「ジョナス・メカスをめぐる断章」第一回
西村智弘(映像評論家・美術評論家)
1.日記映画とアヴァンギャルド
ジョナス・メカスは日本での人気が高い。メカスの映画は頻繁に上映されているし、彼の詩集や日記などの著作も翻訳が出ている。もちろんこの人気は今にはじまったことではなく、かなり以前からメカスは知られた存在であった。
日本でメカスは、まず映画批評家として紹介されたようである。『世界映画資料』1960年1月号(№24)に、メカスが書いた「自由な映画を目指して」と「映画の新世代への呼びかけ」が掲載されている。これは、メカスの文章が日本で紹介された最初ではないかと考えられる。映像作家のかわなかのぶひろは、この訳文を読んで実験映画に目覚めたという。
1960年というと、メカスが「ニュー・アメリカン・シネマ・グループ」を立ち上げた年に当たる。それは、ちょうどアメリカにアンダーグラウンド映画(実験映画)が台頭していた時期であった。メカスは、アンダーグラウンド映画を熱心に擁護するようになり、1962年に映像作家の協同組合である「フィルムメーカーズ・コーポラティブ」を設立する。この組織の運営のためメカスは多忙となるが、その合間を縫って自分の作品を制作している。
日本でメカスの映画が最初に上映されたのは、おそらく1967年3月に草月会館ホールで「アンダーグラウンド・フィルム・フェスティバル」が開催されたときであろう。このプログラムに、メカスの第一作に当たる『樹々の大砲』(1962)が入っていた。ちなみに、プログラムのセレクションをしたのは、当時ニューヨークにいた映像作家の飯村隆彦である。
『樹々の大砲』は、一部で注目されたもののそれほど評判になったとはいえない。一方、日本でも60年代後半にアンダーグラウンド映画が流行していて、ニューヨークにおけるメカスの活動は注目されていた。1968年に発足した「ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブ」は、名称からもわかるようにメカスの設立した組織を参照したものだった。
しかし、メカスの作品の影響がよりはっきりと表れるのは、1973年に『リトアニアへの旅の追憶』が公開されてからである。これは1972年の作品なので、早くも翌年に日本で上映されたわけである。『リトアニアへの旅の追憶』の上映以後、メカスの作品から刺激を受けて何人もの実験映画作家たちがプライベートな日常を撮影した映画を制作するようになる。日本のプライベート・ドキュメンタリーの歴史はここからはじまるのであった。
メカスは日記映画のスタイルを確立した作家である。彼は、日記のように友人や家族、身近な出来事を撮影した。それまでにも子供の成長や家族の旅行などを撮影したホームムービーがあった。しかし、そうしたプライベートな記録映像は作品と見なされていなかった。メカスは、表現と思われていなかったプライベートな映像に普遍的な美を見いだしたのである。
一方、プライベートな日常にカメラを向けることは、アンダーグラウンド映画のひとつの特徴になっていた。たとえばスタン・ブラッケージは、50年代末頃から妻の出産や飼い犬の死をテーマにした作品を制作している。そうした作品をブラッケージは、「アヴァンギャルド・ホームムービー」と呼んでいた。
メカスの日記映画もアンダーグラウンド映画のひとつであり、その作品は「アヴァンギャルド・ホームムービー」と呼べるものである。しかし、視覚的な過激さをもつブラッケージの作品と比べると、メカスの日記映画は実に穏やかでやさしい。そのため、いまメカスの作品を見ても「アヴァンギャルド」という印象をあまり受けない。しかしそれは、わたしたちがメカスのスタイルに慣れてしまったから、いいかえるとメカスの開いた地平が一般に認知されるようになったからである。
『メカスの映画日記』を読むとよくわかるが、メカスは商業映画のもつ制度を否定し、実験的な映画に新しい表現としての可能性を認めていた。ホームムービーのような作品をつくることは、従来の映画に対するアンチテーゼとしての意味をもっていた。日記映画であること自体、それまでの映画に対する反逆であり、映画の制度を錯乱させる試みだったのである。
プライベート・ドキュメンタリーがひとつのジャンルとして市民権を得ている現在、60年代に日記映画がもっていた実験性や革新性は見えにくくなっている。しかし、一見穏やかなメカスの作品にはアヴァンギャルドの反逆の精神が潜んでいるし、その美しい映像にもある種の過激さが秘められている。(にしむらともひろ)
■西村智弘(にしむらともひろ)
1963年 茨城県生まれ、1990年 第13期イメージフォーラム付属映像研究所修了、1993年 美術出版社主催「第11回芸術評論」に「ウォーホル/映画のミニマリズム」で入選。
以後、美術評論家、映像評論家として活動する。
美術評論家連盟、、日本映像学会会員。現在、東京造形大学、東京工芸大学、多摩美術大学、阿佐ヶ谷美術専門学校にて非常勤講師を務める。
著書:『日本芸術写真史』(美学出版、2008)、共編著:西村智弘+佐藤博昭編著『スーパー・アヴァンギャルド映像術』(フィルムアート社、2002)他。
*画廊亭主敬白
美術評論、映像評論で活躍する西村智弘さんにメカスさんについての原稿(3回連載)をお願いしました。
初回の本日はメカスと日本との関係と日記映画のもつアヴァンギャルドの側面について書いていただきましたが、第二回、三回も近日中に掲載します。
新しい人でメカスさんについて書いてくださる方はいないかと、尊敬するM先生に相談したところ西村さんをご推薦いただきました。
面識のない亭主は恐る恐る原稿依頼のメールをお送りしたのですが、「ときの忘れものには以前に何度か展示を見に伺ったことがあります」とのお返事。いや失礼しました、確かに芳名簿にお名前がありました。
今回の出品作品からご紹介します。

ジョナス・メカス Jonas MEKAS"
Kennedy Kids 1971"
2000年
Type-Cプリント
イメージサイズ:30.5x20.3cm
シートサイズ :30.5x20.3cm
Ed.10 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
レセプション:2月18日(土)18時~20時
メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さん、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
尚、パーティの始まる前(17時~18時)にギャラリートークを開催しており、18時前には予約者以外は入場できません。

「それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった」
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。
ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。
西村智弘(映像評論家・美術評論家)
1.日記映画とアヴァンギャルド
ジョナス・メカスは日本での人気が高い。メカスの映画は頻繁に上映されているし、彼の詩集や日記などの著作も翻訳が出ている。もちろんこの人気は今にはじまったことではなく、かなり以前からメカスは知られた存在であった。
日本でメカスは、まず映画批評家として紹介されたようである。『世界映画資料』1960年1月号(№24)に、メカスが書いた「自由な映画を目指して」と「映画の新世代への呼びかけ」が掲載されている。これは、メカスの文章が日本で紹介された最初ではないかと考えられる。映像作家のかわなかのぶひろは、この訳文を読んで実験映画に目覚めたという。
1960年というと、メカスが「ニュー・アメリカン・シネマ・グループ」を立ち上げた年に当たる。それは、ちょうどアメリカにアンダーグラウンド映画(実験映画)が台頭していた時期であった。メカスは、アンダーグラウンド映画を熱心に擁護するようになり、1962年に映像作家の協同組合である「フィルムメーカーズ・コーポラティブ」を設立する。この組織の運営のためメカスは多忙となるが、その合間を縫って自分の作品を制作している。
日本でメカスの映画が最初に上映されたのは、おそらく1967年3月に草月会館ホールで「アンダーグラウンド・フィルム・フェスティバル」が開催されたときであろう。このプログラムに、メカスの第一作に当たる『樹々の大砲』(1962)が入っていた。ちなみに、プログラムのセレクションをしたのは、当時ニューヨークにいた映像作家の飯村隆彦である。
『樹々の大砲』は、一部で注目されたもののそれほど評判になったとはいえない。一方、日本でも60年代後半にアンダーグラウンド映画が流行していて、ニューヨークにおけるメカスの活動は注目されていた。1968年に発足した「ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブ」は、名称からもわかるようにメカスの設立した組織を参照したものだった。
しかし、メカスの作品の影響がよりはっきりと表れるのは、1973年に『リトアニアへの旅の追憶』が公開されてからである。これは1972年の作品なので、早くも翌年に日本で上映されたわけである。『リトアニアへの旅の追憶』の上映以後、メカスの作品から刺激を受けて何人もの実験映画作家たちがプライベートな日常を撮影した映画を制作するようになる。日本のプライベート・ドキュメンタリーの歴史はここからはじまるのであった。
メカスは日記映画のスタイルを確立した作家である。彼は、日記のように友人や家族、身近な出来事を撮影した。それまでにも子供の成長や家族の旅行などを撮影したホームムービーがあった。しかし、そうしたプライベートな記録映像は作品と見なされていなかった。メカスは、表現と思われていなかったプライベートな映像に普遍的な美を見いだしたのである。
一方、プライベートな日常にカメラを向けることは、アンダーグラウンド映画のひとつの特徴になっていた。たとえばスタン・ブラッケージは、50年代末頃から妻の出産や飼い犬の死をテーマにした作品を制作している。そうした作品をブラッケージは、「アヴァンギャルド・ホームムービー」と呼んでいた。
メカスの日記映画もアンダーグラウンド映画のひとつであり、その作品は「アヴァンギャルド・ホームムービー」と呼べるものである。しかし、視覚的な過激さをもつブラッケージの作品と比べると、メカスの日記映画は実に穏やかでやさしい。そのため、いまメカスの作品を見ても「アヴァンギャルド」という印象をあまり受けない。しかしそれは、わたしたちがメカスのスタイルに慣れてしまったから、いいかえるとメカスの開いた地平が一般に認知されるようになったからである。
『メカスの映画日記』を読むとよくわかるが、メカスは商業映画のもつ制度を否定し、実験的な映画に新しい表現としての可能性を認めていた。ホームムービーのような作品をつくることは、従来の映画に対するアンチテーゼとしての意味をもっていた。日記映画であること自体、それまでの映画に対する反逆であり、映画の制度を錯乱させる試みだったのである。
プライベート・ドキュメンタリーがひとつのジャンルとして市民権を得ている現在、60年代に日記映画がもっていた実験性や革新性は見えにくくなっている。しかし、一見穏やかなメカスの作品にはアヴァンギャルドの反逆の精神が潜んでいるし、その美しい映像にもある種の過激さが秘められている。(にしむらともひろ)
■西村智弘(にしむらともひろ)
1963年 茨城県生まれ、1990年 第13期イメージフォーラム付属映像研究所修了、1993年 美術出版社主催「第11回芸術評論」に「ウォーホル/映画のミニマリズム」で入選。
以後、美術評論家、映像評論家として活動する。
美術評論家連盟、、日本映像学会会員。現在、東京造形大学、東京工芸大学、多摩美術大学、阿佐ヶ谷美術専門学校にて非常勤講師を務める。
著書:『日本芸術写真史』(美学出版、2008)、共編著:西村智弘+佐藤博昭編著『スーパー・アヴァンギャルド映像術』(フィルムアート社、2002)他。
*画廊亭主敬白
美術評論、映像評論で活躍する西村智弘さんにメカスさんについての原稿(3回連載)をお願いしました。
初回の本日はメカスと日本との関係と日記映画のもつアヴァンギャルドの側面について書いていただきましたが、第二回、三回も近日中に掲載します。
新しい人でメカスさんについて書いてくださる方はいないかと、尊敬するM先生に相談したところ西村さんをご推薦いただきました。
面識のない亭主は恐る恐る原稿依頼のメールをお送りしたのですが、「ときの忘れものには以前に何度か展示を見に伺ったことがあります」とのお返事。いや失礼しました、確かに芳名簿にお名前がありました。
今回の出品作品からご紹介します。

ジョナス・メカス Jonas MEKAS"
Kennedy Kids 1971"
2000年
Type-Cプリント
イメージサイズ:30.5x20.3cm
シートサイズ :30.5x20.3cm
Ed.10 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
レセプション:2月18日(土)18時~20時
メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さん、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
尚、パーティの始まる前(17時~18時)にギャラリートークを開催しており、18時前には予約者以外は入場できません。

「それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった」
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。
ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。
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