昨日<+PLUS THE ART FAIR>が終了しました。ときの忘れものにとっては2月のTOKYO FRONTLINE、5月のアートフェア京都、8月のART NAGOYA 2011、9月のKIAF2011 Korea International Art Fair(ソウル)に続く今年5回目となるアートフェアでした。
ご来場いただいた皆様、作品をお買い上げいただいた皆様には心より御礼申し上げます。
普段展示する機会のなかった宮脇愛子、秋葉シスイ、小野隆生の大きな作品をお目にかけることができ、来場されたコレクターTさんからは「宮脇さんがNo.1だ」とお褒めの言葉をいただきました。
ありがとうございました。

さて、今年一年のご愛顧への感謝をこめて、12月3日(土)、4日(日)の二日間「年末セール★Discovery」を開催します
出品作品リストはホームページに11月25日に公開しますが、それに先立っていくつか出品作品をご紹介しましょう。

日本の現代版画のスーパースターだった池田満寿夫は、画家、版画家、挿絵画家、彫刻家、陶芸家、小説家、詩人、映画監督と多彩な活躍をしましたが、その原点は版画であり、生涯に制作した版画は1200点余り、その中でも飛び切りの代表作2点を今回出品します。
池田満寿夫「タエコの朝食」
No.50)池田満寿夫「タエコの朝食」  
1963年 銅版カラー
36.5×35.5cm 限定20部(Ep)

池田満寿夫「私の中の私」
No.51)池田満寿夫「私をみつめる私」 
1964年 銅版カラー
20.0×18.3cm 限定20部(Ep)

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この2点が制作された1963年~64年は池田満寿夫の絶頂期ともいっていい時期です。
年譜から1955年(21歳)~1966年(33歳)の12年間を辿って見ましょう。

1955年(昭和30年)(21歳)
未知の画家・堀内康司から手紙を受け取る。
4月、靉嘔、眞鍋博、堀内康司とグループ「実在者」を結成。堀内康司との出会いがその後の池田は混迷の泥沼から脱出する糸口をつかむ。堀内は無名時代から最後まで池田と交友を続けた。
6月フォルム画廊(福島繁太郎)で実在者第一回展開催(油彩)。
8月30日、大島麗子と結婚、入籍(3年半ほどの結婚生活)。
11月靉嘔に連れられて、浦和の瑛九を初めて訪問。

1956年(昭和31年)(22歳)
1月フォルム画廊で実在者の連鎖個展を開催。
4月靉嘔と壁画運動準備会を結成。
5月頃、靉嘔の紹介で久保貞次郎を知る。
7月銀座・木樂(くぬぎ)画廊「第一回よい絵を安く売る会展」に参加。4号一点が売れた(1600円)。久保と瑛九に急速に接近してゆく。
7月デモクラート美術家協会会員となる。加藤正、吉原英雄、泉茂らを知る。
8月長野県戸倉山田温泉「第5回創造美育全国セミナール」に参加。瑛九のエッチング講習会の助手を磯辺行久とともに勤める。旅費、宿泊費、食事付で日当350円。瑛九、磯辺行久、靉嘔、池田で春画のエッチング集を合作し頒布する。一枚100円。
9月蒲田小学校でのエッチング講習会で瑛九の助手を務め、この頃から瑛九の助言で、色彩銅版画を始める。エッチング、アクアチントを手掛ける。
10月最初の色彩銅版画集を瑛九の推薦文入りで自家出版、限定30部、5点セット、頒価1000円。

1957年(昭和32年)(23歳)
1月書痴往来社の峯村幸造と初めて会い、峯村は蔵書票の制作を勧める。
膨大な労力を要する割りに零細な金額にしかならなかったが、銅版画家としての経済的自立へのささやかな自信を持ち、自己流の技量を身につけていった。
1月瀧口の推挙でタケミヤ画廊の「第3回銅版画展」に2点を出品。(瑛九、駒井哲郎、浜口陽三、浜田知明、磯辺行久、加納光於、加藤正、南桂子、野中ユリ、関野準一郎、深沢幸雄、他)
2月久保貞次郎の提案で、靉嘔と池田の版画頒布会が組織される。一年間、毎月銅版画を5種類、各20部、計60枚を刷り、一枚100円で毎月6000円を受け取る契約をする。一年間で60種類の版画を制作し、720枚を刷りあげた。
頒布会のメンバーは、堀栄治木水育男、中村一郎、藤本よし子、大野元明、尾崎正教、加藤南枝らであった。「その一年間の経験が私を決定的に銅版画の世界へおしやった」。
6月、第1回東京国際版画ビエンナーレ展(国立近代美術館、読売新聞社共催)公募部門に「太陽と女」が入選。国際審査員の一人久保貞次郎が強力に推薦した。
銅版画の技法ドライポイントを手掛ける。
10月真岡に招かれ、久保アトリエのために壁画を制作(他に、泉茂、靉嘔、オノサト・トシノブ、磯辺行久)。

1958年(昭和33年)(24歳)
2月久保頒布会が終了。生活費を稼ぐためにエロティックな銅版画集「私の処女」や「二人の女」を自家出版。
9月書痴往来社の峯村幸造(1925年生まれ)の紹介で、真珠社の平井通(1900年生まれ、江戸川乱歩の弟、当時58歳)を知り、豆本のシリーズを刊行を約束。1959年から1964年までに8冊の「池田豆本」(絵入雛本)を刊行する。

1959年(昭和34年)(25歳)
4月大阪で泉茂の紹介でH氏賞を受賞した詩人富岡多恵子(23歳、清風高校の英語教師)と出会う。

1960年(昭和35年)(26歳)
1月妻・麗子と別れ、渋谷区本町アパートに富岡多恵子と駆け落ち、同棲する。貧困の中、豆本の手彩を手伝う。
11月第2回東京国際版画ビエンナーレ展招待出品で、文部大臣賞を受賞。一躍脚光を浴びる。審査にあたったドイツの美術評論家ヴィル・グローマンが「ここには東洋がある。日本の能面に通じる簡潔な美がある」と“東洋の影”を指摘して絶賛した。

1961年(昭和36年)(27歳)
9月、第2回パリ青年ビエンナーレ展で版画部門優秀賞受賞。

1962年(昭和37年)(28歳) 朝日選抜秀作展、版画友の会・版画新人ジャーナル賞展、毎日現代展などに次々と出品、飛躍の年となる。
10月、第3回東京国際版画ビエンナーレ展で東京都知事賞受賞。国際審査員のウィリアム・S・リーバーマン(NY近代美術館版画部長)に認められる。

1963年(昭和38年)(29歳)
4月堂本正樹演出のダンス・リサイタル「降霊館死学」(草月ホール)の舞台美術を担当。
1960年に2人目のパートナー、詩人の富岡多恵子と暮らし始めてから池田の交遊関係は広がった。詩人との交際が増え、飯島耕一、西脇順三郎、鍵谷幸信、吉岡実、萩原葉子らを知る。
この年、東京都世田谷区松原町に18畳あるアトリエを借りてから多数の友人が集まった。詩人・加藤郁乎、白石かずこ、田村隆一、舞踏家・土方巽、作家で仏文学者の澁澤龍彦らである。隣家に住む仏文学者、評論家の巌谷國士も加わり、芸術論を戦わせ、パーティーを開いて、ときには当時はやり始めたツイストを踊り、演歌を歌った。年長者では詩人・西脇順三郎、森鴎外の娘で作家の森茉莉、音楽評論家・吉田秀和らの名前が挙がる。映画監督の篠田正浩、グラフィック・デザイナーの勝井三雄、美術評論家・瀬木慎一とも交わった。版画作品にもこれらの友人たちの肖像が数多く登場する。

1964年(昭和39年)(30歳)
11月、第4回東京国際版画ビエンナーレ展で国内大賞に当たる国立近代美術館賞を受賞。リーバーマンは翌年のニューヨーク近代美術館での個展を企画。

1965年(昭和40年)(31歳)
6月、第6回リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展で受賞。
7月、富岡多恵子とサンフランシスコ経由ニューヨークへ。
8月、ニューヨーク近代美術館で日本人として初の個展を開催。同時に開かれたAAAギャラリーでの個展も全点が即日完売した。
渡米した際、池田は翌年のヴェネツィア・ビエンナーレ展の日本代表作家に選ばれた。しかし、旧作とともに、新作10点の出品を求められた池田は困惑した。池田は腐食に頼らない、ホテルの部屋でも出来るドライポイントとルーレット、歯科医の電動工具他で急遽制作を進め、現地の工房を借りて刷り上げた。旅先での不慣れな制作環境の中、チャンスを見事に生かした。
9月NY滞在中、友人の吉村二三生の結婚式で中国系米国人の画家のリラン(朱禮銀、1943年生まれ、当時22歳)に出会う。

1966年(昭和41年)(32歳)
5月ジャパン・ソサエティの奨学金を得て、ヨーロッパ各地を遊学。
6月第1回クラクフ国際版画ビエンナーレ展で受賞。
6月第33回ヴェネツィア・ビエンナーレ展版画部門で「タエコの朝食」など28点が国際大賞を受賞。棟方志功(1956年受賞)に次いでの受賞。賞金50万リラを獲得。コミッショナーは久保貞次郎で、出品は靉嘔、オノサト・トシノブ、篠田守男と池田。池田の名を国際的にも第一線の芸術家にした。
9月ニューヨークに戻り、リランと再会。フォード財団の奨学金を得て、ロスアンゼルスのタマリンド工房に二ヶ月滞在し、初めてリトグラフを20点制作する。
11月帰国。信濃美術館で「池田満寿夫版画展」開催。

瑛九や久保貞次郎らの物心両面にわたる支援、二人目のパートナー富岡多恵子との出会いと別れ、多くの文学者たちとの交友。あれよあれよという間にシンデレラボーイとなった濃密な12年間に銅版画の傑作群が生まれました。
「タエコの朝食」のタエコとはもちろん富岡多恵子さんのことです。
マスオ版画の魅力は、一に色彩、二にコラージュと即興性、三にエロティシズムと言っていいでしょう。
特に、私的、日常的、文学的、洒脱、繊細さという美点が、コレクターたちに支持され、どの系譜にも属さない独自の表現(先行者がいない)を追求し、一つの表現手段にこだわらず、変身を繰り返したところに池田満寿夫の真骨頂がありました。

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ちょうど長野市松代町の池田満寿夫美術館の収蔵作品による池田満寿夫展が東京・吉祥寺で開催されていますので、そちらもどうぞお出かけください。
20111112池田満寿夫展 表
20111112池田満寿夫展 裏

池田満寿夫展 組み合わされたイメージのなかへ
会期:2011年11月12日(土)~12月25日(日)
会場:武蔵野市立吉祥寺美術館
◆ときの忘れものは、2011年12月3日(土)~4日(日)「年末セール★Discovery」を開催します。出品作品は二日間のみの特別価格にて頒布します。
魔方陣
出品リストは11月25日にホームページに掲載します。
特別頒布価格はWEBには公開しませんので、メールにてお問い合わせください。
出品予定:オノサト・トシノブ、長岡吾郎、オーギュスト・ルノアール、浜田涼、二木直己、植木茂、小川信治、田名網敬一、横尾忠則、トニー・クラッグ、ジャン=ミシェル・フォロン、三上誠、パウル・ヴンダーリッヒ、ニキ・ド・サンファル、O Jun、山中現、日和崎尊夫、ベルト・モリゾ、菅井汲、アンディ・ウォーホル、ハインリッヒ・フォーゲラー、ミヤモト・コウイチ、J.E.ラブルール、ヘンク・フィッシュ、木内克、エドワード・スタイケン、井田照一、ジョアン・ミロ、ハンス・ベルメール、セザール、マックス・エルンスト、国吉康雄、ドナルド・サルタン、長谷川潔、内間俊子、駒井哲郎、恩地孝四郎、竹久夢二、須田國太郎、李禹煥、草間彌生、マックス・クリンガー、池田満寿夫、吉原英雄、飯田善国、堂本尚郎、瑛九、マン・レイ、クリスト、ジョック・スタージス、デイヴィッド・ホックニー、難波田龍起、舟越桂、南桂子
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