中川美香のエッセイ「瑛九を追って」第2回

瑛九を追いかけて(中) 「掲載数100回超」


 2010年1月から年間企画を展開することが決まり、取材班を組んだ。メンバーは3人。1人は美術担当として経験が豊富で、視野が広く、気が付けば海外に飛び出ている国際派。1人は静かにじっくり活字の海を深く潜っていく文学青年。いわば1人は横に、1人は縦に移動していくタイプで、時空を超えて対象に迫るのに素晴らしい同僚を得た。
 デスク兼ライターの私を含め、3人の共通項は「旅好き」ということ。何が起こるか分からない状況も楽しめ、失敗も笑い話にできる点で一致しているので、苦労が予想される今回の連載がどうなろうとも気を遣わないでいい。精神的にとても楽だった。
 これに多くの写真記者が加わった。中心的に動いてくれた記者が「何でも来い!」と真っ向勝負してくれる人だったので、連載で出てくる抽象的概念も見事に表現してくれた。企画タイトルを決めようと誰より張り切ってくれた部長、先の見えない船出を見守ってくれた編集幹部を含め本当に体制に恵まれた。身内話だがこの場を借りお礼を言いたい。
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 瑛九好きの方なら分かると思うが、それくらいしっかり体制を整えなければ彼をつかまえることはできない。もちろん今もつかまえられたとは思っていない。が、始動を前に足場を固めておくことは大事な仕事だった。
 そうして始まったのがシリーズ「瑛九 光の冒険」だ。第1部「今に生きる」は番外編含め9回。瑛九関連の企画展は没年から現在まで、毎年のように全国どこかの美術館や画廊で開かれている。「瑛九ほど学芸員に愛されている画家はいないのでは」と評する声もあるほどの魅力。
 東京国立近代美術館(東京)、国立国際美術館(大阪)など各地の学芸員、画廊経営者やコレクター、共に活動した版画家ら、時間が許す限り関係者に会いに行き、何に魅了されているのかを探った。偶然にもこの時期、筑波大で「瑛九作品をめぐるワークショップ」が開かれたので、その様子も加えた。若い研究者たちが懸命に瑛九に食らいつき、発表している姿を見て、瑛九はまだ生きているんだという実感を持てたのが大収穫だった。
 第2部「自由を求めて」は26回。「瑛九 評伝と作品」(山田光春著)や関連図書を読み込み、関係者の肉声を交えて足跡を紹介した。記者の1人が初回に書いた「『瑛九さんに会いたい』。恋するような気持ちで、48年の生涯をたどる」という文の通り、どこかの曲がり角で瑛九に会えないかキョロキョロする感覚で取材を続けていたころが懐かしい。
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 第3部「温もりの記憶」では同時代を生きた人たちそれぞれの心の中にある瑛九像を描いた。番外編含め10回。第4部「点描のヒミツ」は瑛九が晩年、なぜ点を打ち続けたのかその謎に迫った。計6回。学芸員や画家、大学教授らに見解を聞いた。締めくくりには取材班各自の、素人ならではの自由奔放な“推察”を掲載。これが生誕100年記念の「瑛九展 輝き続ける自由の魂」(宮崎県立美術館、埼玉県立近代美術館、うらわ美術館で開催)の図録で「参考文献」に挙げられていたのを知り、冷や汗が出た。
 最終章の第5部「語りかけるもの」は7回。研究や作品保存の現状や課題とともに、瑛九が現代に何を語りかけているか、若き芸術家らに話を聞いた。年間を通し、靉嘔、細江英公、玉井瑞夫、福島辰夫、瀬木慎一、本江邦夫さんら、宮崎の地方紙記者ではなかなかお会いする機会のない芸術家、評論家の方々の話を聞けたのも、瑛九のおかげだろう。
 ほかにも新聞1ページ、または2ページを丸ごと使った特集を4回。極めて珍しいポスター作品や下書きが見つかったという記事などで1面トップも3回飾った。関連記事含め掲載は100回以上。まさかこんな数になろうとは…。周囲からは、取り憑かれているように見えているかもしれない。(なかがわ みか)

■中川美香 Mika NAKAGAWA
なかがわ・みか 宮崎県都城市生まれ。都城西高、神戸市外国語大学卒。1993年、宮崎日日新聞社(宮崎市)に入社し、報道部、日南支社、文化部に勤務。2005年から在籍する文化部では美術、音楽、芸能、読書、医療、子育てなどさまざまな担当を受け持つ。これまでに「土呂久からアジアへ(鉱害告発30年)」(3部作)、「埋もれたSOS~都城わが子殺害の衝撃」などを連載。美術関連では「美巡る 宮日美展60年を迎えて」、「総選挙・問われる現代像 宮崎・表現者からの視点」などの連載に携わった。「瑛九 光の冒険」ではデスク兼ライター。
 著書に「ハローベイビーズ! 双子育児で見えたもの」(宮崎日日新聞社発行、問い合わせ=宮日文化情報センター☎0985~27~4737)。自身の双子出産を機に、周産期医療の現場や現代の育児事情などを取材し100回以上続けた連載を単行本化した。現在、日本多胎支援協会「虐待防止のための連携型多胎支援事業」推進委員なども務める。

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小田急瑛九展1)『現代美術の父 瑛九』展図録(小田急)1979年 132頁 チラシ付 
銅版1点入り・特装限定150部

日経瑛九作品集2)本間正義監修『瑛九作品集』1997年 日本経済新聞社 204頁 執筆/五十殿利治・横山勝彦 編集/三上豊・綿貫不二夫 油彩・フォトデッサン・版画など代表作237点を網羅した決定版作品集。函無し。 


瑛九伝3)山田光春著『瑛九 評伝と作品』1976年 青龍洞 480頁 瑛九の盟友だった画家山田光春が全国をまわり資料・作品を蒐集調査、克明に瑛九の生涯を追った伝記。

久保貞次郎瑛九画集4)久保貞次郎編『瑛九画集』1971年 同刊行会 89頁 限定2,000部 遺族や生前から瑛九を支えたコレクター達の所蔵する油彩、フォトデッサン、版画など66点を収録。

瑛九石版レゾネ5)『瑛九石版画総目録』1974年 瑛九の会 限定1000部 74頁 1951~1958年に制作されたリトグラフ全158を収録

松濤瑛九展6)『瑛九 前衛画家の大きな冒険』展図録 2004年 渋谷区立松濤美術館  176頁 執筆/瀬尾典昭 瑛九没後、宮崎、埼玉などの美術館でさまざまな回顧展が開催されてきたが、晩年の点描に絞って構成されたのは初めて。

瑛九とその周辺7)『瑛九とその周辺』展図録 1986年 埼玉県立近代美術館 128頁 執筆=久保貞次郎・瀬木慎一、出品=瑛九、靉嘔、池田満寿夫、泉茂、オノサト・トシノブ、長谷川三郎、早川良雄、細江英公、吉原英雄の全146点。

南天子瑛九展8)『瑛九作品展』図録 1969年1月 10頁 南天子画廊(会場=文藝春秋画廊) 文・池田満寿夫

瑛九1955年目録9)『瑛九フォート・デッサン展』出品目録 1955年 四つ折8頁 日本橋・高島屋 文・海老原喜之助、瀧口修造、岡鹿之助 *瑛九生前の展覧会です。

福井瑛九遺作展10)『瑛九遺作展』出品目録 1960年 三つ折6頁 福井市・繊協ビル 主催・瑛九会 文・海老原喜之助、瀧口修造、山城隆一、泉茂 *瑛九没後僅か2ヶ月後に初めての遺作展が福井で開催された

瑛九1950年目録11)『Q Ei photo~dessin 新作発表展覧会目録』 1950年 12頁 写真一枚貼り込み 松坂屋 文・外山卯三郎 *瑛九生前の新作展目録で、瑛九によるフォトデッサンの小さな複写写真が貼りこんであります。

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瑛九「作品-B」
瑛九「作品ーB(アート作品・青)」
1935年 油彩(ボード)
29.0×24.0cm(F3号)
※山田光春『私家版・瑛九油絵作品写真集』(1977年刊)No.19、

瑛九「逓信博物館A」
瑛九「逓信博物館 A
1941年 油彩
46.0×61.1cm
*「瑛九作品集」(日本経済新聞社)42頁所載

瑛九 黄色い点
瑛九「黄色い点
1957年  油彩
45.8×38.0cm(F8号)
サインあり

瑛九フォトデッサン
瑛九「作品
フォトデッサン
29.5×23.3cm

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◆ときの忘れものは「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」を開催しています。
瑛九展DM600
第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙
会期=2011年9月9日[金]―9月17日[土]
12時~19時 会期中無休

全46点の型紙の裏表両面を掲載した大判のポスター(限定200部、番号入り)を製作しました。
poster_A_600瑛九展ポスター(表)
限定200部
デザイン:DIX-HOUSE
サイズ:84.1x59.4cm(A1)
限定200部(番号入り)
価格:1,500円(税込)
+梱包送料:1,000円


poster_B_600瑛九展ポスター(裏)

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◆「生誕100年記念瑛九展」が埼玉県立近代美術館と、うらわ美術館の2会場で同時開催されています。
会期=9月10日(土)~11月6日(日)