幸福な場所 [よしなしごと] ~深野一朗

誰にでも「憧れの人」というものは居ると思います。

うんと幼い頃は、それが実在の人物と言うよりは、架空のヒーローだったり、アニメのキャラクターだったり。

やがてそれがスポーツ選手やお笑い芸人になり、俳優、女優、ミュージシャンになっていったりします。

小説家やアーティストに憧れる人も居ます。かつては政治家という人も居たのでしょうが、いまはあまり聞きません。

自分がだんだん齢(とし)を食ってくると、この「憧れの人」が減ってくる。それは大抵、年長者に憧れるものですから、自分がとしを取るということは、相手もとしを取るわけで、いつの間にやら死んでしまう、ということもあります。

けれども大体は、としを取って、人生経験もつみ、社会の荒波に揉まれるにつれ、若い頃抱いていた憧れというものが、どんどん色あせて、モノクロになり、やがては眼をこすっても見えないぐらいに、消えてなくなってしまうものです。

だいいち、いいとしをして、それもオトコが、「憧れ」というのは、ちょっと幼いし、恥ずかしい気がします。

けれども「尊敬」というと、また意味が違う。そんな堅いものではない。無条件に好き、会ってみたいけれど会えない、いつも遠くから見ている、そんな「マドンナ的」存在が憧れの人ということでしょうか。

僕でいえば、ブログにもよくご登場いただく磯崎新さん大竹伸朗さんは、まさに憧れの人です。シンポジウムやトークショウでしかお見かけできない、お話を聴けない、男ですがマドンナのような存在です。

もしあなたが、そんな憧れの人に、会うことができたら、それもいちどきに何人もと会えることができたら、どうしますか??


半年近くも前になってしまいますが、お馴染のギャラリー「ときの忘れもの」さんで、「一日だけの植田実出版記念写真展」がありました。

およそ建築が好きなら、植田実先生を知らない人はいないでしょう。自宅の書棚を改めて見て御覧なさい。植田先生の御著書や御編集された雑誌が何冊も並んでいるはずです。

その植田先生の新著のご出版を記念して、先生が旅先で撮影した写真の個展が一日だけ催されたのです。

1307162187944『真夜中の庭』 サイン本
植田実
みすず書房 発行
2011年
19.4x13.7cm
197P

1307162181856『住まいの手帖』 サイン本
植田実
みすず書房 発行
2011年
19.4x13.7cm
193P

植田先生にお会いできる絶好の機会と、僕はかねてより愛読していた先生の御著書を手に、ときの忘れものさんに伺いました。あわよくば、この名著に御署名を頂こうという腹づもりでした。
411rIDqFEkL__SL500_AA300_建築家 五十嵐正―帯広に五百の建築をつくった
作者: 植田 実
出版社/メーカー: 西田書店
発売日: 2007/03/07
メディア: 単行本

果たしてギャラリーは「植田ファン」で賑わっていました。ひと通り展示されている写真を観るものの、先生は応酬に暇なく、なかなかサインを頂けそうにありません。仕方なく、部屋の奥に並んでいる書籍を見に行くと、見覚えのあるご婦人が。

なんと大竹昭子さんでした。

大竹さんのトークの面白さはブログで何度か書いてきましたが、特に膝を乗り出したのが代官山で繰り広げられたスラムの話でした。

ちょうど大竹さんもお一人のようでしたので、僕は思い切って話しかけました。なぜなら、大竹さんの話に出てきた「鮫川」は我が家の真横を流れており、どうしてもそのことをお伝えしたかったのです。
突然のKYオトコの不躾な態度にも大竹さんは嫌な顔ひとつせず、興味ありげに僕の鮫川の話を聴いて下さいました。

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(植田先生の背後で話をする大竹さんと僕。写真はときの忘れものさんのHPより拝借しました。)

そうこうしているうちに、ようやく植田先生と話す機会が巡ってきました。
僕の建築巡礼の話題から、植田先生でも見ていない、見たいと思われている建築があるのか、伺ってみたところ、菊竹清訓の都城市民会館の名前が挙がりました。この生粋のメタボリストによるキメラ建築を植田先生がどう評するのか、是非伺ってみたいところです。
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そして、「もくろみ」通り、新旧の御著書にご署名とご捺印を頂きました。
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この稀代の名編集者とのしばしの会話に夢中になっていたところ、最後にとんでもないゲストが現れました。

それは、剣持デザイン研究所所長の松本哲夫さんです。

僕が松本さんを初めてお見かけしたのは、AXISでのイームズ展で行われた藤崎圭一郎さんとのトークでした。ここで松本さんが語った剣持勇の素顔は僕にとって衝撃的なものでした。以前にも書きましたが、我が国における剣持に対する現在の評価は、必ずしも正当なものではないように思われます。もし僕が「日本人で一人だけインテリア・デザイナーの名を挙げろ」と問われれば、迷いなく剣持の名を挙げるでしょう。

その剣持の片腕といわれた松本さんが目の前に居られる。

まこっちゃんの会とあっては、来ないわけにはいかないよ。

松本さんはそう仰って、あろうことか僕の真正面に座られました。普段から植田実先生を「まこっちゃん」と呼ばれているようです。とてもスマートでダンディな松本さんを眼前に、既に僕はポーっとしています。

ときの忘れもののご亭主が松本さんに僕を、「剣持のコレクター」とご紹介して下さったのをいい事に、持前の厚顔ぶりで僕は、愛用する剣持のテーブルと椅子の写真を松本さんにお見せしました。

いずれも珍しいものゆえ、松本さんはたいそう驚かれ、「よく手に入ったねぇ」と仰いました。内心小躍りしたくなるほど嬉しかったのは言うまでもありません。

話題は剣持の没後河出書房新社から1,000部限定で刊行された愛蔵本『剣持勇の世界』に及びました。当時の定価が8万円。僕はそれ以上のお金を払って古本で入手しました。
凝りに凝った造りで、剣持の生涯の仕事を余すところなく紹介した、資料としても一級の価値がある、五分冊で一巻の高級本です。
連載が途中になってしまっていますが、僕が「剣持と倉俣」について書くためにも手離すことのできない座右の書です。

松本さんはその『剣持勇の世界』の制作裏話を教えてくださいました。
この本の「売り」のひとつは、石元泰博の写真でした。バウハウス仕込の日本人にはない独特の構成力で既に建築の写真で一時代を築いていた石元が、初めて正面からインテリアの世界を捉えた写真は、見るものに当時強い衝撃を与えたといいます。
ところが・・・・・
この本のレイアウト・デザインを担当した亀倉雄策は、この石元の写真を、自分のデザインでジョキジョキ切っていったというのです!!石元でなくても、そんなことをされてニコニコしている写真家はいないでしょう。ましてや構図構成に最も拘る石元です・・・・・。
石元泰博と亀倉雄策。二人の鬼才のあいだで、松本さんは随分ご苦労されたようです。そんな裏話も、貴重な日本のモダンデザイン史の一端であり、聴いていた僕は恍惚となりました。

最後に松本さんには、剣持の自死の真相を伺いたかったのですが、いかに厚顔な僕でも、さすがに初対面で切り出すには余りにデリカシーに欠ける話題に思われ、そのことには触れられませんでした。
ただ松本さんはひとことだけ、「あの年齢特有のうつのようなもの・・・」とだけ仰いました。

植田実先生に、大竹昭子さんに、松本哲夫さん。

ほんの僅かな時間に、いつかお会いしてお話してみたい、と思っていた方々に、いちどきに会って、話をさせていただきました。

こんなことって、あるのでしょうか!? 夢じゃないかしら!?

そのギャラリーは外苑前から歩いてすぐのところ、青山の一角にあります。

骨太で大人向けの個展が多いせいか、普段は比較的静かで落着いた空間なのですが、この日ばかりはこの空間が、とても「幸福な場所」になりました。
ときの忘れものさんの展示のディレクションをご担当なさっている浜田宏司さんが、「一日だけの植田実出版記念写真展に寄せて」という文章を寄稿されていますが、これこそまさに、“画廊にみなぎっている魔法”が起こした奇跡ではありますまいか。

でも、このような魔法と奇跡と幸せは、そうそうあっては困るような気もします。

なぜなら、憧れの人に、それも三人も同時に、会って話してしまうなんてことがちょくちょくあっては、なにか一生の運をそこで使い果たしているような気がして、おまけに寿命までが縮まってしまうのではないか、そんな気がしてならないからです。
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(松本哲夫さんのお話を拝聴する僕。なんか学校の先生と先生に説教されている出来ない坊主みたいだナァ。写真はときの忘れものさんのHPから拝借しました。)

(ふかのいちろう)

◆深野一朗(ふかの・いちろう)
1968(昭和43)年千葉・市川生まれ。幼名「一郎」。小学生の頃に占い師から「女狂いする」と言われ、慌てた父が「郎」の字を「朗」に変える。以後「一朗」となる。日本大学経済学部卒。公認会計士。学生の頃から服飾に尋常ならざる情熱を燃やし、セレクトショップ通いの毎日を送る。やがてその関心はミッド・センチュリーな家具へと移り、一時期服飾の世界から完全に「手を引く」。1999年にミラノで始まった駐在員生活が、失われつつあった服飾魂に再び火をつけ、以後帰任までの4年間「服飾バカ一代」の途をひた走る。欧州各地を訪れては、ホテルと料理と美術館を堪能するという放蕩がたたり、帰任後のサラリーマン生活に悶絶の日々を送っていたが、つい最近独立した。
著書『クラシコ・イタリア ショッピングガイド』(2004年 光文社・知恵の森文庫)

*画廊亭主敬白
前回に続き、深野一朗さんのブログ「ジャージの王様」からの転載です。
ときの忘れものはしがない三流の貧乏画廊ですが、昔からのご縁で扱っている作家たちは文句なく一流の方たちばかりです(エヘン)。
普段人も来ない閑散とした場所にときどき異変があります。
2011年6月18日はそんな一日でした。
居合わせた深野さんがまた泣けるようなレポートを書いてくださいました。感謝せずにはおられません。