昨日の「磯崎新銅版画展 栖十二」初日はおかげさまで千客万来、たまたまスタッフが休みだったり、社長は倉庫に行ったりで、亭主孤軍奮闘。そういうときに限り、お客様が同時に何組もいらっしゃる、ありがたいことですが、こちらのお客を待たせて、あちらのブラジル人のお相手をし、さらにカード支払いを言われて機械音痴の亭主は右往左往。携帯で社長を呼び出し、カードの操作を教わりながら四苦八苦、そういう最中にゴヤの版画の問合せがあったりで、いや忙しかった。
二人の作家の来年の新作個展が決まりました。一人は版画、他の一人は写真です。新年早々には発表できるでしょう。

さて昨日に続き、13年前の『栖十二』のファーストエディションの制作記録を辿ってみましょう。

磯崎新『栖十二』より
第二信ル・コルビュジェ[母の小さい家]


vol2磯崎新「栖十二」第二信パッケージ
1998年8月15日付書簡(書き下ろしエッセイ)と銅版画1点が挿入された。

第2信より挿画4_A磯崎新〈栖 十二〉第二信より《挿画4
ル・コルビュジエ[母の小さい家] 1923-24 レマン湖畔

第2信より挿画5_A磯崎新〈栖 十二〉第二信より《挿画5
ル・コルビュジエ[母の小さい家] 1923-24 レマン湖畔

第2信より挿画6_A磯崎新〈栖 十二〉第二信より《挿画6
ル・コルビュジエ[母の小さい家] 1923-24 レマン湖畔

これらの銅版画は1999年に刊行された住まい学大系第100巻『栖すみか十二』を読まれながら鑑賞していただけると嬉しいのですが、当時の私たちは磯崎先生から送られてくる原稿と銅版の原版の対応にてんてこ舞いしながら(下記の事務局からの「お便り」をお読みいただくとお分かりのように)、一つの作品が出来上がってゆくライブ感をパトロン(35人の書簡受取人)の皆さんとともに楽しみながら走っていました。
以下第二信に同封した「お便り」の再録です。

第二信・事務局連絡

 第二信をお送りします。今回はこのお便りとは別便で、数日中に。

 先にお便りだけをお送りするわけは、パッケージの紐の処置について何人かの方に電話で伺ったところ、ハサミであっさり切られた方、外した紐を一応保存されている方、もう一度紐をかけ直された方、それぞれに対応されているようで、どれも正解だと思いますが、なかにはもったいないのでそのまま開けないで置いてあるという方もいらっしゃるようです。それも正しい対処のひとつだと思いますが、そのために中身を永久に!?見ていただけないのは残念だし、この中に入っている事務局からの連絡も読まれないとなると、いろいろ支障が出てきそうなので、パッケージ・デザインを担当した北澤敏彦さんに、「紐のお取り扱い法」を図解していただいたのを同封します。このために別便でお便りをする次第です。北澤さんは、パッケージの切手をはる位置、その間隔までその都度決めて下さっています。切手の種類もそれぞれの方で、違う組み合わせになっているはずです。
 第一信の郵便局の消印は、東京・赤坂でした。
 磯崎新アトリエの最寄りの郵便局というわけで。
 数日中にお送りする予定の第ニ信は、発送のその日まで私たちにも郵便局を決められません。
 第二信の「栖」はル・コルビュジェの『母の小さい家』です。「両親の家」とか「小さな家」といった名称も使われていますが、上のようにした理由はまた、磯崎さんの文章を読めば納得していただけると思います。『母の小さい家』は建物の名称であると同時に、それを題材にした建築家の絵本ともいうべき出版物のタイトルでもあります。本文冊子五頁(本書三六頁)目に、この本からの引用がありますが、これは磯崎さんの、英語版からのなんとも直截な訳。まさにル・コルビュジェの肉声になっている点に御注目下さい。別にこの本の体裁をできるだけ忠実に生かした邦訳があります(”Une Petite Maison”を直訳した『小さな家』のタイトルで、森田一敏訳 集文社)。

 この夏、磯崎さんと会う接点はいくつもあったのですが、ゆっくり話し合う持続的時間が足りないので、本文冊子の校正や内容の確認なども、なかなか際どい。それにこのエディションでは、単行本なら漢字その他の表記を統一してしまう直前の、荒走りのような半ば生の状態を許容したいという、事務局側の気持ちもあります。漱石ばりの当て字なんかに磯崎さんの気分がよく乗っていて、用字用語の手びきどおりに整理をしてしまうのはもったいない。その意味では、お送りしている冊子は、住まい学大系第一〇〇巻でまとめられるものとは微妙に、また決定的に違う、これ限りの出版になります。

 八月二十六日には、山口県秋芳町の秋吉台国際芸術村の柿落としに立ち会い、翌日には岡山県奈義町の現代美術館が変わらず美しく、図書室が子供にすっかり親しまれている様子を楽しみ、翌々日には岡山西警察署を親切な係官に案内していただくという、磯崎建築コースを巡りながら、そのどこからも第二信を送れなかったのは残念でした。磯崎さんにとっても、中国から帰った次の日が二六日だったわけでこれ以上の無理をお願いできませんでしたが、秋吉台国際芸術村のホールで、二時間半におよぶルイジ・ノーノの日本初演である『プロメテオ』が終わったとき、指揮者たちと並んで建築家の磯崎さんが、拍手に応えて繰り返し挨拶する姿には、つくるべきもの語るべきものをまだ限りなく持っている力を感ぜずにはいられませんでした。この曲は五名の独唱者、混声合唱、四つのオーケストラ、指揮者二名その他、総九〇名近くで構成されます。複雑な音響と空間構成を可能にするべく設計されたホールでした。

 第三信も銅版画、スケッチをはじめ、本文原稿が昨日磯崎さんから送られてきました。編集作業がすぐ始まります。

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毎月できあがる「栖十二」を全国各地の郵便局から35人のパトロン(書簡受取人)にお送りしたわけですが、パトロン(書簡受取人)の皆様をお誘いしてのイベントも同時進行していました。
19980826秋吉台入り口1998年8月26日
磯崎新設計の山口県「秋吉台国際芸術村」入り口にて、パトロンの皆さんと。

19980826秋吉台N邸取り壊されてしまった磯崎新初期の傑作N邸の再現。

19980826プロメテオ初演コンサートホールの杮落しは磯崎先生の友人ルイジ・ノーノ作曲「プロメテオ」の初演でした。緊張感あふれる演奏で、不定形のホールのあちこち、地からわき、天から降り注ぐような音楽の感動は生涯忘れ得ない思い出となりました。
終演後挨拶する磯崎先生(中央右から二人目)

19980827奈義町美術館磯崎新設計の岡山県「奈義町現代美術館」の宮脇愛子作品の前で。

栖十二第二信青焼き600第二信パッケージ中面の青焼きは磯崎新設計「軽井沢I荘書斎断面図」
この写真のパッケージの受取人は藤森照信さん

栖十二紐染めパッケージを縛る紐は毎回色違いでスタッフが手染めしました。

栖十二第二信軽井沢磯崎別荘1998年9月初旬の第二信の発送イベントは、軽井沢I荘の庭に揺れる宮脇愛子「うつろひ」の中に35通の書簡第二信を並べて撮影するというインスタレーション。書簡の下に敷いたのは缶ビール35個です(その後全部呑んじゃいました)。
後ろに見えるのがI荘書斎です。

第2信軽井沢〒
そして軽井沢郵便局から発送。

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◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています(会期中無休)。
磯崎新展
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を出品、全て作家自身により手彩色が施されています。
この連作を企画した植田実さんによる編集註をお読みください。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示します。