浅野智子のエッセイ「瑛九の型紙考」第1回
「型紙」考―切り抜き行為
「形を切り抜く」とは、何とも不思議な造形技法である。
型抜きは、そもそも「型」を使って、土台となる要素から、ある造形を取り出すことを目的としているのだが、一部を切り抜かれた土台もまた、新たな造形物として独特の魅力を醸し出しはじめる。クッキーの型抜きをしていて、切り抜かれた後の生地の形にふと面白さを感じる、あの感覚である。同じ切り抜き行為でも、折り重ねた紙を鋏などで刻んで形をつくりだす紋切りなどの造形技法では、切り捨てた断片=不要な部分になってしまうが、「型」によって切り抜かれた場合は、そもそも「型」にある種の造型性があるためか、抜き型と台紙がポジとネガのような関係における2種の「作品」を生みだすのである。
ときの忘れものでは、瑛九(1911-1960)のフォトデッサン型紙として、紙から切り抜いた23枚の紙片と、形を切り抜かれた19枚の用紙、それにセロファン紙4枚の、合計46種類の型紙が展示される(*1) 。それらは、流れるような曲線や不規則な形によって、奔放にあるいは即興的に生みだされた形のように見えるが、ひとたび、紙片の裏にある鉛筆の下書きを見れば、いかにそれが選び抜かれた線をもとに作られているか気づかされる。ある型紙では、複数の下書き線から選び抜かれた一本の線が太くなぞられている。また、他の型紙では、鉛筆の下書きが何度も消しゴムで消された跡があるといった具合に。
切る行為も即興的なものではなかった。おそらくそれほど細くないナイフや鋏を使って、時折紙を回転させながら丁寧に行われた(*2) 。切り絵の経験者であれば、滴形のような細かい曲線がいかに難しいか知っているだろう。紙の向きを適時変えながらでないと、不要な力が紙にかかり、断面に凹凸や皺が寄ってしまう。細かい図柄であればあるほど、丹念な作業が必要とされるのである。瑛九の型紙からは、作品完成のために緻密な作業をひとつひとつこなす作家のまじめな人柄と同時に、「型紙」制作自体を造型行為として作家が丁寧に捉えていたことが伝わってくる。
「型紙」について何よりも驚くことは、瑛九が、時として、サインを入れ終えた完成品であるペンデッサンやフォトデッサンの印画紙を台紙として使用していることだろう。このことについて瑛九は、「私は、例えば1つのシュウル・レアリスティクなコンポジョンを製作するためにはきりぬいた女の足でも、撮影した一個の原版をも自由に使用する」(*3)と宣言し、芸術の本質の追究のためには完成した印画紙の利用も辞さない姿勢を示した。その背景には、「芸術ことに絵画において、完成と云ふ事は云へないと同時に、習作とかケイコとか云ふ物はないはずである(*4)」という発言に示される、あらゆる創作行為は常に「完成」へと向かう本作であるという意識があった。つまり、芸術を進行形のものとして捉える瑛九にとって、作品へのサインは必ずしも創作の完了を意味するのではなかったし、記銘作品であってもさらなる創作の礎として使用されうるものであった。
管見では、残された「型紙」にサインが付されることや、公に展示されることはなかった。しかし、作家が大量の型紙を保管していたという事実は、瑛九にとって、制作された「型紙」は、フォトデッサン作品と同様に、単なる創作過程における一技法、一要素に留まらないものであったことを示唆している。その型紙の重要性とは、地の要素から新たな造形を取り出すと同時に、残された地そのものも新たな造形物として意味を持ちだすという型抜き独特の造形の連続性に関連するものではないだろうか。前述したように、切り抜かれた型と台紙にはポジとネガの様な造形の関係性がある。フォトデッサンの手法によって、物の形に生じる光と影との原理的美学を追求しようとした瑛九は、切り抜いた図形だけでなく、図形を切り抜かれて残った地にも造形的魅力が生じるという「切抜き」の造形性に意識的であったとも考えられる。瑛九にとって、これらの「型紙」は、フォトデッサンの重要な構成要素であり、独自の造形性をもつ一種の「作品」であったのだろう。(あさのともこ)

瑛九「フォトデッサン型紙11」

瑛九「フォトデッサン型紙22」

瑛九「フォトデッサン型紙31」
*サイン、年記あり

瑛九「フォトデッサン型紙34」

瑛九「フォトデッサン型紙46」
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*1 瑛九はフォトデッサンに用いた型を、「切紙」あるいは「型紙」と称している。瑛九「フォト・デッサン―印画紙を使うデッサン―」『アトリヱ』336号、アトリエ社、1955年1月、75~78頁。
*2 細江英公によって撮影された《瑛九の肖像》(1953年)では、鋏を手に型紙を制作する瑛九の姿が納められている。『版画芸術』瑛九特集号、112号、阿部出版、2001年6月、73頁。
*3 杉田秀夫「フオトグラムの自由な制作のために」『フォトタイムス』7巻8号、1930年8月、フォトタイムス社、1173頁。
*4 杉田秀夫「槐樹社展を観る」『みづゑ』267号、1927年5月、56頁。
2011年9月5日第1回―切り抜き行為
2011年9月6日第2回―モダン都市
2011年9月7日第3回―型と本作
■浅野智子
筑波大学大学院卒。美術博士。日本近代における美術家の交流と美術活動の関連を中心に研究。
*画廊亭主敬白
前・武蔵野市立吉祥寺美術館学芸員、日本近代美術史研究の浅野智子さんに瑛九の型紙についての考察をご執筆いただきました。
本日から3回連載で掲載します。
瑛九は大量の型紙を残し、それらは宮崎、北九州、埼玉などの美術館に「資料」として収蔵保管されています。しかしそれらを完成されたフォトデッサンと比較するなどの実物検証はまだ本格的にはなされていません。
浅野さんも<作家が大量の型紙を保管していたという事実は、制作された「型紙」は、フォトデッサン作品と同様に、単なる創作過程における一技法、一要素に留まらないものであったことを示唆している。その型紙の重要性とは、地の要素から新たな造形を取り出すと同時に、残された地そのものも新たな造形物として意味を持ちだすという型抜き独特の造形の連続性に関連するものではないだろうか。>と述べられていますが、今回のときの忘れものの展示公開が瑛九の造型研究の新たな糸口となることを期待しています。
◆ときの忘れものは「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」を開催します。

「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」
会期=2011年9月9日[金]―9月17日[土]
12時~19時 会期中無休
全46点の型紙の裏表両面を掲載した大判のポスター(限定200部、番号入り)を製作しました。
瑛九展ポスター(表)
限定200部
デザイン:DIX-HOUSE
サイズ:84.1x59.4cm(A1)
限定200部(番号入り)
価格:1,500円(税込)
+梱包送料:1,000円
瑛九展ポスター(裏)
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◆「生誕100年記念瑛九展」が埼玉県立近代美術館と、うらわ美術館の2会場で同時開催されます。招待券が若干ありますので、ご希望の方はメールにてお申し込みください。
会期=9月10日(土)~11月6日(日)
「型紙」考―切り抜き行為
「形を切り抜く」とは、何とも不思議な造形技法である。
型抜きは、そもそも「型」を使って、土台となる要素から、ある造形を取り出すことを目的としているのだが、一部を切り抜かれた土台もまた、新たな造形物として独特の魅力を醸し出しはじめる。クッキーの型抜きをしていて、切り抜かれた後の生地の形にふと面白さを感じる、あの感覚である。同じ切り抜き行為でも、折り重ねた紙を鋏などで刻んで形をつくりだす紋切りなどの造形技法では、切り捨てた断片=不要な部分になってしまうが、「型」によって切り抜かれた場合は、そもそも「型」にある種の造型性があるためか、抜き型と台紙がポジとネガのような関係における2種の「作品」を生みだすのである。
ときの忘れものでは、瑛九(1911-1960)のフォトデッサン型紙として、紙から切り抜いた23枚の紙片と、形を切り抜かれた19枚の用紙、それにセロファン紙4枚の、合計46種類の型紙が展示される(*1) 。それらは、流れるような曲線や不規則な形によって、奔放にあるいは即興的に生みだされた形のように見えるが、ひとたび、紙片の裏にある鉛筆の下書きを見れば、いかにそれが選び抜かれた線をもとに作られているか気づかされる。ある型紙では、複数の下書き線から選び抜かれた一本の線が太くなぞられている。また、他の型紙では、鉛筆の下書きが何度も消しゴムで消された跡があるといった具合に。
切る行為も即興的なものではなかった。おそらくそれほど細くないナイフや鋏を使って、時折紙を回転させながら丁寧に行われた(*2) 。切り絵の経験者であれば、滴形のような細かい曲線がいかに難しいか知っているだろう。紙の向きを適時変えながらでないと、不要な力が紙にかかり、断面に凹凸や皺が寄ってしまう。細かい図柄であればあるほど、丹念な作業が必要とされるのである。瑛九の型紙からは、作品完成のために緻密な作業をひとつひとつこなす作家のまじめな人柄と同時に、「型紙」制作自体を造型行為として作家が丁寧に捉えていたことが伝わってくる。
「型紙」について何よりも驚くことは、瑛九が、時として、サインを入れ終えた完成品であるペンデッサンやフォトデッサンの印画紙を台紙として使用していることだろう。このことについて瑛九は、「私は、例えば1つのシュウル・レアリスティクなコンポジョンを製作するためにはきりぬいた女の足でも、撮影した一個の原版をも自由に使用する」(*3)と宣言し、芸術の本質の追究のためには完成した印画紙の利用も辞さない姿勢を示した。その背景には、「芸術ことに絵画において、完成と云ふ事は云へないと同時に、習作とかケイコとか云ふ物はないはずである(*4)」という発言に示される、あらゆる創作行為は常に「完成」へと向かう本作であるという意識があった。つまり、芸術を進行形のものとして捉える瑛九にとって、作品へのサインは必ずしも創作の完了を意味するのではなかったし、記銘作品であってもさらなる創作の礎として使用されうるものであった。
管見では、残された「型紙」にサインが付されることや、公に展示されることはなかった。しかし、作家が大量の型紙を保管していたという事実は、瑛九にとって、制作された「型紙」は、フォトデッサン作品と同様に、単なる創作過程における一技法、一要素に留まらないものであったことを示唆している。その型紙の重要性とは、地の要素から新たな造形を取り出すと同時に、残された地そのものも新たな造形物として意味を持ちだすという型抜き独特の造形の連続性に関連するものではないだろうか。前述したように、切り抜かれた型と台紙にはポジとネガの様な造形の関係性がある。フォトデッサンの手法によって、物の形に生じる光と影との原理的美学を追求しようとした瑛九は、切り抜いた図形だけでなく、図形を切り抜かれて残った地にも造形的魅力が生じるという「切抜き」の造形性に意識的であったとも考えられる。瑛九にとって、これらの「型紙」は、フォトデッサンの重要な構成要素であり、独自の造形性をもつ一種の「作品」であったのだろう。(あさのともこ)

瑛九「フォトデッサン型紙11」

瑛九「フォトデッサン型紙22」

瑛九「フォトデッサン型紙31」
*サイン、年記あり

瑛九「フォトデッサン型紙34」

瑛九「フォトデッサン型紙46」
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*1 瑛九はフォトデッサンに用いた型を、「切紙」あるいは「型紙」と称している。瑛九「フォト・デッサン―印画紙を使うデッサン―」『アトリヱ』336号、アトリエ社、1955年1月、75~78頁。
*2 細江英公によって撮影された《瑛九の肖像》(1953年)では、鋏を手に型紙を制作する瑛九の姿が納められている。『版画芸術』瑛九特集号、112号、阿部出版、2001年6月、73頁。
*3 杉田秀夫「フオトグラムの自由な制作のために」『フォトタイムス』7巻8号、1930年8月、フォトタイムス社、1173頁。
*4 杉田秀夫「槐樹社展を観る」『みづゑ』267号、1927年5月、56頁。
2011年9月5日第1回―切り抜き行為
2011年9月6日第2回―モダン都市
2011年9月7日第3回―型と本作
■浅野智子
筑波大学大学院卒。美術博士。日本近代における美術家の交流と美術活動の関連を中心に研究。
*画廊亭主敬白
前・武蔵野市立吉祥寺美術館学芸員、日本近代美術史研究の浅野智子さんに瑛九の型紙についての考察をご執筆いただきました。
本日から3回連載で掲載します。
瑛九は大量の型紙を残し、それらは宮崎、北九州、埼玉などの美術館に「資料」として収蔵保管されています。しかしそれらを完成されたフォトデッサンと比較するなどの実物検証はまだ本格的にはなされていません。
浅野さんも<作家が大量の型紙を保管していたという事実は、制作された「型紙」は、フォトデッサン作品と同様に、単なる創作過程における一技法、一要素に留まらないものであったことを示唆している。その型紙の重要性とは、地の要素から新たな造形を取り出すと同時に、残された地そのものも新たな造形物として意味を持ちだすという型抜き独特の造形の連続性に関連するものではないだろうか。>と述べられていますが、今回のときの忘れものの展示公開が瑛九の造型研究の新たな糸口となることを期待しています。
◆ときの忘れものは「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」を開催します。

「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」
会期=2011年9月9日[金]―9月17日[土]
12時~19時 会期中無休
全46点の型紙の裏表両面を掲載した大判のポスター(限定200部、番号入り)を製作しました。

限定200部
デザイン:DIX-HOUSE
サイズ:84.1x59.4cm(A1)
限定200部(番号入り)
価格:1,500円(税込)
+梱包送料:1,000円

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆「生誕100年記念瑛九展」が埼玉県立近代美術館と、うらわ美術館の2会場で同時開催されます。招待券が若干ありますので、ご希望の方はメールにてお申し込みください。
会期=9月10日(土)~11月6日(日)
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