倉俣史朗の家具と写真

倉俣史朗さんが急死したのは1991年2月1日、56歳の若さでした。
そのとき植田実さんはじめ倉俣さんとお親しかった皆さんの呆然とした様子を今でも覚えています。
ちょうどその頃、亭主は破産後の後始末が一段落し、美術業界から離れ、ある本の編集に没頭しており、遠くからご冥福をお祈りしていました。
倉俣さんとのご縁は、もちろん磯崎新先生の紹介でした。
1983年、ポストモダンの傑作として注目を集めた磯崎新先生設計の「つくばセンタービル」の完成が間近に迫ったとき、内装に使う版画類を収めさせていただいたのですが、その版画の選定に倉俣さんがあたり、当時渋谷の桜ヶ丘にあった現代版画センターの事務所にいらっしゃたのでした。
あのビルには第一ホテルが当初入ったのですが、それらの客室などの壁面に飾るために倉俣さんが元永定正などの版画を選ばれました。

昔話はともかく、今回五味彬先生が学生時代から今日までの40年間の写真家生活を回顧する連続個展をしたいと申し出られたとき、一も二もなく先ず「倉俣史朗」作品を希望しました。
五味先生によれば1989年に写真雑誌『Sh・I・N・C』を創刊されたとき、何人かの注目すべきクリエーター(及びその作品)を撮ることになり、創刊号に舟越桂さんを、第2号で倉俣史朗さんを撮ることに決めたとのこと。倉俣さんは生涯にわたって好んだアクリル素材を用いて、日常の空間に無重力を作り出したような、透明で浮遊感のある作品を生み出し海外でも高い評価を得ていました。
彫刻家の舟越さんは別の写真家が撮影しましたが、倉俣さんは五味先生が撮影しました。
撮影当日、スタジオに倉俣さんが「ミスブランチ」「COPACABANA」「SYDNEY」などを持ち込み、あの透明感溢れる椅子や引き出し類が撮影されたのですが、いわゆる建築写真家の撮るものとは違った雰囲気の写真になり、喜ばれたようです。
gomi_39_kuramata_sydney五味彬
《倉俣史朗 Sydney(1987)》
1989(Printed in 2012)
ラムダプリント
Image size:34.0x27.0cm
Sheet size:42.0x29.7cm
単品 Ed.24
セットEd.12
Signed

gomi_40_kuramata_blue-champagne五味彬
《倉俣史朗 Blue Champagne(1989)》
1989(Printed in 2012)
ラムダプリント
Image size:34.0x27.0cm
Sheet size:42.0x29.7cm
単品 Ed.24
セットEd.12
Signed

gomi_41_kuramata_miss-blanche五味彬
《倉俣史朗 Miss Blanche(1988)》
1989(Printed in 2012)
ラムダプリント
Image size:34.0x27.0cm
Sheet size:42.0x29.7cm
単品 Ed.24
セットEd.12
Signed

gomi_42_kuramata_acrylic-back_red五味彬
《倉俣史朗 Acrylic Back Chair(1988) Red》
1989(Printed in 2012)
ラムダプリント
Image size:34.0x27.0cm
Sheet size:42.0x29.7cm
単品 Ed.24
セットEd.12
Signed

gomi_43_kuramata_acrylic-back_blue-yellow五味彬
《倉俣史朗 Acrylic Back Chair(1988) Blue and Yellow》
1989(Printed in 2012)
ラムダプリント
Image size:34.0x27.0cm
Sheet size:42.0x29.7cm
単品 Ed.24
セットEd.12
Signed

gomi_44_kuramata_copacabana五味彬
《倉俣史朗 Copacabana(1989)》
1989(Printed in 2012)
ラムダプリント
Image size:34.0x27.0cm
Sheet size:42.0x29.7cm
単品 Ed.24
セットEd.12
Signed

上掲6点の家具の写真の他に磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)のために倉俣さんが制作した「ライティンデスク」と「鏡」も展示しています。
すべて販売しています。
CIMG2980
倉俣史朗《TSUKUBA ライティングデスク

1983年
H72.5×W160.0×D47.3cm


DSCF2614
倉俣史朗 《TSUKUBA 鏡

1983 鏡 80×50×D5.5cm
*鏡は木地と黒の2種類あります。

上述の通り、竣工時の「つくばセンタービル」には、「筑波第一ホテル」が入り、客室の内装を倉俣さんが担当しました。しかし客室で実際に使用されたオリジナル家具は悲しい運命を辿ります。
1990年代のバブル経済の崩壊により、経営母体であった株式会社第一ホテルが2000年5月会社更生法の適用を申請し倒産。その後、株式会社ホテルオークラグループとして経営が変わったものの、ホテル客室及びカフェなどに大規模な改修が行われ、貴重な倉俣史朗デザインによるインテリアが失われてしまったのです。
今回ご紹介する「ライティングデスク」と「鏡」はそのような事情に中で、危うく破棄を免れた稀少作品です。
当時の雑誌『新建築』1983年11月号には、竣工当初の「筑波第一ホテル」の客室が紹介されており、この「ライティングデスク」と「鏡」も掲載されています。
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尚、昨春「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」が開催されましたが、それについては植田実さんの「美術展のおこぼれ 第7回」をお読みください。

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◆ときの忘れものは2012年5月11日[金]―5月19日[土] AKIRA GOMi 1972-2012 / 倉俣史朗&村上麗奈を開催しています。(*会期中無休)
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