昨日は、橋口五葉展の紹介にかこつけて、恩地孝四郎 Koshiro ONCHIの木版画2点をご紹介しました。
いずれも恩地生前のもので、所謂オリジナル版画です。
恩地孝四郎の自摺り作品の大きなものはほとんど一般の市場には流通していません。
海外のオークションなどでたまに出ると、1千万円を越す高額落札も珍しくありません。
国内で比較的入手しやすいのが、所謂<後摺り(後刷り)>作品です。
中でも良く知られているのが<平井摺り>と言われるものです。
恩地孝四郎の戦前はほとんど売れることはありませんでしたから、頒布会や版画雑誌に挿入した比較的多い部数の作品以外は、オリジナルの部数は極端に少ない。
1945年8月戦争に負けて進駐軍(アメリカなどの占領軍のことを当時は進駐軍と呼んでいました)が日本に大挙やってきたのですが、その中には多くの文民が含まれていました。
つまり、本国では弁護士や学者などのインテリが軍服を着て来日し、日本の統治(占領政策)の遂行にあたったわけです。
多くの美術愛好家が含まれていました。
戦前は貧乏の代名詞だった版画家が時ならぬバブルに沸いたといえば言い過ぎでしょうか。
恩地孝四郎はじめ、優れた版画家の作品を進駐軍の将校たちが競って買ったのですね。
だから恩地孝四郎の優品の多くが海外に持っていかれてしまった。
亭主は恩地孝四郎にはお目にかかれなかったけれど、ご息女・三保子さんにはたいへんよくしていただきました。そのあたりのことも伺うことができました。
三保子さんは敬愛する父のために「恩地孝四郎版画集」の刊行に晩年の情熱を注ぎました。
しかし、ご自分の手許や、日本国内では恩地孝四郎のオリジナル作品が揃わない。英語の達者な三保子さんは海外のコレクターに依頼してその画像を借りようとしますが、先方は当然のことながらポジフィルムの使用料を請求してくる。三保子さんが何百ドルもの使用料を払わなければならないのを嘆かれていたのを記憶しています。
一般に流通する恩地孝四郎作品がほとんどないという背景もあって、父孝四郎没後の1968年前後に、ご遺族によって、残された版木を使い、浮世絵の摺り師・平井孝一による後刷りがされました。
これが<平井摺り>作品です。
恩地孝四郎の没後の後刷り作品は、この<平井摺り>作品が最初です。
<平井摺り>には下のようなシールが貼付されましたが、流通するうちに失われてしまったものも少なくありません。

ときの忘れもので開催している「クレー、カンディンスキーと恩地孝四郎展」にはこの<平井摺り>による恩地孝四郎 Koshiro ONCHIの木版画を5点出品しています。
恩地孝四郎
「Poem No.15 過去」
1950年 木版(後刷り:平井摺)
42.1×32.3cm
スタンプサインあり
※「恩地孝四郎版画集」No.340
恩地孝四郎
「母と子」
1917年 木版(平井摺)
29.0x24.0cm
スタンプサインあり
※「恩地孝四郎版画集」No.72
恩地孝四郎
「Composition No.2 文字」
1949 木版(1968年平井摺り)
34.2x26.7cm
スタンプサインあり
*「恩地孝四郎版画集」番号314
恩地孝四郎
「Lyrique No.2
楽曲によせる抒情 ドビュッシイ"金色の魚"」
1933年 木版(平井摺)
34.0x23.0cm
スタンプサインあり
※「恩地孝四郎版画集」No.156
恩地孝四郎
「Poeme No.22 A Leaf and Clouds 葉っぱと雲」
1953年
マルチブロックプリント(平井摺り)
45.0×35.0cm
スタンプサインあり
※「恩地孝四郎版画集」No.401
では平井摺りというのは何種類あるかといいますと、形象社刊の「恩地孝四郎版画集」の掲載の422点の収録作品に<後刷り作品のあるもの>に印がついており、その総数は14点です。
<後刷り作品のあるもの>=<平井摺り>かどうかは確定できませんが、ほぼ間違いないでしょう。すなわち「恩地孝四郎版画集」刊行以前に、平井孝一によってなされた後刷り(メモリアル・エディション)は14種類と思われます。
その後、米田稔や子息・恩地邦郎(邦郎摺り)によっても、何度か後刷りがされています。
遡れば、恩地生前に関野準一郎が刷った<増し刷り>があることも付記しておきます。
以前にもご紹介しましたが、恩地作品の基本文献となる「恩地孝四郎版画集」について説明します。
1975年3月10日印刷発行、形象社刊、328ページ
限定本として全部で670部が造られました。
内訳は、国内版(番号入り380部+番外38部)、海外版(番号入り170部+番外17部)、特装版(番号入り55部+番外10部)です。
作品番号1の1913年の木版「失題」から、作品番号422の年代不詳の木版「蔵書票」まで422点の版画が収録されています。
さらに番号なしのドローイング14点と、版木8点の図版が掲載されています。
恩地の版画の総数が果たしてどのくらいか、正確な数字は不明です。
本書には上述の通り422点が収録されていますが、刊行後に続々と未収録のものが判明し、版元の形象社は1978年6月24日印刷発行で、「恩地孝四郎版画集補遺」という8ページの小冊子を刊行しています。それには20点の版画が掲載されています。合わせて442点です。そのほかにも海外にわたってしまい同書に未収録のものもあるでしょうから、おそらく総点数では500点は超すのではないでしょうか。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年7月26日[火]―7月30日[土]「クレー、カンディンスキーと恩地孝四郎展」を開催しています。
19世紀末から20世紀はじめにかけて巻き起こった新しい美術運動の中から生まれたクレー、カンディンスキーの版画作品と、それらの影響を受けながら日本で独自の抽象作品を制作した恩地孝四郎の作品、あわせて20点を出品します。
◆ときの忘れものは、2011年8月5日[金](プレス、招待客のみ)、6日[土]、7日[日]にウェスティンナゴヤキャッスル9Fで開催される「ART NAGOYA 2011」に出展します。
ときの忘れもののブースは908号室です。
◆ときの忘れものは、2011年8月8日[月]―8月15日[月]まで夏季休廊となります。夏休みをとるのは数年ぶりですので、営業日に関してどうぞお間違いのないようお願いいたします。
◆今月のWEB展は福田勝治展です。
いずれも恩地生前のもので、所謂オリジナル版画です。
恩地孝四郎の自摺り作品の大きなものはほとんど一般の市場には流通していません。
海外のオークションなどでたまに出ると、1千万円を越す高額落札も珍しくありません。
国内で比較的入手しやすいのが、所謂<後摺り(後刷り)>作品です。
中でも良く知られているのが<平井摺り>と言われるものです。
恩地孝四郎の戦前はほとんど売れることはありませんでしたから、頒布会や版画雑誌に挿入した比較的多い部数の作品以外は、オリジナルの部数は極端に少ない。
1945年8月戦争に負けて進駐軍(アメリカなどの占領軍のことを当時は進駐軍と呼んでいました)が日本に大挙やってきたのですが、その中には多くの文民が含まれていました。
つまり、本国では弁護士や学者などのインテリが軍服を着て来日し、日本の統治(占領政策)の遂行にあたったわけです。
多くの美術愛好家が含まれていました。
戦前は貧乏の代名詞だった版画家が時ならぬバブルに沸いたといえば言い過ぎでしょうか。
恩地孝四郎はじめ、優れた版画家の作品を進駐軍の将校たちが競って買ったのですね。
だから恩地孝四郎の優品の多くが海外に持っていかれてしまった。
亭主は恩地孝四郎にはお目にかかれなかったけれど、ご息女・三保子さんにはたいへんよくしていただきました。そのあたりのことも伺うことができました。
三保子さんは敬愛する父のために「恩地孝四郎版画集」の刊行に晩年の情熱を注ぎました。
しかし、ご自分の手許や、日本国内では恩地孝四郎のオリジナル作品が揃わない。英語の達者な三保子さんは海外のコレクターに依頼してその画像を借りようとしますが、先方は当然のことながらポジフィルムの使用料を請求してくる。三保子さんが何百ドルもの使用料を払わなければならないのを嘆かれていたのを記憶しています。
一般に流通する恩地孝四郎作品がほとんどないという背景もあって、父孝四郎没後の1968年前後に、ご遺族によって、残された版木を使い、浮世絵の摺り師・平井孝一による後刷りがされました。
これが<平井摺り>作品です。
恩地孝四郎の没後の後刷り作品は、この<平井摺り>作品が最初です。
<平井摺り>には下のようなシールが貼付されましたが、流通するうちに失われてしまったものも少なくありません。
ときの忘れもので開催している「クレー、カンディンスキーと恩地孝四郎展」にはこの<平井摺り>による恩地孝四郎 Koshiro ONCHIの木版画を5点出品しています。
恩地孝四郎「Poem No.15 過去」
1950年 木版(後刷り:平井摺)
42.1×32.3cm
スタンプサインあり
※「恩地孝四郎版画集」No.340
恩地孝四郎「母と子」
1917年 木版(平井摺)
29.0x24.0cm
スタンプサインあり
※「恩地孝四郎版画集」No.72
恩地孝四郎「Composition No.2 文字」
1949 木版(1968年平井摺り)
34.2x26.7cm
スタンプサインあり
*「恩地孝四郎版画集」番号314
恩地孝四郎「Lyrique No.2
楽曲によせる抒情 ドビュッシイ"金色の魚"」
1933年 木版(平井摺)
34.0x23.0cm
スタンプサインあり
※「恩地孝四郎版画集」No.156
恩地孝四郎「Poeme No.22 A Leaf and Clouds 葉っぱと雲」
1953年
マルチブロックプリント(平井摺り)
45.0×35.0cm
スタンプサインあり
※「恩地孝四郎版画集」No.401
では平井摺りというのは何種類あるかといいますと、形象社刊の「恩地孝四郎版画集」の掲載の422点の収録作品に<後刷り作品のあるもの>に印がついており、その総数は14点です。
<後刷り作品のあるもの>=<平井摺り>かどうかは確定できませんが、ほぼ間違いないでしょう。すなわち「恩地孝四郎版画集」刊行以前に、平井孝一によってなされた後刷り(メモリアル・エディション)は14種類と思われます。
その後、米田稔や子息・恩地邦郎(邦郎摺り)によっても、何度か後刷りがされています。
遡れば、恩地生前に関野準一郎が刷った<増し刷り>があることも付記しておきます。
以前にもご紹介しましたが、恩地作品の基本文献となる「恩地孝四郎版画集」について説明します。
1975年3月10日印刷発行、形象社刊、328ページ
限定本として全部で670部が造られました。
内訳は、国内版(番号入り380部+番外38部)、海外版(番号入り170部+番外17部)、特装版(番号入り55部+番外10部)です。
作品番号1の1913年の木版「失題」から、作品番号422の年代不詳の木版「蔵書票」まで422点の版画が収録されています。
さらに番号なしのドローイング14点と、版木8点の図版が掲載されています。
恩地の版画の総数が果たしてどのくらいか、正確な数字は不明です。
本書には上述の通り422点が収録されていますが、刊行後に続々と未収録のものが判明し、版元の形象社は1978年6月24日印刷発行で、「恩地孝四郎版画集補遺」という8ページの小冊子を刊行しています。それには20点の版画が掲載されています。合わせて442点です。そのほかにも海外にわたってしまい同書に未収録のものもあるでしょうから、おそらく総点数では500点は超すのではないでしょうか。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年7月26日[火]―7月30日[土]「クレー、カンディンスキーと恩地孝四郎展」を開催しています。
19世紀末から20世紀はじめにかけて巻き起こった新しい美術運動の中から生まれたクレー、カンディンスキーの版画作品と、それらの影響を受けながら日本で独自の抽象作品を制作した恩地孝四郎の作品、あわせて20点を出品します。◆ときの忘れものは、2011年8月5日[金](プレス、招待客のみ)、6日[土]、7日[日]にウェスティンナゴヤキャッスル9Fで開催される「ART NAGOYA 2011」に出展します。
ときの忘れもののブースは908号室です。
◆ときの忘れものは、2011年8月8日[月]―8月15日[月]まで夏季休廊となります。夏休みをとるのは数年ぶりですので、営業日に関してどうぞお間違いのないようお願いいたします。
◆今月のWEB展は福田勝治展です。
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