たいへんご心配をおかけしました。
約2週間ぶりに仕事に復帰できました。
一昨日は大慌てで)「X氏写真コレクション展II」の準備をしているところに、大事な取引先の新任部長さんがご挨拶に見えられました。何とか出勤していたからいいようなものの、こういうとき不在だったらと冷や汗ものでした。
初日の昨日はさすがに写真好きの方が何人も来廊されました(いつも初日は平日ということもあり、ほとんど客は来ない)。
今回は、エドゥアール・ブーバ、ウーゴ・ムラス、ジョージ・タイスなど渋いラインナップが揃い、少々自慢だったのですが、さすがに皆さんよくご存知でかえっていろいろ教えていただきました。
常連の安倍寧さんも雨の中を来廊、リチャード・アヴェドンと会ったときの話を懐かしそうに話してくださいました。
そのときのメンバーが安倍さん、ソニーの盛田昭夫さん、舞踊の田中泯さん、そしてリチャード・アヴェドンというのですから豪勢というか、うらやましい。
何でもアヴェドンが田中泯さんに会いたい(撮りたい)と言ったことから実現した小宴だったようです。
安倍さんはサイトに写っている通りのダンディで、とても78歳とは思えません。ブログの更新も頻繁なので、「ご自分でキーをたたいているのですか」と聞いたら、「原稿用紙に鉛筆で書いたものを、エイベックスの若い担当者が打ち込んでくれている」とのことでした。
音楽ファンなら必見のブログです。
ときの忘れものの直ぐ目の前に高額な入会金で有名なスポーツクラブがあります。歌舞伎役者や女優、売れっ子小説家などテレビのない亭主でも知っている有名人やらセレブが会員となっているらしく、しょっちゅうその方たちのお姿を拝見します。ということはあちらもヘンな看板(ときの忘れもの)があるなあとご覧になっているわけで、安倍さんのようにふらりと迷い込んでこられるお客様もいるわけです。
夜になって、いつも編集仕事でお世話になっているM先生が来廊、久しぶりに近所の和食屋さんで久闊を叙しました。アナログ人間で、パソコンなんて触りもしなかったM先生も遂に時代の流れには抗しきれずデジタル転換に至ったらしい。
ときの忘れもののホームページをご覧になって「あいうえお順の作家検索は便利だねえ、いったい誰が考えたの」などどのんきなことをおっしゃる。
「先生何をおっしゃっているのですか、あれ作成しているのは先生の教え子の秋葉ですよ」
とまあ、酒抜きではありましたが、楽しい会食でした。
「X氏写真コレクション展II」から出品作を順次ご紹介します。
肖像写真の第一人者だった吉川富三は95歳の天寿を全うしましたが、その歩みは日本の写真史とともにあったといっていいでしょう。
今回の出品作は、吉川が展覧会に出した大判の写真で、日本画家・奥村土牛、文豪・谷崎潤一郎を撮った自信作です。
レンズを睨み付けるような二人の面構えは名人の気骨という言葉が浮かんできます。
吉川富三
「奥村土牛氏」
ゼラチンシルバープリント
52.5x41.5cm
サインあり
吉川富三
「谷崎潤一郎氏(昭和展)」
ゼラチンシルバープリント
54.5x44.6cm
サインあり
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■吉川富三 Tomizo YOSHIKAWA
写真家。1900年滋賀県生まれ。
1916年野島康三、秋山轍輔の世話により、静岡市平尾銈二のもとに研究生として入る。1919年、東京写真研究会に入会。1921年、東京日本橋人形町の三笠写真店を野島康三より譲り受けて開業。 1930年、鹿児島治朗、木村伊兵衛らと明虹倶楽部を設立。1947年、東京神田駅前に日写スタジオを川口盛成と共同経営。1948年、日本肖像写真作家協会を設立し、その運営にあたる。
1953年、国画会写真部会員となる。 1954年、東京都写真師会発足、その会長となる。1965年、日本写真協会より功労賞を受ける。1966年、東京写真研究会会長となる。他にも東京写真研究会顧問、日本写真協会常務理事などを務める。1995年、歿。
主な写真集に、『郁文集』(1962年)、『続郁文集』(1968年)、『諸星風貌』(1975年)、『姿貌風影』(1980年)、『照貌游居』(1987年)などがある。
◆ときの忘れものは、2011年10月21日(金)~10月29日(土)「X氏写真コレクション展II」を開催しています(会期中無休)。

リチャード・アヴェドン、エドゥアール・ブーバ、五味彬、細江英公、イリナ・イオネスコ、ユーサフ・カーシュ、ウーゴ・ムラス、ハーブ・リッツ、ジョック・スタージス、ジョージ・タイス、上田義彦、ジョエル=ピーター・ウィトキン、エドワード・ウェストン、吉川富三、フランセス・マーレイのゼラチン・シルバー・プリント作品を出品します。
約2週間ぶりに仕事に復帰できました。
一昨日は大慌てで)「X氏写真コレクション展II」の準備をしているところに、大事な取引先の新任部長さんがご挨拶に見えられました。何とか出勤していたからいいようなものの、こういうとき不在だったらと冷や汗ものでした。
初日の昨日はさすがに写真好きの方が何人も来廊されました(いつも初日は平日ということもあり、ほとんど客は来ない)。
今回は、エドゥアール・ブーバ、ウーゴ・ムラス、ジョージ・タイスなど渋いラインナップが揃い、少々自慢だったのですが、さすがに皆さんよくご存知でかえっていろいろ教えていただきました。
常連の安倍寧さんも雨の中を来廊、リチャード・アヴェドンと会ったときの話を懐かしそうに話してくださいました。
そのときのメンバーが安倍さん、ソニーの盛田昭夫さん、舞踊の田中泯さん、そしてリチャード・アヴェドンというのですから豪勢というか、うらやましい。
何でもアヴェドンが田中泯さんに会いたい(撮りたい)と言ったことから実現した小宴だったようです。
安倍さんはサイトに写っている通りのダンディで、とても78歳とは思えません。ブログの更新も頻繁なので、「ご自分でキーをたたいているのですか」と聞いたら、「原稿用紙に鉛筆で書いたものを、エイベックスの若い担当者が打ち込んでくれている」とのことでした。
音楽ファンなら必見のブログです。
ときの忘れものの直ぐ目の前に高額な入会金で有名なスポーツクラブがあります。歌舞伎役者や女優、売れっ子小説家などテレビのない亭主でも知っている有名人やらセレブが会員となっているらしく、しょっちゅうその方たちのお姿を拝見します。ということはあちらもヘンな看板(ときの忘れもの)があるなあとご覧になっているわけで、安倍さんのようにふらりと迷い込んでこられるお客様もいるわけです。
夜になって、いつも編集仕事でお世話になっているM先生が来廊、久しぶりに近所の和食屋さんで久闊を叙しました。アナログ人間で、パソコンなんて触りもしなかったM先生も遂に時代の流れには抗しきれずデジタル転換に至ったらしい。
ときの忘れもののホームページをご覧になって「あいうえお順の作家検索は便利だねえ、いったい誰が考えたの」などどのんきなことをおっしゃる。
「先生何をおっしゃっているのですか、あれ作成しているのは先生の教え子の秋葉ですよ」
とまあ、酒抜きではありましたが、楽しい会食でした。
「X氏写真コレクション展II」から出品作を順次ご紹介します。
肖像写真の第一人者だった吉川富三は95歳の天寿を全うしましたが、その歩みは日本の写真史とともにあったといっていいでしょう。
今回の出品作は、吉川が展覧会に出した大判の写真で、日本画家・奥村土牛、文豪・谷崎潤一郎を撮った自信作です。
レンズを睨み付けるような二人の面構えは名人の気骨という言葉が浮かんできます。

「奥村土牛氏」
ゼラチンシルバープリント
52.5x41.5cm
サインあり

「谷崎潤一郎氏(昭和展)」
ゼラチンシルバープリント
54.5x44.6cm
サインあり
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■吉川富三 Tomizo YOSHIKAWA
写真家。1900年滋賀県生まれ。
1916年野島康三、秋山轍輔の世話により、静岡市平尾銈二のもとに研究生として入る。1919年、東京写真研究会に入会。1921年、東京日本橋人形町の三笠写真店を野島康三より譲り受けて開業。 1930年、鹿児島治朗、木村伊兵衛らと明虹倶楽部を設立。1947年、東京神田駅前に日写スタジオを川口盛成と共同経営。1948年、日本肖像写真作家協会を設立し、その運営にあたる。
1953年、国画会写真部会員となる。 1954年、東京都写真師会発足、その会長となる。1965年、日本写真協会より功労賞を受ける。1966年、東京写真研究会会長となる。他にも東京写真研究会顧問、日本写真協会常務理事などを務める。1995年、歿。
主な写真集に、『郁文集』(1962年)、『続郁文集』(1968年)、『諸星風貌』(1975年)、『姿貌風影』(1980年)、『照貌游居』(1987年)などがある。
◆ときの忘れものは、2011年10月21日(金)~10月29日(土)「X氏写真コレクション展II」を開催しています(会期中無休)。

リチャード・アヴェドン、エドゥアール・ブーバ、五味彬、細江英公、イリナ・イオネスコ、ユーサフ・カーシュ、ウーゴ・ムラス、ハーブ・リッツ、ジョック・スタージス、ジョージ・タイス、上田義彦、ジョエル=ピーター・ウィトキン、エドワード・ウェストン、吉川富三、フランセス・マーレイのゼラチン・シルバー・プリント作品を出品します。
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