マイコレクション物語 第2回

コレクション事始め In New York その1
荒井由泰


私は24歳の時、幸運にもニューヨークの現地社員の扱いで、マンハッタンのど真ん中で商社マンとして働くチャンスを得て、1972年から77年の5年間、楽しく充実した時間を過ごした。そこで、私のコレクションの形成に重大な影響を与えたフィッチ氏(Andrew Fitch)との出会いがあった。まずは彼のことを語ることにする。
我が師アンディ・フィッチ600
我が師アンディ・フィッチ

彼はイェール大出身のインテリ画商であるとともに、アマチュアレスリングにおいてアメリカ代表として東京オリンピックに出場したスポーツマンでもある。長谷川潔浜口陽三の作品を求めて、私が最初に訪れたのは1975年頃だったように思う。当時、彼はコロンビア大学でフランス語を教えながら、自宅兼画廊(Fitch-Febvrel Gallery、 Febvrelは奥さんの旧姓)をアポイント形式で開廊していた。コロンビア大学近くの彼の画廊を訪れると奥様、息子さん、そして愛犬が一緒に迎えてくれた。彼の扱う作家達と私の好みが合うこともあったが、「版画の扱い方がよい」、また「見どころがある」との過分の評価をいただき、その後、客としてのみならず、版画の弟子としてお付き合いがはじまった。
「版画の扱い方」だが、彼のところではほとんどの作品がシートで引き出しに保管されており、必然的にシートで作品を手にするわけだが、両手で丁寧につまむように扱ったところが評価されたようだ。実際、片手で扱うと作品が折れたり、曲がりが入ったりするが、ぞんざいに扱うのを見かける機会があるが、そんな時は本当にドキドキしてしまう。版画は紙切れに過ぎないかもしれないが、アートとして大切に扱う気持ちが大切だ。
彼のところでの最初に購入したのは浜口陽三の「蝶」(1968)だったが、その後彼の扱うヨーロッパの作家の作品を少しずつコレクションすることになる。彼は分割払いを認めてくれて、たとえば毎月、代金を支払いに出向き、半分支払うと作品を受け取るとともに、出かける度に様々な作家の作品を手にとって見せてくれた。
フィッチからの最初の購入作品 浜口陽三 蝶
フィッチからの最初の購入作品
浜口陽三
「蝶」
1968

彼の扱う作家はオディロン・ルドン、ロドルフ・ブレスダンなどの19世紀ものが中心であったが、現代作家では長谷川潔、浜口陽三、F.メクセペル、フィリップ・モーリッツ、エリック・デマジエールなどの少々マニアックながら、銅版画の魅力を堪能できる作家群であった。駆け出しのコレクターとしては高いものはとても買えなかったが、彼が扱う作品を少しずつ買うことで目が養われるとともに私のコレクションの方向性が定まっていった。
彼との出会いで今でも心に強く残るエピソードを一つ紹介したい。私がハッカーという古本屋で長谷川潔の「花:切り子グラスに挿したアネモネと草花」(1944~45)という美しいアクワチントが挿画された版画集「銅版画」(1945年ジャック・プチ刊、サインなしだが、長谷川のほかに5人のオリジナル銅版画が入っている)を90ドル(当時ドル=300円)という格安で見つけ、フィッチに見せたところ、「よく見つけたね」と誉めてくれ、長谷川潔を訪ねる予定があるのでサインをもらってきてやろうという話になった。さっそく長谷川先生にお願い文をしたため、持参してもらった。その結果、私の名前で献呈まで入れていただき、サイン入りの作品が戻ってきた。1976年のことであった。今でも私の大切な宝物である。
彼はプライベートな画商を経て1977年に57丁目の一等地に本格的な画廊をオープンさせたが、オープン時に内装を仕上げるのを私自身も手伝った。また、2005年には28年間続いた画廊を閉め、郊外の自宅をベースにした画商生活をはじめることになるが、閉廊記念のファイナル展覧会に家内とともに訪れた。その時のことが懐かしく思い出される。その時、「あなたのおかげで、版画のすばらしさに出会うことができ、私の人生をより豊かにしてくれた。とっても感謝している」と彼に食事をしながら伝えた。実際、彼と版画との出会いに運命的なものを感じる。
ところで、私が画廊に足を運ぶようになる前に、実は私のファーストコレクションとともに何点かの作品が下宿先におさまっていた。以前から絵画や音楽に対する興味は強く、学生時代に休学をして1年近くフランスを中心にヨーロッパで本物にふれる旅を経験したが、絵は見るものであって、買うもの・買えるものとの意識は全くなかった。当時5番街にあったブレンターノという本屋さんの付属していた画廊コーナーに絵画が並べられ、価格が付けられていた。そこである作品に惹かれた。その価格を見ると、給料の半分プラスアルファの値段が付けられており、頑張ると購入可能ということを初めて認識した。思い切って購入したのがアンドレ・マッソンのリトグラフ「Personages(三人の女性像)」であった。今となればなぜマッソンかと思うが、とにかく気に入って購入し、私のファーストコレクションという記念すべき作品となった。版画に興味を持ち、コレクションのきっかけとなった貴重な作品である。自分の給料で版画が買えることを知り、また知ってしまい、コレクションの道が前に広がった。1974年がまさにコレクション事始めであった。その後、身銭を切って、自分の眼を信じて作品を買うことが、眼を鍛えるベストの方法であると実感することとなる。
マイファーストコレクション:マッソン「三人の女性像」
マイファーストコレクションであるアンドレ・マッソンの作品
「Personages(三人の女性像)」
リトグラフ

それ以来、度胸もつき、土曜日になるとマンハッタンに出て、画廊をまわり、掘り出し物を探す面白みを知った。最初の関心は日本人作家が中心だった。池田満寿夫がアメリカで制作したリトが100ドル前後で手に入った。10点近く入手した。「ブタペストからの自画像」が75ドルだった。また、ある画廊で長谷川潔のマニエノワール、「薔薇と封書」(1959)を見つけた。価格は200ドル。また、別の画廊ではビュラン作品「窓からの眺め」(1941年、状態はパーフェクトでなかったが)は100ドルだった。さらには福井良之助の孔版、国吉康雄のリトなどがコレクションに加わった。しかし、現在ほとんどの作品は手元にない。池田の作品は日本で日和崎尊夫、柄澤齊、野田哲也の作品と交換した。さらには、私はコレクションした作品を売った経験は少ないが、気に入った作品の購入のために下取りに出すことを何度か経験をしている。特に格安で手に入れた作品、さらに著名画家の作品は下取り作品となりやすい。コレクションしている間、十分楽しませてもらったと思って納得ずくで、手放すが、後から後悔することが多い。何点かの作品が頭をよぎり、残念な気持ちになる。出来る限り、手放さないというのがコレクションの王道だと思う。(実際は潤沢に資金がないので、願望になってしまうが・・・)
こんなかたちでニューヨークで私のコレクション人生がスタートした。
(あらいよしやす)
フリードリッヒ・メクセペル スプリングのある静物フリードリッヒ・メクセペル
「スプリングのある静物」

フィリップ・モーリッツ  教会 エングレービング600フィリップ・モーリッツ
「教会」
エングレービング

エリック・デマジエール  崩壊 エッチングエリック・デマジエール
「崩壊」
エッチング

サインを頂いた長谷川潔の「花」サインを頂いた長谷川潔の作品
「花:切り子グラスに挿したアネモネと草花」
1944~45
アクワチント

*画廊亭主敬白
福井県に住む荒井由泰さんの「マイコレクション物語」第二回をお届けします。
第一回ではいきなりルドンの名作版画についての研究者顔負けの薀蓄、驚かれた方も多いでしょう。
第二回では師匠フィッチ氏との出会いについて書かれましたが、画商は良きコレクターを育て、また客がいなければ画商は成り立たない、大画商には必ず優れたコレクターがついている。羨ましいような師弟関係ですね。
第三回は7月21日の掲載予定です。ご愛読をお願いします。

さて「ART OSAKA 2012」が8日に終了しました。ネットのお客様の多い(というか東京に客がいないことで有名な)ときの忘れものにとっては、各地で開催されるアートフェアは普段お目にかかれないお客様たちと直接話せる貴重な時間です。もちろん新しいお客様と巡り会う大事なチャンスでもあります。
ときの忘れもののブースの様子と、他の出展ギャラリーさんのことは新人・新澤悠のレポート1をお読みいただきたいのですが、新人の琴線に触れた作品は亭主の好みと全く違うものばかりで(笑)、いやはやこれは世代間の断絶というべきか、社員教育の失敗というべきか。
おまえは毎日画廊で何を見ているのか、と言いたいところですが、自由な社風こそが社長の理想でありますので、これはこれでよしとしましょう。
それよりも新人・新澤はこのところ連戦連勝で、今回も経費をカバーして余りある成果を挙げてくれました。
秋葉シスイ、宮脇愛子、草間彌生、元永定正、ロベール・ドアノー、etc.,
お買い上げいただいた皆様には心より御礼を申しあげます。
「売る」ことが目的のアートフェアですから、結果良ければすべてよし。次回の名古屋(8月初旬)も新澤クン、頑張ってね!