い上げいただいたお客様への納品にしばらくは忙殺されそうです。
搬入から搬出まで5日間、京都に滞在しましたが、今迄のどのアートフェアよりも気持ちよく過ごすことができました。思いつくままに感想を書いてみましょう。

国内のアートフェアで全日を社長と二人、会場でお客様に対応したのは初めてでしたが、おかげさまでいつもはメールだけでやり取りしていた西のお客様にたくさんお目にかかることができ、やはりお客様とのコミニュケーションこそが画商の原点だと再確認しました。
また三日目の日曜日には福岡からTさんが泊り込みで上京(まさに京にのぼる)してくれ、ありがたいことに終日お客様に対応してくださったのは、いつものことながら感激しました。
コレクターであるTさんが好きな作家の魅力を語ってくれるのですから、説得力があります。
尾形一郎・優さんの巨大な新作「ナミビア:室内の砂丘」を見てもどなたも実景写真だとは気づかない。「油絵ですか」「コンピュータで合成したんですか」「この砂はどうやって運び込んだのですか」というような問いに、Tさんが答えてくださる。
そこに地元のSさんも来合わせて、写真談義が盛り上がりました。

宮脇愛子先生の真鍮彫刻を4点持っていったのですが、さすがに立体というのは空間の支配力が抜群で、3点はそう大きなものではなかったのですが、たくさんの方が熱心に観てゆかれました。とても半世紀近く前の作品とは思えない、新鮮な力が漲っていました。
亭主は「アートフェア」というのは、その画廊の持っている一番素晴らしい作品をこそ出品すべきだと思っています。「若い人にも買えるような」とか、「買いやすいものを」とか考えて出品作品を選ぶことは、少なくともときの忘れものはしたくありません。
意図せずとも迎合的な姿勢はかえって質の低下を招き、未来のコレクターを育てることにもならないのではないか。
手が届かないこともあるのが優れた美術作品だと亭主は思うのですが・・・・。

メインの展示は、小野隆生宮脇愛子TSUYU尾形一郎・尾形優細江英公ジョック・スタージス井桁裕子の7組の作家でしたが、その他にもジョナス・メカス、植田正治、アンドレ・ケルテス、エドワード・スタイケンらの写真作品も展示しました。
写真ギャラリーとしてはまだ日の浅いときの忘れものですが、せっかく関西の皆さんにお会いできるのだから、私たちが自信を持ってお薦めできるものをお見せしたいと思ったからです。
それは正解だったかなと思います。

今回の主催者(事務局)は数軒の若い画廊さんだったようですが、皆さんフレンドリーで何度も各部屋に足を運ばれ、出展画廊とのコミニュケーションをはかっておられました。
売上げ的にはそう多くはなかったのですが、終始気持ちよく過ごせたのは、先ず来場者が非常に多かったこと、そして主催者の方の気配りが暖かだったことによるのでしょう。
この場を借りて、関係者の皆さんに謝意を表したいと思います。
ほんとうにありがとうございました。もしチャンスをいただけるのならば、来年もまた京都を愉しみたいと思います。