昨夜は東京都写真美術館で開催された第4回恵比寿映像祭のオープニングに出席しました。
メカスさんは来日されませんが、アンソロジー・フィルム・アーカイヴスのスタッフのジェド・ラップフォーゲルさんにお会いし、メカス展へご招待してきました。
同行した強力助っ人浜田さんに後ほど詳しくレポートしてもらいますが、「映画祭」ではなく「映像祭」であることのよくわかる、コンパクトですばらしい展示でした。
2002年2月25日付の一枚のファックスがときの忘れもののファイルに残されています。
差出人はNYのジョナス・メカスさん。

ときの忘れもの 綿貫さん
きみの画廊で写真展ができるなんて、こんな嬉しいことはない。
ずいぶん前のことになるけれども、日本各地を連れ立って旅したのは、ほんとうに楽しかった。
あれは素晴らしい思い出です。
だから、これは家族の催しのようなもの。展覧会を見てくださる方々、それからひょっとしてわたしのつまらない写真を一枚買おうという気を起こしてくださる方々にも、わたしと、それからきみの、「目に見えぬ家族」の一員となる歓びを味わってもらえますように。
2002年2月25日 ジョナス・メカス
(木下哲夫訳)
今日から始まる「ジョナス・メカス写真展」には、メカスさんが<フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画>と呼ぶ一連の写真作品を出品展示します。
ときの忘れものでは5回目の個展ですが、亭主がメカスさんに初めて会ったのは1983年春、ニューヨークででした。
そのときは、メカスさんは映画の制作のみで、版画も写真作品もつくっていません。
<フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画>とは、彼自身が撮影した16mmフィルム より、数コマ程度の部分を抜き出し、写真として焼きつけるシリーズですが、ずっと「動くフィルム」である映画を撮ってきたメカスさんが写真作品を制作したき っかけについて、著書『フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画』(木下哲夫訳、1997年・フォトプラネット刊)の中で、次のように語っています。
・・・・・(1980年代に)日本の友人たちに一つの相談をもちかけました。というのは、 私が運営する「アンソロジー・フィルム・アーカイヴズ」には、映画はたくさんあるのですが、維持していくためのお金がない(笑)。それでなんとかなら ないだろうか、と相談すると、私の60年代の映画の中からギンズバーグやダリ といった有名人たちのイメージを抜き出して、それを東京でシルクスクリーン に焼き付けて売ればお金になるんじゃないか、と言われたんです。それでこの 仕事が始まったのですが、有名人のイメージを十ほど選んで友人たちに送ったら、スポンサーになろうと言っていた人が急に破産してしまって、このプロジェクトは御破算になってしまいました。しかし、この頃には私はもう自分を止められなくなってしまった(笑)。・・・・以下略(同書44~45ページ)
メカスさんを応援しようとした日本の友人たちとは同書の訳者でもある木下哲夫さんたちのことですが、急に破産してしまった<スポンサーになろうと言っていた人>とは何を隠そう、亭主のことであります。
このときの顛末は長くなるので後日に譲るとして、メカスさんに版画制作を持ちかけ、その気にさせてしまった亭主は、その後20年近くメカスさんには連絡を取らなかった。
1995年に青山の一軒家で社長と二人でささやかな画廊を再開したときも、まことに忸怩たる思いがあり、正直言ってあわす顔がなかった。
そんなある日、木下さんが来られて「メカスさんが綿貫さんのこと書いていますよ」と教えてくれ、パリのアニエス・ベーでの<フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画>の展覧会が大きな反響を呼んだことも知りました。
亭主が薦めた版画制作(実際には現代版画センターのエディションとして7点の版画作品が完成した)がきっかけとなって新たな写真作品が生まれたことになります。
木下さんを通じて、ときの忘れものでの個展をお願いすると、快く作品を提供してくださり、上掲のファックスで私たちを励ましてくれた。
嬉しくて、ほろ苦い思い出です。

それから3年後、ようやくメカスさんの来日が実現し、ときの忘れものにお迎えしたのでした。
このときのオープニングの様子は芳賀さんが寄稿してくださった「天使の謡う夜に」をお読みください。

ジョナス・メカス Jonas MEKAS
"Anthony Radxiwill. Montauk, August 1972"
1972年 (Printed in 1999)
Type-Cプリント
イメージサイズ:49.0x32.3cm
シートサイズ :50.6x40.5cm
Ed.10 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
ギャラリートーク:2月18日(土)17時~18時
今回、メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さんとのギャラリートークを開催します。
参加費1,000円
※要予約(ときの忘れもの電話03-3470-2631/メールinfo@tokinowasuremono.com)
定員になり次第、締め切ります。
レセプション:2月18日(土)18時~20時
ギャラリートークの後に、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。予約不要で、どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。

「それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった」
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。
メカス展については、みすず書房のホームページにも紹介されています。
ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。
◆2月のWEB展は「靉嘔展」です。
東京都現代美術館で靉嘔先生の初期から最新作までの大回顧展「靉嘔 再び虹のかなたに」が始まりました。会期=2012年2月4日(土) ~ 5月6日(日)
メカスさんは来日されませんが、アンソロジー・フィルム・アーカイヴスのスタッフのジェド・ラップフォーゲルさんにお会いし、メカス展へご招待してきました。
同行した強力助っ人浜田さんに後ほど詳しくレポートしてもらいますが、「映画祭」ではなく「映像祭」であることのよくわかる、コンパクトですばらしい展示でした。
2002年2月25日付の一枚のファックスがときの忘れもののファイルに残されています。
差出人はNYのジョナス・メカスさん。

ときの忘れもの 綿貫さん
きみの画廊で写真展ができるなんて、こんな嬉しいことはない。
ずいぶん前のことになるけれども、日本各地を連れ立って旅したのは、ほんとうに楽しかった。
あれは素晴らしい思い出です。
だから、これは家族の催しのようなもの。展覧会を見てくださる方々、それからひょっとしてわたしのつまらない写真を一枚買おうという気を起こしてくださる方々にも、わたしと、それからきみの、「目に見えぬ家族」の一員となる歓びを味わってもらえますように。
2002年2月25日 ジョナス・メカス
(木下哲夫訳)
今日から始まる「ジョナス・メカス写真展」には、メカスさんが<フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画>と呼ぶ一連の写真作品を出品展示します。
ときの忘れものでは5回目の個展ですが、亭主がメカスさんに初めて会ったのは1983年春、ニューヨークででした。
そのときは、メカスさんは映画の制作のみで、版画も写真作品もつくっていません。
<フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画>とは、彼自身が撮影した16mmフィルム より、数コマ程度の部分を抜き出し、写真として焼きつけるシリーズですが、ずっと「動くフィルム」である映画を撮ってきたメカスさんが写真作品を制作したき っかけについて、著書『フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画』(木下哲夫訳、1997年・フォトプラネット刊)の中で、次のように語っています。
・・・・・(1980年代に)日本の友人たちに一つの相談をもちかけました。というのは、 私が運営する「アンソロジー・フィルム・アーカイヴズ」には、映画はたくさんあるのですが、維持していくためのお金がない(笑)。それでなんとかなら ないだろうか、と相談すると、私の60年代の映画の中からギンズバーグやダリ といった有名人たちのイメージを抜き出して、それを東京でシルクスクリーン に焼き付けて売ればお金になるんじゃないか、と言われたんです。それでこの 仕事が始まったのですが、有名人のイメージを十ほど選んで友人たちに送ったら、スポンサーになろうと言っていた人が急に破産してしまって、このプロジェクトは御破算になってしまいました。しかし、この頃には私はもう自分を止められなくなってしまった(笑)。・・・・以下略(同書44~45ページ)
メカスさんを応援しようとした日本の友人たちとは同書の訳者でもある木下哲夫さんたちのことですが、急に破産してしまった<スポンサーになろうと言っていた人>とは何を隠そう、亭主のことであります。
このときの顛末は長くなるので後日に譲るとして、メカスさんに版画制作を持ちかけ、その気にさせてしまった亭主は、その後20年近くメカスさんには連絡を取らなかった。
1995年に青山の一軒家で社長と二人でささやかな画廊を再開したときも、まことに忸怩たる思いがあり、正直言ってあわす顔がなかった。
そんなある日、木下さんが来られて「メカスさんが綿貫さんのこと書いていますよ」と教えてくれ、パリのアニエス・ベーでの<フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画>の展覧会が大きな反響を呼んだことも知りました。
亭主が薦めた版画制作(実際には現代版画センターのエディションとして7点の版画作品が完成した)がきっかけとなって新たな写真作品が生まれたことになります。
木下さんを通じて、ときの忘れものでの個展をお願いすると、快く作品を提供してくださり、上掲のファックスで私たちを励ましてくれた。
嬉しくて、ほろ苦い思い出です。

それから3年後、ようやくメカスさんの来日が実現し、ときの忘れものにお迎えしたのでした。
このときのオープニングの様子は芳賀さんが寄稿してくださった「天使の謡う夜に」をお読みください。

ジョナス・メカス Jonas MEKAS
"Anthony Radxiwill. Montauk, August 1972"
1972年 (Printed in 1999)
Type-Cプリント
イメージサイズ:49.0x32.3cm
シートサイズ :50.6x40.5cm
Ed.10 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
ギャラリートーク:2月18日(土)17時~18時
今回、メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さんとのギャラリートークを開催します。
参加費1,000円
※要予約(ときの忘れもの電話03-3470-2631/メールinfo@tokinowasuremono.com)
定員になり次第、締め切ります。
レセプション:2月18日(土)18時~20時
ギャラリートークの後に、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。予約不要で、どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。

「それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった」
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。
メカス展については、みすず書房のホームページにも紹介されています。
ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。
◆2月のWEB展は「靉嘔展」です。
東京都現代美術館で靉嘔先生の初期から最新作までの大回顧展「靉嘔 再び虹のかなたに」が始まりました。会期=2012年2月4日(土) ~ 5月6日(日)
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