◆第22回瑛九展
会期=2012年1月13日[金]ー1月21日[土] 12:00-19:00 ※会期中無休
昨年は瑛九の生誕100年で宮崎、埼玉、うらわの各美術館で大規模な回顧展が開催されたほか、各地でさまざまな顕彰の催しがなされました。
ときの忘れものでも珍しいフォトデッサン型紙をまとめて公開頒布しましたが、型紙といえども作家の魂のこもったすばらしい造形作品であることを、十二分にご理解いただけたのではないかと思います。
若い世代に瑛九ファンが増えていること、海外の美術館、コレクターにも注目されてきたこと(昨秋のパリフォトにも瑛九のフォトデッサンが出品され反響を呼んだようです)ことは、長年瑛九を扱ってきた身としては嬉しい限りです。
2012年の初頭を飾る企画は、やはり私どもにとっての原点である瑛九を取り上げました。
油彩、水彩、フォトデッサン、銅版画、石版を26点を展示します。
第22回目となる今回は、それぞれの技法に独自の表現を求めた瑛九の初期から晩年の作品の全体像を探ります。
特に版画(リトグラフ、銅版)はコレクターのご協力により、作家自刷りの作品を出品いたします。
近年、ある事情で瑛九の銅版の後刷りが大量に、それも非常に低い金額で出回り、需要と供給の関係とはいえ、残念に思っています。作家自刷りの作品が極端に少ない場合に「後刷り」は一定の意義を持ちますが、その数があまりにも多いと、逆に自刷り作品までもが引きずられて評価が低迷してしまう危険性については以前にも「瑛九について」で述べましたのでご参照ください。
この機会に、出品リストをご参照の上、希少な作家自刷りの作品をコレクションに加えていただければ幸いです。
先日このブログで報告した通り、スタッフの机を少し移動したために、画廊はただいま物置状態でして、昨日ふらりと来廊されたお客様も座る場所も無い有様。
昨夕から始まった強力助っ人・浜田さんのディレクションも困難を極めましたが、何とかサマになる展示にしてくださいました(感謝!)。
いつもの通り、資料類も豊富に閲覧できるようにしますが、また図録、書籍の頒布も行ないますが、今回は普段は公開していない貴重な瑛九生前の資料(戦前の故郷宮崎での展覧会目録、最後の兜屋画廊での個展案内状他)や、瀧口修造らによる没後の「瑛九の会」結成趣意書なども展示します。
どうぞ皆さんお運びください。
ご不明な点は遠慮なくメールにてお問い合わせください。
さて、このブログも多くの執筆者の皆さんのご協力で充実した内容(亭主の繰言は除き)をお届けしていますが、中でも建築評論の植田実さんが昨年から連載を開始した「美術展のおこぼれ」は、他に類を見ない独自の視点で展覧会を論じて好評です。ネットに触れもしないアナログ人間の植田さんにも読者から直接反響があるらしくご機嫌で快調な執筆ぶりです。お正月もいくつもの美術館を回り、休廊中の画廊のファックスに続々と原稿を送ってこられました。
10日に初出勤したスタッフは大慌てでテキスト化に取り組みました。
そんなわけで「美術展のおこぼれ」は明日(13日)と明後日(14日)に連続3本を一挙に掲載します。
何も慌てて掲載しなくてもとお思いでしょうが、うち2つの展覧会は15日が最終日、もう一つの展覧会は15日のNHK日曜美術館に取り上げられるとかで、植田さんは事前に皆さんに読んでいただきたいと希望されています。
というわけで、どうぞお楽しみに。
明日からの瑛九展から出品作品をご紹介します。

瑛九「作品」
1956年 油彩・ボード
22.7x15.8cm
サインあり

瑛九「雲」
1957年 リトグラフ
イメージサイズ:36.0x52.0cm
シートサイズ:49.1x66.0cm
スタンプサインあり

瑛九「kiss」
1950年 フォトデッサン
28.0x22.5cm
サインあり

瑛九「白い角」
1954年 銅版(作家自刷り)
イメージサイズ:23.6x18.2cm
シートサイズ:36.8x25.7cm
Ed.25 サインあり
これら作品とともに、資料・カタログなども多数出品しますので、ぜひご来場ください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
■瑛九 Q Ei
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。1925年中学を退学し上京、戸塚にある私立・日本美術学校洋画科に入学し、この頃より油絵を描く。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。1930年日本美術学校を退学。オリエンタル写真学校に入学し写真の研究を行なう。「フォトグラム」の制作を始め、写真評論を写真雑誌『フォトタイムス』に発表する。1936年印画紙による新しい作品を制作し上京、久保貞次郎と共に画家・長谷川三郎を訪ねる。長谷川と美術評論家・外山卯三郎の協力で、この作品を「フォト・デッサン」と命名、「瑛九(Ei-Q)」の名で発表することを決定し、フォトデッサン作品集『眠りの理由』を刊行。1937年自由美術家協会創立に参加。戦後は、既成の画壇や公募団体を批判し、1951年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォトデッサン、版画などに挑み、独自の世界を生み出す。1960年48歳で永逝。
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◆ときの忘れものは2012年1月13日[金]―1月21日[土]「第22回 瑛九展」を開催します。
油彩、水彩、フォトデッサンの他に、久しぶりに版画(銅版、リトグラフ)も展示します。
会期=2012年1月13日[金]ー1月21日[土] 12:00-19:00 ※会期中無休
昨年は瑛九の生誕100年で宮崎、埼玉、うらわの各美術館で大規模な回顧展が開催されたほか、各地でさまざまな顕彰の催しがなされました。
ときの忘れものでも珍しいフォトデッサン型紙をまとめて公開頒布しましたが、型紙といえども作家の魂のこもったすばらしい造形作品であることを、十二分にご理解いただけたのではないかと思います。
若い世代に瑛九ファンが増えていること、海外の美術館、コレクターにも注目されてきたこと(昨秋のパリフォトにも瑛九のフォトデッサンが出品され反響を呼んだようです)ことは、長年瑛九を扱ってきた身としては嬉しい限りです。
2012年の初頭を飾る企画は、やはり私どもにとっての原点である瑛九を取り上げました。
油彩、水彩、フォトデッサン、銅版画、石版を26点を展示します。
第22回目となる今回は、それぞれの技法に独自の表現を求めた瑛九の初期から晩年の作品の全体像を探ります。
特に版画(リトグラフ、銅版)はコレクターのご協力により、作家自刷りの作品を出品いたします。
近年、ある事情で瑛九の銅版の後刷りが大量に、それも非常に低い金額で出回り、需要と供給の関係とはいえ、残念に思っています。作家自刷りの作品が極端に少ない場合に「後刷り」は一定の意義を持ちますが、その数があまりにも多いと、逆に自刷り作品までもが引きずられて評価が低迷してしまう危険性については以前にも「瑛九について」で述べましたのでご参照ください。
この機会に、出品リストをご参照の上、希少な作家自刷りの作品をコレクションに加えていただければ幸いです。
先日このブログで報告した通り、スタッフの机を少し移動したために、画廊はただいま物置状態でして、昨日ふらりと来廊されたお客様も座る場所も無い有様。
昨夕から始まった強力助っ人・浜田さんのディレクションも困難を極めましたが、何とかサマになる展示にしてくださいました(感謝!)。
いつもの通り、資料類も豊富に閲覧できるようにしますが、また図録、書籍の頒布も行ないますが、今回は普段は公開していない貴重な瑛九生前の資料(戦前の故郷宮崎での展覧会目録、最後の兜屋画廊での個展案内状他)や、瀧口修造らによる没後の「瑛九の会」結成趣意書なども展示します。
どうぞ皆さんお運びください。
ご不明な点は遠慮なくメールにてお問い合わせください。
さて、このブログも多くの執筆者の皆さんのご協力で充実した内容(亭主の繰言は除き)をお届けしていますが、中でも建築評論の植田実さんが昨年から連載を開始した「美術展のおこぼれ」は、他に類を見ない独自の視点で展覧会を論じて好評です。ネットに触れもしないアナログ人間の植田さんにも読者から直接反響があるらしくご機嫌で快調な執筆ぶりです。お正月もいくつもの美術館を回り、休廊中の画廊のファックスに続々と原稿を送ってこられました。
10日に初出勤したスタッフは大慌てでテキスト化に取り組みました。
そんなわけで「美術展のおこぼれ」は明日(13日)と明後日(14日)に連続3本を一挙に掲載します。
何も慌てて掲載しなくてもとお思いでしょうが、うち2つの展覧会は15日が最終日、もう一つの展覧会は15日のNHK日曜美術館に取り上げられるとかで、植田さんは事前に皆さんに読んでいただきたいと希望されています。
というわけで、どうぞお楽しみに。
明日からの瑛九展から出品作品をご紹介します。

瑛九「作品」
1956年 油彩・ボード
22.7x15.8cm
サインあり

瑛九「雲」
1957年 リトグラフ
イメージサイズ:36.0x52.0cm
シートサイズ:49.1x66.0cm
スタンプサインあり

瑛九「kiss」
1950年 フォトデッサン
28.0x22.5cm
サインあり

瑛九「白い角」
1954年 銅版(作家自刷り)
イメージサイズ:23.6x18.2cm
シートサイズ:36.8x25.7cm
Ed.25 サインあり
これら作品とともに、資料・カタログなども多数出品しますので、ぜひご来場ください。
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■瑛九 Q Ei
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。1925年中学を退学し上京、戸塚にある私立・日本美術学校洋画科に入学し、この頃より油絵を描く。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。1930年日本美術学校を退学。オリエンタル写真学校に入学し写真の研究を行なう。「フォトグラム」の制作を始め、写真評論を写真雑誌『フォトタイムス』に発表する。1936年印画紙による新しい作品を制作し上京、久保貞次郎と共に画家・長谷川三郎を訪ねる。長谷川と美術評論家・外山卯三郎の協力で、この作品を「フォト・デッサン」と命名、「瑛九(Ei-Q)」の名で発表することを決定し、フォトデッサン作品集『眠りの理由』を刊行。1937年自由美術家協会創立に参加。戦後は、既成の画壇や公募団体を批判し、1951年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォトデッサン、版画などに挑み、独自の世界を生み出す。1960年48歳で永逝。
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◆ときの忘れものは2012年1月13日[金]―1月21日[土]「第22回 瑛九展」を開催します。

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