12月20日から25日まで広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターという写真ギャラりーで開催された「THE・JPADS・PHOTOGRAPHY SHOW Christmas Photo Fair」に参加させていただきました。
出展は6ギャラリーでしたが、ときの忘れもの以外は、皆さん20年、30年のキャリアをお持ちで写真一筋、亭主は毎日皆さんから写真の講義を受けていたようなものでした。
事務局を担当されたブリッツギャラリーの福川さんによれば、日本の写真ギャラリーの多くは「見せるだけ」でコレクターを育てることをしてこなかった、という危機感からこのフェアーを始められたとのことでした。
今回は二度目でしたが、このような多彩な傾向を持つ(出品作品はそれぞれのギャラリーのポリシーを反映してほとんどダブりませんでした)コンパクトなフェアーが継続するよう、私どもも微力を尽くしたいと思います。

さて、ギャラリーでは29日まで「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています。
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げた銅版画連作〈栖十二〉の全40点は1998年夏から翌1999年9月にかけての僅か1年間に制作されました。
予め予約購読者を募り、書簡形式の連刊画文集『栖 十二』―十二章のエッセイと十二点の銅版画―を十二の場所から、十二の日付のある書簡として限定35人に郵送するという、住まいの図書館出版局の植田実編集長のたくみな企画(アイデア)が磯崎先生の制作へのモチベーションを高めたことは間違いありません。
このとき書き下ろした十二章のエッセイは、1999年に住まい学大系第100巻『栖すみか十二』として出版されました。
その経緯は先日のブログをお読みいただくとして、1998~1999年の制作と頒布の同時進行のドキュメントを、各作品と事務局からの毎月(号)の「お便り」を再録することで皆様にご紹介しています。
第八信はルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン[ストンボロウ邸]です。
vol8第八信パッケージ

第8信より挿画24_A磯崎新〈栖 十二〉第八信より《挿画24
ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン[ストンボロウ邸]
1928 ウィーン

第8信より挿画25_A磯崎新〈栖 十二〉第八信より《挿画25
ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン[ストンボロウ邸]
1928 ウィーン

第8信より挿画26_A磯崎新〈栖 十二〉第八信より《挿画26
ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン[ストンボロウ邸]
1928 ウィーン

第8信より挿画27_A磯崎新〈栖 十二〉第八信より《挿画27
ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン[ストンボロウ邸]
1928 ウィーン

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第八信・事務局連絡

一九九九年四月五日盛岡市・内丸郵便局より発送


 第八信をお送りします。磯崎さんはたちまちベースを取り戻したようです。

 今回のウィトゲンシュタインのストンボロウ邸を知るためのもっともまとまった資料は書簡中にある『ウィトゲンシュタインの建築』でしょう。原書は一九七六年New York University Pressから刊行された英独文併記の”The Architecture of Ludwig Wittgenstein, A Document”、Bernhard Leitnerだと思いますが、この邦訳は最初は西武美術館の機関誌『ART VIVANT』一六号(一九八五年)に一挙掲載されました。レイトナーの序文、ヘルミーネ・ウィトゲンシュタインの「家族の回想」五・六章、そしてメインを占めているのは、この邸宅の写真と図面のドキュメントです。加えて足立美比古氏によるエッセイと同氏の構成によるウィトゲンシュタイン語録が付されている。磯崎さん自身は訳者の役割に徹して何もコメントしていない。それが逆に、なんともいえない迫力でした。
 現在入手可能なのは、これを同名の単行本に仕立て直した青土社版(一九九六年)です。体裁は原書をより忠実に反映しています。こちらは、黒崎宏、多木浩二の両氏がエッセイを寄せていますが、磯崎さんはやはり沈黙を守っている。カッコいいですね。エンゲルマンの手紙の引用(本書一五六頁)は、黒崎氏のエッセイのなかにあるものです。
 ですから磯崎さんがこの建築について独立したエッセイを書かれたのは、この第八信が初めてといってもいい。以前にも書かれてはいるのですが、それはサイモン・ロジャースのワッツタワー、そしてストンボロウ邸、バックミンスター・フラーのドームが、非建築家による建築の可能性を語る、その一項としてでした。「建築がたとえば直接に作者がのみをふるう彫刻と異なるのは、住み手の意図の反映としての写像が幾度となく射影され、位相が変換されていくことである」と、そこでは指摘されています。そしてこの三者は、生(人生観となる宇宙観)、論理(哲学的思考)、技術(社会的システム)の、三項から立ち上げられている。この視点もストンボロウ邸理解をより広い領域から追い込んでいるわけです。岩波講座『文学』のために書かれたこの一文(一九七五年)は、その後『建築の地層』に再録されています。ついでにいえばその翌年、思想誌『エピステーメー』一〇月号が創刊一周年記念にウィトゲンシュタインの特集を組んでおり、巻頭シンポジウムが高橋康也、磯崎新、黒崎宏の三氏で行われています。今度は文学、建築、哲学の三方向の視点からウィトゲンシュタインが、ルイス・キャロルとの近接性で見られたり、現実が分かったところですべて終わってしまうような、建築にあらざる建築みたいなストンボロウ邸が現れてくると同時に、磯崎さんもそれに関連して自分の建築への姿勢を二人に問われてしゃべらされている。
 さらに。一九七九年、現代版画センター(主宰・綿貫不二夫)による磯崎さんの版画エディション「内部風景」は、このストンボロウ邸に加えて、アントナン・アルトーのカトルマル精神病院、アラタ・イソザキの「増幅性の空間」の三幅対(アルフォト、各限定八部)になっています。意味深ですね。これは東京国際版画ビエンナーレ第一一回(一九七九年。これが最終回)の佳作賞を獲得しています。
 もうひとつ、最初にストンボロウ邸に磯崎さんを案内したというハンス・ホラインにからんだ話ですが、この皆様もよくご存じの「わがスーパースターたちの家」設計競技のデータを一応記しておきます。『新建築』一九七五年度の磯崎さんによる出題と審査です。結果は一等トム・ヘネガン、二等がホラインとロン・ヘロンの二人。このコンペは、設計以外の磯崎さんのいわば建築啓蒙活動(へんな表現ですが)のなかでも、いや日本の現代建築を考える数多くの表明のなかでも、最重要のものだと、今も私は信じています。審査結果発表号で磯崎さんは「日本の建築教育の惨状を想う」という、問題の在り処を押えこんだ評を書いている。つまり国内からの応募案はこのとき惨敗したのですが、それは「対象をつきはなし、みずからの方法をその中間領域に自由に組み立て操作するという意識的な方法は、この国ではほとんど一般化していない」からだろうと言い切っている。この審査評とあわせてヘネガンやホライン達の案をくりかえし読みとりながら、建築を考えるとはこういうことなのか初めて納得したような記憶がありますが、それ以降でも、しかも海外のラディカルな建築家が審査員となったばあいでも、これを超えるインパクトを同誌の住宅コンペから受けることはなかったほどです。
 今回の第八信は、こうしたウィトゲンシュタインを磁場とする言葉の問題が、彼の建築を通して、さらにそこから対空高射砲台をとおして「不気味なもの」にまで足を踏み出していることで、この哲学者が急に身近かなものになっている。哲学を別の言葉で語ったエッセイといってもいい。いいかえればウィトゲンシュタインが建築というものをじつに明快にリアルに語っているかのように、磯崎さんは書いています。改めて、今回のパッケージに使われた中山邸をはじめとする一連の住宅が、この書簡を通して、スタイルという先入観、設計・磯崎新という先入観からも外されて、何ものかが、ある極限の解にふいに向かうシーンが見えてくる思いがしました。
 どうもまるきり磯崎さんに則した話で終始してしまったので、ひとつだけ別の資料を加えるとすれば、映画作家ジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の記憶』です。アメリカに亡命したメカスが三〇年ぶりに帰った故郷の土地と人々を満喫したその帰途に、付け足しみたいに寄ったウィーンで、突然ストンボロウ邸を訊れる。旅人の気まぐれのようにも深い意味があるようにも思えるふしぎなショットですが、一六ミリカメラにとらえられた電球やドア・ノブ、そしてテラスのドアが開かれる一瞬、また壁と開口部の異様なプロポーションそのものの描写に、空間がえぐり出されるような感触がありました。

 今回のエッチング。ヘルミーネの描いたスケッチ、磯崎さんによれば、生活のための舗設の背景として「なにもない余白」を見せているスケッチと違うし、逆にルートウィッヒの世界以外は生活も何も見えない写真とも違う。ガラスの壁やドアを縁どる磯崎さんの描線は、これは結局は何と定義できるのか、また考えはじめてしまいました。(文責・植田)
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050栖十二第八信限定番号いれ
第八信の小冊子の一冊一冊に限定番号を入れる社長。当時のときの忘れものはしもた屋風の一軒家で中庭には紫陽花などが植えられていました。

051栖十二第八信盛岡北ホテル
新幹線で盛岡へ。定宿の北ホテルの客室には松本竣介の絵が飾ってありました。

052栖十二第八信第一画廊
師匠上田浩司さんのMORIOKA第一画廊にて。右は中村光紀さん(当時は岩手日報事業部長、現・萬鉄五郎記念美術館館長)。

053栖十二第八信第一画廊げん
画廊の一角には舟越保武先生の命名による喫茶店「舷」(げん)があります。

054栖十二第八信第一画廊床に並べる
「磯崎新 新作版画展」開催中の画廊の床に『栖十二』第八信を並べて記念撮影。

055栖十二第八信盛岡内丸〒
盛岡内丸郵便局。

056栖十二第八信内丸〒から

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◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています(会期中無休)。
磯崎新展
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を出品、全て作家自身により手彩色が施されています。
この連作を企画した植田実さんによる編集註をお読みください。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示しています。
住まい学大系第100巻『栖すみか十二』も頒布しています(2,600円)。