work_600宮脇愛子
《Work》
真鍮
8.0x19.5x12.8cm
刻印


南 桂子さんのこと ―――― Aiko Miyawaki

 南桂子さんにはじめてお会いしたのは、たしか 一九六二年の秋のことだったと思う。
 そのときヴァンサンヌの森に連れて行っていただいたのだが、初対面の私に、はじめてとは思えないほどの打ちとけた話し方をなさるので、私は、その話しぶりのようなものにすっかり感動してしまった。衒いも気取りもない人が、パリの真中から突然現れる。ということは、制作のため、はじめてパリに住みつこうとした私にとって、大へんな驚きでもあった。
 少年や少女だけが持っている純真さや、柔らかさが、南桂子さんの作品のなかで、変わりなく持ち続けられているひみつは、おそらく南さんにおめにかかれば、誰でも自然に理解できるのではないだろうか。人柄が、そのまま絵になっていることが、一目みただけで感じられる。南さんの心は、ほんとうに若いのである。そして、南さんは、心だけではなく、身体もしなやかで若々しい。
 驚くことに、あの年でむし歯が一本もない。そして、南さんの世代の日本人にはめずらしいほど、脚もすらっとしている。ミニスカートがはやった頃など、おしゃれな南さんが赤いニットのスカートをはいている後姿など、どうみても少女であった。
 パリでは、よく南さんと待ち合わせて食事をした。南さんが選ぶメニューは、最初がたいてい生野菜のアシェットで、デザートにはあのパリのおいしいタルトの類いには眼もくれず、必ずリンゴか、他の新鮮な果物を食べるという具合であった。つまり健康食を自然に実行しているわけで、むし歯がないのは当り前であろう。

 パリで長い間、独立して生活してきただけあって、南さんは、人間に対して、なかなか辛辣(しんらつ)な見方をする。
「人間なんて誰も信じられやしない。自分だってそうよ。人間なんてうそつきさ。きたないもんよ。」
 南さんは、こんなふうに偽悪的なしゃべり方をよくした。あのナイーヴな美しい作品からは想像もつかないかもしれないが、しばらくおつきあいしていると、こういういい方も、結局、もっとも自分の感情を素直に、正直に表現しているのだということがわかってくる。そんなふうに南さんがしゃべればしゃべるほど南さんのやさしさや純真さが、こちらに伝わってくる。
 私が一人でパリで仕事をしていたとき、いかにも頼りなげに見えたのか、
「あなたも人にだまされるんじゃないよ。」
などという。しかし、南さんは、ほんとうは、どんな人をも信じているんだろう。許しているんだろう。と、私はよく思うのだった。
 いつのまにか、ミラノやニューヨークや、東京などに移り住んで、パリは今では私にとって、通過地になってしまったが、南さんは、わき目もふらずにこの変わりばえのしないパリに二十年以上も住んでいる。いつかその理由をきいたら、
「パリにはいい刷り職人がいるから離れられないの。」
と、いう。とはいっても、南さんのフランス語は決して流暢とはいえず、切れ切れの単語が飛び出していくといったしゃべり方である。刷りの職人さんと仕事の会話をするときなどは、身振りを交えて、“サヴァー、サヴァー”というだけで以心伝心、あのすばらしい版画が、みるみるうちに刷りあがる。という有様である。
 二十年間のうちに、パリの気持がそのまま南さんの身体に溶けこんでいるのであろう。パリから離れられないのも無理ないわけである。

La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』34頁所収
初出:『南桂子の世界 空・鳥・水……』より、一九七三年 美術出版社

南桂子_001
南桂子
《少女》
カラーエッチング
額サイズ39.5x30.3cm
E.A.
サインあり

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南桂子 Keiko MINAMI(1911-2004)
1911年富山県高岡市生まれ。1928年高岡の女学校卒業。 この頃から詩作と絵画に興味を持つ。1945年東京に移住し、小説家・佐多稲子の紹介で壷井栄に師事し童話を学ぶ。 1949年自由美術展に出品。以後1958年まで毎回出品。この頃油絵を習っていた森芳雄のアトリエで、後の夫となる 浜口陽三と出会い版画の面白さを知る。
1954年渡仏、銅版画指導者・フリードランデルの研究所で2年学ぶ。 1961年神奈川県立近代美術館で「フリードランデル・浜口陽三・南桂子版画展」開催。 1982年にパリからサンフランシスコに移り、1996年に帰国。世界各地で個展を開くほか、本の挿画も数多く手掛けた。2004年、歿。

*画廊亭主敬白
宮脇愛子先生が南桂子先生と親しかったというのは意外に思われるかも知れません。
パリ時代の交友はその後も続き、2001年には高岡市美術館で「南桂子・宮脇愛子展 メルヘンとうつろひの世界」が開催されています。会期はちょうど11年前の今日7月3日~9月2日まで。
La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』にはその折のお二人の写真も掲載しています。

ところで、昨日のブログで某氏の著書の誤字について触れましたが、今回私どもの出版した本のタイトル『La Rencontre, c´est merveilleuse』のフランス語が間違っているのではないかとのご指摘を東大のK先生はじめ複数の方からいただきました。ありがとうございます。
そもそもこの言葉は、宮脇愛子先生が考えたものではなく、序文にあるとおり1962年にパリで出逢ったナウム・ガボから宮脇先生が贈られた言葉をそのまま書名にしました。
K先生からは丁寧に文法の間違いを指摘されたあとに、
<(文法的にはおかしいけれど)そのままでいいような気もします。
外国人らしくて、外国人との出会いの感覚が出てきますから。
>とおっしゃっていただきました。

ナウム・ガボ(Naum Gabo, 1890~1977年)の略歴は先日のブログをご参照いただきたいのですが、ロシア・アヴァンギャルドの美術家、彫刻家であったガボは、ロシア革命後の激動の歴史のなかでドイツ、フランス、イギリス、アメリカと転々とし、最後はアメリカ市民として1977年コネチカット州、ウォーターベリーで亡くなりました。

La Rencontre c'est merveilleuse Naum Gabo(出逢いとは素晴らしいもの)
まさにエトランゼ同士のパリの出逢いに相応しい言葉ではないでしょうか。

今回のときの忘れものの展示では、宮脇愛子先生と親交の深かったマン・レイ、瀧口修造、斎藤義重、ジオポンティ、阿部展也、ERRO、辻邦生、南桂子、オノサト・トシノブ、菅野圭介、ジャスパー・ジョーンズ、堀内正和、サム・フランシスなどの作品を展示します。
それら作家たちとの交友・影響については、
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
宮脇愛子インタヴュー
をぜひお読みください。

La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』を刊行
2012年6月25日発行:ときの忘れもの
限定200部 宮脇愛子オリジナルシルクスクリーンとDVD付
カタログDVD作品合成_m
宮脇愛子、マン・レイ、瀧口修造、斎藤義重、ジオ・ポンティ、阿部展也、エロ、辻邦生、南桂子、オノサト・トシノブ、菅野圭介、ジャスパー・ジョーンズ、堀内正和、サム・フランシス、他
価格:12,600円
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