さすが小林美香さん、昨日「写真のバックストーリー/ロベール・ドアノー」を掲載するやアクセス激増。ヨロンというものはシビアなもので亭主が気の抜けたような文章を書くととたんに激減します。何とか寄稿者のお力で、亭主の苦しみを和らげていただきたいものです。
小林美香さんの次回連載は11月10日です、お楽しみに。
昨夜は銀座で「瀬木慎一氏を偲ぶ会」があり出席しました。
震災直後の3月15日に80歳で亡くなられた美術評論家の瀬木先生には亭主が美術界に入り「現代版画センター」を設立したときに機関誌に原稿を書いていただいて以来、30数年間にわたりご指導を賜りました。
最近では2008年に池田20世紀美術館で開催した小野隆生の回顧展『描かれた影の記憶 小野隆生展 イタリアでの活動30年』図録にもテキストを執筆していただきました。
昨夜の偲ぶ会は当初銀座のライオンが会場として予定されていたのですが、出席者が主催者の予想を超え170名にもなり、急遽別の会場(Sun-mi7丁目店)に変更となりました。
偲ぶ会では瀬木先生のお元気な頃の写真が飾られ、先ず発起人を代表して画家の中井幸一さんが半世紀に及ぶ交友を語りました。
次いで川崎市岡本太郎美術館館長の村田慶之輔さんが生前の岡本太郎と瀬木先生との関係について語り、入院する直前に瀬木先生から届いたファックスを読まれました。
画商の世界からはテレビの何でも鑑定団でお馴染みの永井画廊の永井龍之介さんが瀬木先生の教え(画商は新たな才能を持った画家を見つけ、また埋もれた才能を発掘しなければならない)を今後の糧として歩みたいと遺影に誓いました。
千葉市美術館の小林忠館長は40数年前の浮世絵界の集まりで、ちょうど話題沸騰していた写楽問題で某氏と瀬木先生が「オモテへ出ろ」と激しい口論となり、羽黒洞の木村東介さんが「待った! その喧嘩オレが買った!」と割って入ったエピソードを語られました。
献杯の音頭は画家の池田龍雄さんがとられました。
村田慶之輔さんが「瀬木さんはときに高飛車に、ずけずけ言う人だったが根本には優しさがあった」と言われましたが、亭主も若い頃は随分ときつく叱られたもんです。
中原佑介、針生一郎、東野芳明、そして瀬木先生と戦後の現代美術界を牽引してきた方々が次々と亡くなり、空白感とともにある一つの時代が終わったんだと思わずにはおられません。美術の現場に立会い、作家とともに歩み、印刷メディアを通じて彼らを押し上げてゆくというような評論のスタイルは果たして今後続いて行くのか、それともまったく別のかたちになってゆくのか。老兵には皆目見当もつきません。
30数年前、瀬木先生の家に初めてお伺いしたとき、壁にはピカソからレストランでもらったナプキンに描かれた絵が飾ってありました。
ピカソといえば、彼にインスパイアされた写真作品がX氏の写真コレクションに出品されています。
今回の出品作品の中で最も異彩を放ち見る者をたじろがせるのがジョエル=ピーター・ウィトキンの作品でしょう。
私たち日本人の現代の生活では「死」や「死体」というものを実体として捉えることが非常に希薄になってきたと思いませんか。
亭主の子供の頃は、家で飼っている鶏は毎朝の卵の供給源でもありましたが、やがて「絞められて」食卓に上がるものでした。首をちょん切られた鶏が逃げ出し庭中を走り回った恐ろしい光景を覚えています。
家畜を殺して食用にするのは各家庭で普通に行われていました。
人間も自宅で死に、死体は村の焼き場で焼かれ、または土葬で、葬式は自宅で行われました。死や死体は身近にありました。
ホルマリン漬けになった奇形児や異形の人たちを撮ったウィトキンの写真を「グロテスク」と言ってしまうのは簡単です。しかし、死や奇形をあたかも無かったように社会の裏側へと押しやろうとする現代にあって、「誕生という痛みの到来と、死というその究極との間に、生という回復期がある」と語るウィトキンの世界には、見捨てられて来た人々を執拗なまでに追いかける圧倒的な迫力と打ち捨てられた生の断片を再生させる力強さがあります。
ウィトキンは自作についてこう語っています。
「私の作品は見捨てられた人間、英雄、聖者の世界に関与するもので、超自然的なもの、社会のパラノイア、そして現代の不確かな道徳観に関わるものである。」
(『Switch』1993年11月号46頁)
ジョエル=ピーター・ウィトキン
「Anti-Christ」
1964年ゼラチンシルバープリント
37.5x37.5cm
Ed.15 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
■ジョエル=ピーター・ウィトキン Joel-Peter WITKIN
1939年、アメリカに生まれる。死体やフリークスなどの特異な被写体とエロティックかつ怪奇的な表現方法で非常にスキャンダラスな作品を制作しているが、一面、ルーベンスやゴヤのほか、クリムト、フェリシアン・ロップスらの19世紀末の象徴主義の作品からインスピレーションを得ている。
◆ときの忘れものは、2011年10月21日(金)~10月29日(土)「X氏写真コレクション展II」を開催しています(会期中無休)。

リチャード・アヴェドン、エドゥアール・ブーバ、五味彬、細江英公、イリナ・イオネスコ、ユーサフ・カーシュ、ウーゴ・ムラス、ハーブ・リッツ、ジョック・スタージス、ジョージ・タイス、上田義彦、ジョエル=ピーター・ウィトキン、エドワード・ウェストン、吉川富三、フランセス・マーレイのゼラチン・シルバー・プリント作品を出品します。
小林美香さんの次回連載は11月10日です、お楽しみに。
昨夜は銀座で「瀬木慎一氏を偲ぶ会」があり出席しました。
震災直後の3月15日に80歳で亡くなられた美術評論家の瀬木先生には亭主が美術界に入り「現代版画センター」を設立したときに機関誌に原稿を書いていただいて以来、30数年間にわたりご指導を賜りました。
最近では2008年に池田20世紀美術館で開催した小野隆生の回顧展『描かれた影の記憶 小野隆生展 イタリアでの活動30年』図録にもテキストを執筆していただきました。
昨夜の偲ぶ会は当初銀座のライオンが会場として予定されていたのですが、出席者が主催者の予想を超え170名にもなり、急遽別の会場(Sun-mi7丁目店)に変更となりました。
偲ぶ会では瀬木先生のお元気な頃の写真が飾られ、先ず発起人を代表して画家の中井幸一さんが半世紀に及ぶ交友を語りました。
次いで川崎市岡本太郎美術館館長の村田慶之輔さんが生前の岡本太郎と瀬木先生との関係について語り、入院する直前に瀬木先生から届いたファックスを読まれました。
画商の世界からはテレビの何でも鑑定団でお馴染みの永井画廊の永井龍之介さんが瀬木先生の教え(画商は新たな才能を持った画家を見つけ、また埋もれた才能を発掘しなければならない)を今後の糧として歩みたいと遺影に誓いました。
千葉市美術館の小林忠館長は40数年前の浮世絵界の集まりで、ちょうど話題沸騰していた写楽問題で某氏と瀬木先生が「オモテへ出ろ」と激しい口論となり、羽黒洞の木村東介さんが「待った! その喧嘩オレが買った!」と割って入ったエピソードを語られました。
献杯の音頭は画家の池田龍雄さんがとられました。
村田慶之輔さんが「瀬木さんはときに高飛車に、ずけずけ言う人だったが根本には優しさがあった」と言われましたが、亭主も若い頃は随分ときつく叱られたもんです。
中原佑介、針生一郎、東野芳明、そして瀬木先生と戦後の現代美術界を牽引してきた方々が次々と亡くなり、空白感とともにある一つの時代が終わったんだと思わずにはおられません。美術の現場に立会い、作家とともに歩み、印刷メディアを通じて彼らを押し上げてゆくというような評論のスタイルは果たして今後続いて行くのか、それともまったく別のかたちになってゆくのか。老兵には皆目見当もつきません。
30数年前、瀬木先生の家に初めてお伺いしたとき、壁にはピカソからレストランでもらったナプキンに描かれた絵が飾ってありました。
ピカソといえば、彼にインスパイアされた写真作品がX氏の写真コレクションに出品されています。
今回の出品作品の中で最も異彩を放ち見る者をたじろがせるのがジョエル=ピーター・ウィトキンの作品でしょう。
私たち日本人の現代の生活では「死」や「死体」というものを実体として捉えることが非常に希薄になってきたと思いませんか。
亭主の子供の頃は、家で飼っている鶏は毎朝の卵の供給源でもありましたが、やがて「絞められて」食卓に上がるものでした。首をちょん切られた鶏が逃げ出し庭中を走り回った恐ろしい光景を覚えています。
家畜を殺して食用にするのは各家庭で普通に行われていました。
人間も自宅で死に、死体は村の焼き場で焼かれ、または土葬で、葬式は自宅で行われました。死や死体は身近にありました。
ホルマリン漬けになった奇形児や異形の人たちを撮ったウィトキンの写真を「グロテスク」と言ってしまうのは簡単です。しかし、死や奇形をあたかも無かったように社会の裏側へと押しやろうとする現代にあって、「誕生という痛みの到来と、死というその究極との間に、生という回復期がある」と語るウィトキンの世界には、見捨てられて来た人々を執拗なまでに追いかける圧倒的な迫力と打ち捨てられた生の断片を再生させる力強さがあります。
ウィトキンは自作についてこう語っています。
「私の作品は見捨てられた人間、英雄、聖者の世界に関与するもので、超自然的なもの、社会のパラノイア、そして現代の不確かな道徳観に関わるものである。」
(『Switch』1993年11月号46頁)

「Anti-Christ」
1964年ゼラチンシルバープリント
37.5x37.5cm
Ed.15 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
■ジョエル=ピーター・ウィトキン Joel-Peter WITKIN
1939年、アメリカに生まれる。死体やフリークスなどの特異な被写体とエロティックかつ怪奇的な表現方法で非常にスキャンダラスな作品を制作しているが、一面、ルーベンスやゴヤのほか、クリムト、フェリシアン・ロップスらの19世紀末の象徴主義の作品からインスピレーションを得ている。
◆ときの忘れものは、2011年10月21日(金)~10月29日(土)「X氏写真コレクション展II」を開催しています(会期中無休)。

リチャード・アヴェドン、エドゥアール・ブーバ、五味彬、細江英公、イリナ・イオネスコ、ユーサフ・カーシュ、ウーゴ・ムラス、ハーブ・リッツ、ジョック・スタージス、ジョージ・タイス、上田義彦、ジョエル=ピーター・ウィトキン、エドワード・ウェストン、吉川富三、フランセス・マーレイのゼラチン・シルバー・プリント作品を出品します。
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