La Rencontre, c´est merveilleuse
宮脇愛子、私が出逢った作家たち

宮脇愛子
「辻邦生へのオマージュ
<プリマヴェラの三女神>より」
1977年 鉛筆
額サイズ:54.4x44.5cm
signed
サントリーニ幻想 辻 邦生 ―――― Aiko Miyawaki
私たちの乗ったギリシャ船、ケンタウロス号が、ゆっくりと、サントリーニ島の巨大なクレーターの湾の中に吸込まれるように進んで行ったあのときの光景を、私は、今でもありありと思い浮べることができる。
その海は不気味なほど静まりかえっていた。暗くいまだに燃えつづけているような、なまなましい焼け肌の、険しい岸壁が、紫に、薄桃色に、焦茶に、と幾層にも重なって鈍い光をはなちながら、三日月状をなして私たちを包みこんでしまう。つまり噴火口の真中に降り立って火口壁を見上げるような位置に船が入りこんだので、まわりの海面は陰になったのである。海面の反射光は、暗く、よみのくにの光とでもいう感じで、それまでのエーゲ海の明るい陽ざしが突然翳ったように感じられて、妙に不安な気持になったことが思い出される。
私が、この古めかしいギリシャ船、ケンタウロス号に乗り込んだひとつの理由は、この船がエーゲ海のミコノスをはじめ、ロードス、デロス、リンドス、クレタなどの島々、ヨハネが『黙示録』を書いたといわれるパトモス島や、トルコ領になっているイオニア海岸のエフェソスの遺跡を巡航するためであった。
クレタ島の北約百キロにあるサントリーニ島は、この航海の最後の寄航地であったが、私は、ここで固唾(かたず)をのむような光景に出くわしたのである。
一般に画家とか彫刻家といえば、そんな光景をスケッチするにちがいないといわれるかもしれないけれど、私は、旅にスケッチブックやキャンヴァスを持ち歩いて風景を描写することはせずに、むしろ旅先で感じとった雰囲気をできるだけ抽象化して記憶しようとする。そして、あとでまったく別の形態や素材に転化しようとしたりする。だからこのクレーターの焼けた肌や、海の鈍い光も具体的なかたちとして記憶するよりも、とりとめのない気分として、どこかからだの片隅に残しておけばよかったのである。ところが、私は、この大噴火の跡の焼けただれた岸壁の、見えない炎にすっかりとりつかれてしまった。
この旅(一九七三年)の間じゅう、私はちっとも落着かなかった。はじめて本の装丁というものをすることになり、決定的な案が決らずにいたためなのだが、そのイメージをこのクレーターの中からとり出せるような気がしはじめた。
当時、二年半もの時間をかけて完結した辻邦生氏の長編小説『背教者ユリアヌス』の本の装丁で、私は迷いに迷って、大袈裟な言い方をすれば、この旅に出るまでに、もう十冊もの本をつくった感じだったのだけれども、ユリアヌスにぴったりのものが見つからず、ともあれ、ユリアヌスの舞台をこの眼で確かめてみたいと、このエーゲ海の船旅に飛出してきたわけである。
……古い羊皮紙の焼け穴の奥に、ユリアヌスの横顔が浮びあがる。
サントリーニの三日月形の火口湾の不気味な静けさの背後にユリアヌスが浮びあがったというべきだろうか。私は、ユリアヌスが復活をこころみたギリシャの神々が、ここに送りこんでくれたのではないかと思われるような感動の波に身をまかせてしまっていた。
あとはこのイメージを具体的に本の表紙に焼きつけるために、何枚もの紙をろうそくの炎で焼いてユリアヌスのメダルと組合わせる。紙を焼くのは、意外にむずかしく、焼け焦げをアトリエの床一面につくったあげく、やっとひとつ決まったのだけれど、最後にはろうそくの煤で顔中が真黒になるほどであった。
帰国してから、この装丁などに熱中していたので、サントリーニの光景は幾度となく反芻してきたのだが、そのときの写真を今とりだして眺めてみると、空が青く澄んでいるので驚いてしまった。
私の記憶のなかでは、暗紫色の焼けた岸壁、その頂上にのしかかるようにはりだした真白いテーラの街、鈍(にび)色に沈んだ湾の海面などが、辻氏の描きだした背教者ユリアヌスの像に重なりあって、不透明に入り乱れて、空の色は消えてしまっていたらしい。ところが写真でみると、ここにもミコノスやデロスでみたあのエーゲ海の夏の空があった。おそらく写真が事実を伝えているにちがいないのに、私にはいまだにこれがサントリーニの空であったとは信じられない。もしあのときスケッチをしていたら、記憶は修正されて青いエーゲ海の空が残ったのであろうが、そのかわり、焼け焦げのユリアヌスの像も出現しなかったにちがいない。
『La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』52-53頁所収
初出:『朝日ジャーナル』一九七三年五月十一日号
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辻邦生著
《背教者ユリアヌス》特装版
辻 邦生 炎の形《背教者ユリアヌス》の装幀について
宮脇愛子氏が装幀した《背教者ユリアヌス》は、書物の辺縁を炎が舐めてできた焼け焦げが唯一のモチーフになっている。普及版のほうは、外装だけが焦げているが、限定版のほうは本文用紙すべてに炎の跡がついている。ちょうど焼け残った古文書の頁を繰るとき、その一頁一頁の辺縁が焦げている――そんな印象を読者は持つのである。
この焼け焦げのあとをリアルに感じさせるため、何色も色をかけたというが、そのせいか、炎がいまなお、めらめら羊皮紙を焼いているような感じを受ける。それはユリアヌスの短く激しい生涯を炎の中に見るようで、単なる頁の辺縁の静的な装飾とは異なる効果を出している。小説家が描きだした世界を炎で取り巻くことで、いっそうその空間の悲劇性・永遠性を際立てているといえようか。
およそ装幀の観念を排除した暗褐色の犢皮で包むようにした外装といい、哲学者皇帝の内面を描いたごときエッチングといい、宮脇愛子氏の造型力が別個のマチエールに浸透するさまを見るような思いがして、氏の柔軟さと強烈な個性に打たれざるを得ないのである。
『La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』54頁所収
初出:『SD』1976年3月号
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*画廊亭主敬白
6月25日から始まり、会期延長した「宮脇愛子展」は本日が最終日です。
宮脇愛子先生が親交した作家たちの幾人かを、宮脇先生ご自身のエッセイでご紹介してきましたが、詳しくは『La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』をお読みいただければ幸いです。
最終日に取り上げたのは小説家・フランス文学者の辻邦生(つじ くにお)先生です。
お亡くなりになったのは1999年7月29日、その数日前に私たちは軽井沢でお目にかかったばかりでした。奥様の美術史家・辻佐保子先生も昨年12月24日に急逝されました。
軽井沢高原文庫での辻邦生展で、辻佐保子先生と磯崎新先生が公開対談で語り合った夏の日を懐かしく思い出します。
今回の宮脇愛子展については「マン・レイになってしまった人」である石原輝雄さんがブログで感想を書いてくださいましたのでお読みください。
◆「宮脇愛子展」は本日が最終日です。

第一会場:ギャラリーせいほう
宮脇愛子の1950年代後半から70年代の平面・立体作品を展示。
第二会場:ときの忘れもの
瀧口修造、マン・レイなど宮脇が長年親交した作家たちの作品を展示。
オープニングの様子はコチラ。
◆『La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』を刊行
2012年6月25日発行:ときの忘れもの
限定200部 宮脇愛子オリジナルシルクスクリーンとDVD付

宮脇愛子、マン・レイ、瀧口修造、斎藤義重、ジオ・ポンティ、阿部展也、エロ、辻邦生、南桂子、オノサト・トシノブ、菅野圭介、ジャスパー・ジョーンズ、堀内正和、サム・フランシス、他
価格:12,600円
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宮脇愛子、私が出逢った作家たち

宮脇愛子
「辻邦生へのオマージュ
<プリマヴェラの三女神>より」
1977年 鉛筆
額サイズ:54.4x44.5cm
signed
サントリーニ幻想 辻 邦生 ―――― Aiko Miyawaki
私たちの乗ったギリシャ船、ケンタウロス号が、ゆっくりと、サントリーニ島の巨大なクレーターの湾の中に吸込まれるように進んで行ったあのときの光景を、私は、今でもありありと思い浮べることができる。
その海は不気味なほど静まりかえっていた。暗くいまだに燃えつづけているような、なまなましい焼け肌の、険しい岸壁が、紫に、薄桃色に、焦茶に、と幾層にも重なって鈍い光をはなちながら、三日月状をなして私たちを包みこんでしまう。つまり噴火口の真中に降り立って火口壁を見上げるような位置に船が入りこんだので、まわりの海面は陰になったのである。海面の反射光は、暗く、よみのくにの光とでもいう感じで、それまでのエーゲ海の明るい陽ざしが突然翳ったように感じられて、妙に不安な気持になったことが思い出される。
私が、この古めかしいギリシャ船、ケンタウロス号に乗り込んだひとつの理由は、この船がエーゲ海のミコノスをはじめ、ロードス、デロス、リンドス、クレタなどの島々、ヨハネが『黙示録』を書いたといわれるパトモス島や、トルコ領になっているイオニア海岸のエフェソスの遺跡を巡航するためであった。
クレタ島の北約百キロにあるサントリーニ島は、この航海の最後の寄航地であったが、私は、ここで固唾(かたず)をのむような光景に出くわしたのである。
一般に画家とか彫刻家といえば、そんな光景をスケッチするにちがいないといわれるかもしれないけれど、私は、旅にスケッチブックやキャンヴァスを持ち歩いて風景を描写することはせずに、むしろ旅先で感じとった雰囲気をできるだけ抽象化して記憶しようとする。そして、あとでまったく別の形態や素材に転化しようとしたりする。だからこのクレーターの焼けた肌や、海の鈍い光も具体的なかたちとして記憶するよりも、とりとめのない気分として、どこかからだの片隅に残しておけばよかったのである。ところが、私は、この大噴火の跡の焼けただれた岸壁の、見えない炎にすっかりとりつかれてしまった。
この旅(一九七三年)の間じゅう、私はちっとも落着かなかった。はじめて本の装丁というものをすることになり、決定的な案が決らずにいたためなのだが、そのイメージをこのクレーターの中からとり出せるような気がしはじめた。
当時、二年半もの時間をかけて完結した辻邦生氏の長編小説『背教者ユリアヌス』の本の装丁で、私は迷いに迷って、大袈裟な言い方をすれば、この旅に出るまでに、もう十冊もの本をつくった感じだったのだけれども、ユリアヌスにぴったりのものが見つからず、ともあれ、ユリアヌスの舞台をこの眼で確かめてみたいと、このエーゲ海の船旅に飛出してきたわけである。
……古い羊皮紙の焼け穴の奥に、ユリアヌスの横顔が浮びあがる。
サントリーニの三日月形の火口湾の不気味な静けさの背後にユリアヌスが浮びあがったというべきだろうか。私は、ユリアヌスが復活をこころみたギリシャの神々が、ここに送りこんでくれたのではないかと思われるような感動の波に身をまかせてしまっていた。
あとはこのイメージを具体的に本の表紙に焼きつけるために、何枚もの紙をろうそくの炎で焼いてユリアヌスのメダルと組合わせる。紙を焼くのは、意外にむずかしく、焼け焦げをアトリエの床一面につくったあげく、やっとひとつ決まったのだけれど、最後にはろうそくの煤で顔中が真黒になるほどであった。
帰国してから、この装丁などに熱中していたので、サントリーニの光景は幾度となく反芻してきたのだが、そのときの写真を今とりだして眺めてみると、空が青く澄んでいるので驚いてしまった。
私の記憶のなかでは、暗紫色の焼けた岸壁、その頂上にのしかかるようにはりだした真白いテーラの街、鈍(にび)色に沈んだ湾の海面などが、辻氏の描きだした背教者ユリアヌスの像に重なりあって、不透明に入り乱れて、空の色は消えてしまっていたらしい。ところが写真でみると、ここにもミコノスやデロスでみたあのエーゲ海の夏の空があった。おそらく写真が事実を伝えているにちがいないのに、私にはいまだにこれがサントリーニの空であったとは信じられない。もしあのときスケッチをしていたら、記憶は修正されて青いエーゲ海の空が残ったのであろうが、そのかわり、焼け焦げのユリアヌスの像も出現しなかったにちがいない。
『La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』52-53頁所収
初出:『朝日ジャーナル』一九七三年五月十一日号
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辻邦生著
《背教者ユリアヌス》特装版
辻 邦生 炎の形《背教者ユリアヌス》の装幀について
宮脇愛子氏が装幀した《背教者ユリアヌス》は、書物の辺縁を炎が舐めてできた焼け焦げが唯一のモチーフになっている。普及版のほうは、外装だけが焦げているが、限定版のほうは本文用紙すべてに炎の跡がついている。ちょうど焼け残った古文書の頁を繰るとき、その一頁一頁の辺縁が焦げている――そんな印象を読者は持つのである。
この焼け焦げのあとをリアルに感じさせるため、何色も色をかけたというが、そのせいか、炎がいまなお、めらめら羊皮紙を焼いているような感じを受ける。それはユリアヌスの短く激しい生涯を炎の中に見るようで、単なる頁の辺縁の静的な装飾とは異なる効果を出している。小説家が描きだした世界を炎で取り巻くことで、いっそうその空間の悲劇性・永遠性を際立てているといえようか。
およそ装幀の観念を排除した暗褐色の犢皮で包むようにした外装といい、哲学者皇帝の内面を描いたごときエッチングといい、宮脇愛子氏の造型力が別個のマチエールに浸透するさまを見るような思いがして、氏の柔軟さと強烈な個性に打たれざるを得ないのである。
『La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』54頁所収
初出:『SD』1976年3月号
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*画廊亭主敬白
6月25日から始まり、会期延長した「宮脇愛子展」は本日が最終日です。
宮脇愛子先生が親交した作家たちの幾人かを、宮脇先生ご自身のエッセイでご紹介してきましたが、詳しくは『La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』をお読みいただければ幸いです。
最終日に取り上げたのは小説家・フランス文学者の辻邦生(つじ くにお)先生です。
お亡くなりになったのは1999年7月29日、その数日前に私たちは軽井沢でお目にかかったばかりでした。奥様の美術史家・辻佐保子先生も昨年12月24日に急逝されました。
軽井沢高原文庫での辻邦生展で、辻佐保子先生と磯崎新先生が公開対談で語り合った夏の日を懐かしく思い出します。
今回の宮脇愛子展については「マン・レイになってしまった人」である石原輝雄さんがブログで感想を書いてくださいましたのでお読みください。
◆「宮脇愛子展」は本日が最終日です。

第一会場:ギャラリーせいほう
宮脇愛子の1950年代後半から70年代の平面・立体作品を展示。
第二会場:ときの忘れもの
瀧口修造、マン・レイなど宮脇が長年親交した作家たちの作品を展示。
オープニングの様子はコチラ。
◆『La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』を刊行
2012年6月25日発行:ときの忘れもの
限定200部 宮脇愛子オリジナルシルクスクリーンとDVD付

宮脇愛子、マン・レイ、瀧口修造、斎藤義重、ジオ・ポンティ、阿部展也、エロ、辻邦生、南桂子、オノサト・トシノブ、菅野圭介、ジャスパー・ジョーンズ、堀内正和、サム・フランシス、他
価格:12,600円
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