
「ぼくはアホ派やから」とおっしゃっていたがもっともっと長生きして活躍して欲しかった。
「具体」の代表作家として内外で高い評価を得ている元永先生ですが、ずっと順調だったわけではありません。
1963年に東京画廊で個展を開催、その翌年現代日本美術展で優秀賞を受賞した頃が最初のピークでした。1972年に「具体」が解散してからのしばらくは元永先生の雌伏の時代となりました。不遇の時代といってもいいでしょう。
亭主が初めて元永先生にお目にかかったのは、1975年秋、関根伸夫先生に連れられて行った名古屋の今では伝説の画廊となった桜画廊の個展の会場でした。
その後、1977年の現代版画センターの「現代と声」という企画に、関根先生が強力に元永先生を推薦して、下に紹介する「白い光がでているみたい」「いいろろ」「オレンジの中で」の3点の版画を初めてエディションしました。刷りはすべて石田了一さんです。
これ以前にも版画制作はされていたのですが、本格的なものはこれが最初で、いわば実質的な版画デビュー作品です。
少し昔話になりますが、この「現代と声」企画には、各分野から9人の作家が選ばれましたが、その顔触れは、靉嘔、オノサト・トシノブ、磯崎新、加山又造、小野具定、一原有徳、野田哲也、関根伸夫、そして元永定正でした。
当時の現代版画センターの<軍師>は関根伸夫先生で、彼の強力な推薦で元永先生が選ばれたのですが、当時、元永先生の存在は東京ではすっかり忘れさられており、この企画が発表されるや「えっ、元永さん生きてたの?」といわれたことを覚えています。
亭主は、以来、70点以上の版画作品をエディションしました。点数としては磯崎新先生は別格として、元永先生と菅井汲先生が最も多かった。それだけ売れたのである。
この「現代と声」企画3作品をきっかけに元永先生は版画制作に本格的に取り組み、それがひろく元永ワールドを知らしめることとなり、再評価へと繋がりました。
1983年に新潮社の日本芸術大賞を受賞したときの受賞理由に「版画家」としての評価が入っていたことを嬉しく思い出します。
この後の元永先生の大爆発と活躍はご存知の通り。
関東の男としては、元永先生(伊賀のご出身だが)をはじめ、菅井先生、そして安藤忠雄先生たち関西の作家たちの言いにくいこともあの関西弁ではっきり伝え、サービス精神旺盛なくせに辛辣なこともさらっと言えるお人柄にはずいぶんと最初は戸惑ったものでした。
今では得がたいキャラクターなのだと懐かしい。
たくさんのことを学び、たくさんの作品の誕生に立ち会うことができました。
元永先生、ありがとう、さようなら。

元永定正
「白い光が出ているみたい」
1977年 シルクスクリーン
61.0×47.0cm
Ed.100 signed
「現代と声」出品作品

元永定正
「いいろろ」
1977年
シルクスクリーン
47.0×61.0cm
Ed.100 signed
「現代と声」出品作品

元永定正
「オレンジの中で」
1977年
シルクスクリーン
47.0×61.0cm
Ed.100 signed
「現代と声」出品作品
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元永定正 Sadammasa MOTONAGA
「しろいせんのあみめから」
1981年 55.0×38.0cm
シルクスクリーン
Ed.150 signed

元永定正
「ひかりでているあかしかく」
1984年 66.0×46.0cm
シルクスクリーン
Ed.150 signed

元永定正
「しろいせんから」
「しろいせんから」
1979年 45.0×60.0cm
シルクスクリーン
Ed.150 signed
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