<戸張孤雁は、1882年に生まれて、1927年に、46歳で亡くなっている。短命で寡作だったせいもあって、よくは知られていない。近代美術史上のもっともひそやかな存在と言っていい。>
瀬木慎一「戸張孤雁」より(現代版画センター機関誌『画譜』第4号・1976年9月所収)
今春亡くなった瀬木慎一先生が詩人らしい言葉で「もっともひそやかな存在」と評した戸張孤雁の、今日12月9日は命日です。

アトリエの戸張孤雁(1916年頃)
(愛知県美術館「戸張孤雁と大正期の彫刻」展図録4ページより
同展は1994年1月25日~3月6日まで開催された)

戸張孤雁「煌く嫉妬」
1924年 ブロンズ
35.0×19.0×20.6cm
愛知県美術館蔵
亭主は常々東京生れの画家や彫刻家の不運を嘆いていました。
戸張孤雁は挿絵や創作版画の先駆としても重要であるとともに、親友荻原碌山の遺志を継いで近代彫刻史に残る秀作を残しましたが、いまだ生地東京の美術館で回顧展ひとつ開かれていません。
なにせ東京出身の画家や彫刻家は多い、加えて東京で制作活動をし、東京で亡くなる作家も膨大だから、都立、区立の美術館も彼らをフォローするだけでもたいへんである。

戸張孤雁「小田原妓楼」
制作年不詳 木版
45.5×32.0cm
このときの忘れもののコレクションは状態があまりよくありませんが、東京国立近代美術館には山本孝さんが寄贈した良品があります。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
戸張孤雁(とばり こがん)は、1882(明治15年)東京日本橋生まれ。
本名・志村亀吉。後に母方の戸張家を継ぐ。1901(明治34年)渡米し、苦学しつつアート・スチューデンツ・リーグなどで絵画を学ぶ。荻原守衛(碌山)と知り合うが、1906年病のため帰国。荻原の影響で彫刻への関心を深め、1910年太平洋画会研究所彫塑部に入る。1916年からは日本美術院彫刻部に出品し、翌年同人となる。1913年石井柏亭らと水彩画会を創立、1919年には創作版画協会に参加し版画制作を行い、「タンスの前」「玉乗り」「千住大橋の雨」などの傑作を遺す。
1927(昭和2)年12月9日死去。下谷区谷中大泉寺に埋葬される。
生涯独身(美しい恋人はいましたが)、 東京出身がたたって、いまだにこの優れた作家を顕彰する機関も美術館もありません。もし孤雁が他の地方の出身だったら、美術館が放っとかないでしょう。
以前名作「千住大橋の雨」を買い損なったことについて書いたことがありますが、亭主は1974年から10年ほど戸張孤雁に夢中になって追いかけました。当時、妹さんもご健在で、兄孤雁のことをいろいろ聞くことができました。また縁あって一時、私の自宅に全版木を保管していました(現在は愛知県美術館の収蔵)。また彫刻代表作「煌く嫉妬」の原型も当時現代版画センターが持っていたギャラリー方寸の戸張孤雁展で展示したこともあります。
下の2点の木版は、亭主の現代版画センター時代に孤雁の原版木から後摺りしたものです。

戸張孤雁「木版小品(1921年年賀状)」
1921年年賀状として制作、
1976年原版木より後摺り(摺り:五所菊雄)
9×13cm 限定275部
『画譜』第3号特装版に挿入

戸張孤雁「木版小品」
制作年不詳、
1976年原版木より後摺り(摺り:五所菊雄)
10×15cm 限定275部
『画譜』第3号特装版に挿入
近代美術史上のもっともひそやかな存在、孤雁の回顧展をどこか東京の美術館が開いてくれないかしら。
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瀬木慎一「戸張孤雁」より(現代版画センター機関誌『画譜』第4号・1976年9月所収)
今春亡くなった瀬木慎一先生が詩人らしい言葉で「もっともひそやかな存在」と評した戸張孤雁の、今日12月9日は命日です。

アトリエの戸張孤雁(1916年頃)
(愛知県美術館「戸張孤雁と大正期の彫刻」展図録4ページより
同展は1994年1月25日~3月6日まで開催された)

戸張孤雁「煌く嫉妬」
1924年 ブロンズ
35.0×19.0×20.6cm
愛知県美術館蔵
亭主は常々東京生れの画家や彫刻家の不運を嘆いていました。
戸張孤雁は挿絵や創作版画の先駆としても重要であるとともに、親友荻原碌山の遺志を継いで近代彫刻史に残る秀作を残しましたが、いまだ生地東京の美術館で回顧展ひとつ開かれていません。
なにせ東京出身の画家や彫刻家は多い、加えて東京で制作活動をし、東京で亡くなる作家も膨大だから、都立、区立の美術館も彼らをフォローするだけでもたいへんである。

戸張孤雁「小田原妓楼」
制作年不詳 木版
45.5×32.0cm
このときの忘れもののコレクションは状態があまりよくありませんが、東京国立近代美術館には山本孝さんが寄贈した良品があります。
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戸張孤雁(とばり こがん)は、1882(明治15年)東京日本橋生まれ。
本名・志村亀吉。後に母方の戸張家を継ぐ。1901(明治34年)渡米し、苦学しつつアート・スチューデンツ・リーグなどで絵画を学ぶ。荻原守衛(碌山)と知り合うが、1906年病のため帰国。荻原の影響で彫刻への関心を深め、1910年太平洋画会研究所彫塑部に入る。1916年からは日本美術院彫刻部に出品し、翌年同人となる。1913年石井柏亭らと水彩画会を創立、1919年には創作版画協会に参加し版画制作を行い、「タンスの前」「玉乗り」「千住大橋の雨」などの傑作を遺す。
1927(昭和2)年12月9日死去。下谷区谷中大泉寺に埋葬される。
生涯独身(美しい恋人はいましたが)、 東京出身がたたって、いまだにこの優れた作家を顕彰する機関も美術館もありません。もし孤雁が他の地方の出身だったら、美術館が放っとかないでしょう。
以前名作「千住大橋の雨」を買い損なったことについて書いたことがありますが、亭主は1974年から10年ほど戸張孤雁に夢中になって追いかけました。当時、妹さんもご健在で、兄孤雁のことをいろいろ聞くことができました。また縁あって一時、私の自宅に全版木を保管していました(現在は愛知県美術館の収蔵)。また彫刻代表作「煌く嫉妬」の原型も当時現代版画センターが持っていたギャラリー方寸の戸張孤雁展で展示したこともあります。
下の2点の木版は、亭主の現代版画センター時代に孤雁の原版木から後摺りしたものです。

戸張孤雁「木版小品(1921年年賀状)」
1921年年賀状として制作、
1976年原版木より後摺り(摺り:五所菊雄)
9×13cm 限定275部
『画譜』第3号特装版に挿入

戸張孤雁「木版小品」
制作年不詳、
1976年原版木より後摺り(摺り:五所菊雄)
10×15cm 限定275部
『画譜』第3号特装版に挿入
近代美術史上のもっともひそやかな存在、孤雁の回顧展をどこか東京の美術館が開いてくれないかしら。
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