宮脇愛子_001
宮脇愛子「作品」
1959年 水彩
42.0x52.0cm signed
*裏面にAiko '59 MILANOと記載あり


ウフフの人 瀧口修造 ―――― Aiko Miyawaki

 おそらく私にとって瀧口修造さんとの最初の出逢いは、『妖精の距離』であった。その詩画集を下落合の阿部展也氏のアトリエで見せていただいた。
 阿部展也氏はいうまでもなく、『妖精の距離』に画を描いた阿部芳文である。私は歴史科に籍を置いた女子大生だったのだが、絵を描くことに熱中してしまい、阿部展也氏のアトリエに通っていた。私は、阿部展也氏から画家としての出発の手ほどきを受け同時に数多くの話をきいたのであるが、あの『妖精の距離』がつくられるようになったきっかけや、詩人と画家のはじめての出逢いなどについてききもらしているうちに、画家は、一九七一年にローマで客死された。今では詩人から直接おききする以外に道はなくなった。
 もちろん、阿部展也氏は私たちに瀧口さんの名著『近代芸術』(一九三八年)をしめしてくれた。戦前からおそらく今日まで、この著書は美術家たちのもっとも重要な指針になっていた。私は、阿部展也氏を通じて、ポーランドのシチュシェミンスキー等のユニズムの運動にふれ得たことで、決定的な方向を見つけることができたと思っている。戦前に瀧口さんはすでにユニズムの元になったシュプレマティズムをとりあげ、その著書のなかで紹介されていたのである。文献や、その理論的背景など、当時日本で知り得たのはこの本だけだったことを考えると、先駆的な仕事だったことに驚くばかりである。
 私のはじめての作品発表は、思想的には、このユニズムにつらなるような仕事が中心であった。その個展のあとに渡欧する予定にしていたとき瀧口さんにお目にかかった。瀧口さんはそのとき、ヴェニス・ビエンナーレ展のコミッショナーでヨーロッパを廻られて帰国された直後だったが、ひとつは、私がヨーロッパに行くならばミラノに住むのがいいこと、もうひとつは作品をできるだけ持っていくべきこと、という二つの助言をいただいた。当時ミラノは日本ではまったく問題にされていなかったくらいであったが、実は、現代美術のもっとも新しい実験がなされつつある場所だったことが、行ってみてはじめてわかったのである。ルチオ・フォンタナを中心に、マンゾーニ、カステラーニなどが、気焰をあげ、パリからはジャン・ジャック・ルーベル、アラン・ジュフロワなどもきていた。みんな無名であった。作品を持っていくようにという瀧口さんの助言のおかげで、私は、彼らから一人前の作家とみなされ、仲間に入ることができた。当時、東欧に生まれたユニズムの動きを現代的な意識のもとに再評価し、展開しようとしていたのは、ミラノのマンゾーニやカステラーニ達だけだったのである。
 その後、パリに移り住んでから、ハンス・リヒターや、マン・レイとひんぱんにつき合うようになった。ダダやシュルレアリスム運動の生きのこり、というより、その運動を身をもって生きてきた人達だが、私には彼らに逢う前から何だか既知の人のような気がしてならなかった。というのも原因はあきらかに『近代芸術』で、あの本をくりかえし読みすぎたために、もうとっくに知っていたような気分になってしまったのである。一九六二年のシュルレアリスム展では、マン・レイに紹介されて、エルンストに逢い、その後、ニューヨークではダリや、デュシャンに逢ったり、アトリエを訪れたりすることができたのであるが、考えてみると、瀧口さんが、あの本や、『シュルレアリスムのために』などでとりあげられた画家たちを次々に追跡していったような結果になった。私にとって現代美術の最大の手引き書となっていたわけである。同時に瀧口さんの彼らに対する評価は、戦前、情報さえままならぬ場所にいながら、実に正確であった。孤立した島国である日本で、これらの作家たちとまったく対等に同じ方向を生きてきておられたことは驚くべきことである。その秘密を本人に問いただしたとしても、「ウフフ……、先見の明があったでしょう」と冗談まじりに笑われたりすることぐらいがおちなので、後はどうも自分でひそかに瀧口さんを観察しなおすほかはなさそうである。

La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』26頁所収
初出:『現代詩手帖』一九七四年十月臨時増刊「瀧口修造」特集号

瀧口修造_003瀧口修造
1960
ペン、紙
25.4x35.5cm

瀧口修造_004瀧口修造
《デカルコマニー》
1970
7.0x7.0x3.5cm
サインあり

瀧口修造_005瀧口修造
《デカルコマニー》
1962
額サイズ28.0x31.6cm

瀧口修造_006瀧口修造
《Folding No.6》
30.5x30.5cm
サイン

瀧口修造_007瀧口修造
水彩、コラージュ
26.8x19.3cm

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*画廊亭主敬白
昨日7月1日は瀧口修造先生の命日でした(橄欖忌)。生憎の雨でしたが実験工房と瀧口修造について書いているという女性や、瀧口ファンの方が何人も来廊されました。
そして本日7月2日は亭主の敬愛する恩地孝四郎の誕生日であります。版画はもちろん抽象の先駆者、写真やフォトグラム、造本にも並々ならぬ才能を示した恩地の評価は今後益々高まっていくと確信しています。
先日も高名なドイツ文学者による恩地の伝記が刊行されたので、早速買って読んだのですが、誤字も多く、口絵に使われた木版も後刷りと自刷りが何の説明もなく混在しており恩地ファンとしてはとても残念な思いでした。おそらくその出版社には美術に詳しい編集者がいらっしゃらなかったのでしょう。
ついでに申し上げますと恩地の約半世紀後の同じ7月2日に亭主は群馬県の山奥で生まれました。おかげさまで本日無事67歳を迎えることができました。
今後ともどうぞご贔屓に願います。
今回のときの忘れものの展示では、宮脇愛子先生と親交の深かったマン・レイ、瀧口修造、斎藤義重、ジオポンティ、阿部展也、ERRO、辻邦生、南桂子、オノサト・トシノブ、菅野圭介、ジャスパー・ジョーンズ、堀内正和、サム・フランシスなどの作品を展示します。
それら作家たちとの交友・影響については、
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
宮脇愛子インタヴュー
をぜひお読みください。
La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』を刊行
2012年6月25日発行:ときの忘れもの
限定200部 宮脇愛子オリジナルシルクスクリーンとDVD付
カタログDVD作品合成_m
宮脇愛子、マン・レイ、瀧口修造、斎藤義重、ジオ・ポンティ、阿部展也、エロ、辻邦生、南桂子、オノサト・トシノブ、菅野圭介、ジャスパー・ジョーンズ、堀内正和、サム・フランシス、他
価格:12,600円
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