貧乏画廊のただ一つの財産は心優しいお客様に恵まれていることですが、3月は人事の季節。
現代版画センター時代に既に来ていらしたという古いお客様のNさんが大阪支店長となって単身赴任されていった。
大プロジェクトの遂行に某国へ単身赴任されたMさんに続いて数少ないお客様が東京からいなくなってしまう・・・困った・・・
捨てる神あれば、拾う神ありといいますから、先ずはNさんの栄転を祝い、私たちも新たな出会いに期待しましょう。
4月には京都の、7月には大阪のアートフェアに出展するので、ぜひそのときはよろしく!
パンリアル美術協会を創立し、日本画の革新に挑んだ三上誠が亡くなってちょうど40年経ちます。
生年(1919年)は菅井汲先生と同じ。
1972年に52歳で亡くなったのですが、若死といっていいでしょう。
三上誠の代表作《経絡、輪廻》をご紹介します。

三上誠 Makoto MIKAMI
《経絡、輪廻》
1967年 122.5x122.5cm
紙、顔料、他
*第25回パンリアル展出品作
*これと同じ連作が京都国立近代美術館にも収蔵されています。
ときの忘れものでは、同時代の優れた作家の紹介と、歴史の彼方に忘れ去られた作品の発掘を目指してオリジナル版画入りの豪華美術誌『版画掌誌 ときの忘れもの』を1999年から刊行しています。
ジャンルを問わず真に歴史の評価に耐え得るという視点から毎号、同時代の作家と物故作家の2名を取り上げ、ご紹介してきました。
創刊第1号で小野隆生(1950~ )と三上誠(1919~1972)を特集しています。
[体裁]
B4判変形(32×26cm)、本文/24頁
綴じ無し、
表紙/箔押、シルクスクリ-ン刷り
執筆:高橋睦郎、松永伍一、松本育子
●特A版(限定7部)
小野隆生のリト2点+三上誠の銅版画後刷り5点、計7点挿入。
●A版 (限定28部)
小野隆生のリト2点+三上誠の銅版画後刷り2点、計4点挿入。
●B版(限定135部)
小野隆生のリト1点挿入。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆三上誠 Makoto MIKAMI
1919年、父の出稼ぎ先の大阪市に生まれる(旧名、嶋田誠)。
幼少期を福井市で過ごす。44年京都市立絵画専門学校卒業。48年、星野真吾、八木一夫、鈴木治らと「パンリアル」結成。翌年、星野、下村良之介、大野俶嵩ら会員11名で日本画の前衛グループ「パンリアル美術協会」を結成し、その中心となる。52年、結核療養のため福井市へ帰郷。以後、福井市で制作活動を行う。しかし72年病魔に倒れ没(52歳)。段ボールや木、印刷物を使い、コラージュやフロッタージュの技法を日本画にとりこみ、幾何学的形態のなかに独自の宇宙論的な作品を発表し、日本画に新地平を切り拓いた。
現代版画センター時代に既に来ていらしたという古いお客様のNさんが大阪支店長となって単身赴任されていった。
大プロジェクトの遂行に某国へ単身赴任されたMさんに続いて数少ないお客様が東京からいなくなってしまう・・・困った・・・
捨てる神あれば、拾う神ありといいますから、先ずはNさんの栄転を祝い、私たちも新たな出会いに期待しましょう。
4月には京都の、7月には大阪のアートフェアに出展するので、ぜひそのときはよろしく!
パンリアル美術協会を創立し、日本画の革新に挑んだ三上誠が亡くなってちょうど40年経ちます。
生年(1919年)は菅井汲先生と同じ。
1972年に52歳で亡くなったのですが、若死といっていいでしょう。
三上誠の代表作《経絡、輪廻》をご紹介します。

三上誠 Makoto MIKAMI
《経絡、輪廻》
1967年 122.5x122.5cm
紙、顔料、他
*第25回パンリアル展出品作
*これと同じ連作が京都国立近代美術館にも収蔵されています。
ときの忘れものでは、同時代の優れた作家の紹介と、歴史の彼方に忘れ去られた作品の発掘を目指してオリジナル版画入りの豪華美術誌『版画掌誌 ときの忘れもの』を1999年から刊行しています。
ジャンルを問わず真に歴史の評価に耐え得るという視点から毎号、同時代の作家と物故作家の2名を取り上げ、ご紹介してきました。
創刊第1号で小野隆生(1950~ )と三上誠(1919~1972)を特集しています。
[体裁]
B4判変形(32×26cm)、本文/24頁
綴じ無し、
表紙/箔押、シルクスクリ-ン刷り
執筆:高橋睦郎、松永伍一、松本育子
●特A版(限定7部)
小野隆生のリト2点+三上誠の銅版画後刷り5点、計7点挿入。
●A版 (限定28部)
小野隆生のリト2点+三上誠の銅版画後刷り2点、計4点挿入。
●B版(限定135部)
小野隆生のリト1点挿入。
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◆三上誠 Makoto MIKAMI
1919年、父の出稼ぎ先の大阪市に生まれる(旧名、嶋田誠)。
幼少期を福井市で過ごす。44年京都市立絵画専門学校卒業。48年、星野真吾、八木一夫、鈴木治らと「パンリアル」結成。翌年、星野、下村良之介、大野俶嵩ら会員11名で日本画の前衛グループ「パンリアル美術協会」を結成し、その中心となる。52年、結核療養のため福井市へ帰郷。以後、福井市で制作活動を行う。しかし72年病魔に倒れ没(52歳)。段ボールや木、印刷物を使い、コラージュやフロッタージュの技法を日本画にとりこみ、幾何学的形態のなかに独自の宇宙論的な作品を発表し、日本画に新地平を切り拓いた。
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