私の人形制作第40回 井桁裕子
肖像と「加速」のイメージ <2>
ときの忘れものでは野口さん、大竹さんと素敵な展覧会が続いていますが、いよいよ私も自分の展示が来月に迫ってきました。
タイトルは「加速する私たち」としました。そのイメージは私の中でまだごちゃごちゃになってからまっています。
このタイトルを決めた直後に、私のいろいろと考えていたことに具体的な返事が返って来るようなイベントがあり、行ってきました。
「生きのびるためのアート?サイエンス?そしてミュージアム!」という長いタイトルの、サイエンスアートについてのシンポジウムです。(9/29、江東区・日本科学未来館にて。)
これは「メビウスの卵展」というサイエンスアートの展示やワークショップを行なってきたイベントが20周年を迎えるにあたっての記念行事で、声をかけて下さったのは主催者の石黒敦彦氏でした。
実は私にとっては「サイエンスアート」の分野はどう考えて良いかわからないもので、なんとなく虎の赤ん坊をだっこするような気がしていました。
かわいい虎の子の牙も爪も、成長したら人間の手におえるものではありません。
その内容をごく一部だけ書きつつ、自分の考えを整理したいと思います。
*
パネラーの中に「原発はなぜこわいか」の著者、田中三彦氏がいらっしゃっていました。
田中さんはかつては誇りを持って原子炉の設計をしていました。しかし、1977年にその仕事を辞め、退社後の1989年、重大な事実を公表しました。
それは、原発の納品間際に歪んでしまった「圧力容器」(10メートルもある巨大な円筒形のもの)を中からジャッキで持ち上げて無理に伸ばして納品したことがあったという話です。そのもろい圧力容器は、福島第一原発の4号機の中に取り付けられました。これはもはや神頼みで、設置の日は仏滅を避けたとのことでした。
核とアートという組み合わせは田中氏だけではありません。
原子爆弾の開発に従事した人物として、オッペンハイマー兄弟の名はよく知られています。しかし戦後、兄弟は核兵器反対の活動によりレッドパージにあい職場を追われます。そして弟のフランク・オッペンハイマーはサンフランシスコでサイエンスミュージアム「エクスプロラトリアム(the Exproratorium)」を立ち上げます。
(上記参考サイト: http://www.moriokas.com/art_tech/?page_id=460 )
また、イギリスで数学者として爆撃戦略を開発したJacob Bronowskiは、その後、物理学者から生物学者に転向し、サイエンスとアートをつなぐ運動を始めます。それは原爆投下後の調査団の一員として日本を訪問し、その惨状に強いショックを受けた事がきっかけでした。
原爆の存在によって、科学が人間らしいものにならなくてはいけないという強い反省が共有されるようになったのです。
かつて「会社人間」だった田中三彦氏の人生を劇的に揺るがして変えたのも「複雑系」との出会いだったそうです。
「タオ自然学」(フリッチョフ・カプラ/工作舎)「還元主義批判」(アーサー・ケストラー著/工作舎)などいくつもの書籍の翻訳、さらに人工生命を生んだサンタフェ研究所の取材をされたなどということは、私は初めて知りました。
「還元主義批判」というのは、科学は、複雑な要素がからみあった現実世界を各要素に還元して研究してきた。しかしそんな「木を見て森を見ず」の姿勢では深刻な問題が起こるので、科学に全体性を取り戻さなければならない.....そういった意味だそうで、その思想とサイエンスアートは深い関わりがあるのでした。
「複雑系」の研究は神秘的で芸術に近いもののように思います。
科学技術の発達によって人類が滅びの道を歩まないようにする知恵を発揮する、その文化を大きくアートと呼ぶのでしょう。
「遊びをせんとや生まれけむ」で、むやみに産業社会や経済活動なんかの役に立たない事こそが生き延びる道なのではないでしょうか。
科学未来館でのシンポジウムは「生きのびるためのアート?」ではなくてもうちょっとハッキリ「生きのびるためにはアート!」と言いたいではないか....と私は勝手に思うのでした。
「アートにサイエンスはあまり必要ないんじゃないかな、まあ私としては」とのんきな気持ちでいたのですが、それは逆で、アートの精神を必要としているのは強大になりすぎた科学の側なのでした。
「加速する私たち」というのは作品単独のタイトルでもあります。
滅びへと加速するイメージでは終わらせず、生きのびる力、すなわち強烈なエロスとして形にしたかったのです。
それは生きのびる方へ向かう希望ということです。
理性が死に向かうのならば、情熱は喜びとともに生きようとするのです。
~~
写真は制作中の「加速する私たち」
撮影:福田昌裕

(いげたひろこ)
◆井桁裕子作品展―加速する私たち
会期=2012年11月22日[木]―12月1日[土]
12:00-19:00 ※会期中無休
球体関節人形や陶土による人形を手がけてきた井桁裕子。井桁の作品は、実在の人物をモデルにしながらその人物のイメージを彼女の中で再構成した「肖像人形」と言える作品であり、創造力と造形力の賜物です。作品から溢れ出るエネルギーは観る者に衝撃を与えます。本展では、舞踏家・高橋理通子氏をモデルにした新作を含め、18点を展示する予定です。
肖像と「加速」のイメージ <2>
ときの忘れものでは野口さん、大竹さんと素敵な展覧会が続いていますが、いよいよ私も自分の展示が来月に迫ってきました。
タイトルは「加速する私たち」としました。そのイメージは私の中でまだごちゃごちゃになってからまっています。
このタイトルを決めた直後に、私のいろいろと考えていたことに具体的な返事が返って来るようなイベントがあり、行ってきました。
「生きのびるためのアート?サイエンス?そしてミュージアム!」という長いタイトルの、サイエンスアートについてのシンポジウムです。(9/29、江東区・日本科学未来館にて。)
これは「メビウスの卵展」というサイエンスアートの展示やワークショップを行なってきたイベントが20周年を迎えるにあたっての記念行事で、声をかけて下さったのは主催者の石黒敦彦氏でした。
実は私にとっては「サイエンスアート」の分野はどう考えて良いかわからないもので、なんとなく虎の赤ん坊をだっこするような気がしていました。
かわいい虎の子の牙も爪も、成長したら人間の手におえるものではありません。
その内容をごく一部だけ書きつつ、自分の考えを整理したいと思います。
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パネラーの中に「原発はなぜこわいか」の著者、田中三彦氏がいらっしゃっていました。
田中さんはかつては誇りを持って原子炉の設計をしていました。しかし、1977年にその仕事を辞め、退社後の1989年、重大な事実を公表しました。
それは、原発の納品間際に歪んでしまった「圧力容器」(10メートルもある巨大な円筒形のもの)を中からジャッキで持ち上げて無理に伸ばして納品したことがあったという話です。そのもろい圧力容器は、福島第一原発の4号機の中に取り付けられました。これはもはや神頼みで、設置の日は仏滅を避けたとのことでした。
核とアートという組み合わせは田中氏だけではありません。
原子爆弾の開発に従事した人物として、オッペンハイマー兄弟の名はよく知られています。しかし戦後、兄弟は核兵器反対の活動によりレッドパージにあい職場を追われます。そして弟のフランク・オッペンハイマーはサンフランシスコでサイエンスミュージアム「エクスプロラトリアム(the Exproratorium)」を立ち上げます。
(上記参考サイト: http://www.moriokas.com/art_tech/?page_id=460 )
また、イギリスで数学者として爆撃戦略を開発したJacob Bronowskiは、その後、物理学者から生物学者に転向し、サイエンスとアートをつなぐ運動を始めます。それは原爆投下後の調査団の一員として日本を訪問し、その惨状に強いショックを受けた事がきっかけでした。
原爆の存在によって、科学が人間らしいものにならなくてはいけないという強い反省が共有されるようになったのです。
かつて「会社人間」だった田中三彦氏の人生を劇的に揺るがして変えたのも「複雑系」との出会いだったそうです。
「タオ自然学」(フリッチョフ・カプラ/工作舎)「還元主義批判」(アーサー・ケストラー著/工作舎)などいくつもの書籍の翻訳、さらに人工生命を生んだサンタフェ研究所の取材をされたなどということは、私は初めて知りました。
「還元主義批判」というのは、科学は、複雑な要素がからみあった現実世界を各要素に還元して研究してきた。しかしそんな「木を見て森を見ず」の姿勢では深刻な問題が起こるので、科学に全体性を取り戻さなければならない.....そういった意味だそうで、その思想とサイエンスアートは深い関わりがあるのでした。
「複雑系」の研究は神秘的で芸術に近いもののように思います。
科学技術の発達によって人類が滅びの道を歩まないようにする知恵を発揮する、その文化を大きくアートと呼ぶのでしょう。
「遊びをせんとや生まれけむ」で、むやみに産業社会や経済活動なんかの役に立たない事こそが生き延びる道なのではないでしょうか。
科学未来館でのシンポジウムは「生きのびるためのアート?」ではなくてもうちょっとハッキリ「生きのびるためにはアート!」と言いたいではないか....と私は勝手に思うのでした。
「アートにサイエンスはあまり必要ないんじゃないかな、まあ私としては」とのんきな気持ちでいたのですが、それは逆で、アートの精神を必要としているのは強大になりすぎた科学の側なのでした。
「加速する私たち」というのは作品単独のタイトルでもあります。
滅びへと加速するイメージでは終わらせず、生きのびる力、すなわち強烈なエロスとして形にしたかったのです。
それは生きのびる方へ向かう希望ということです。
理性が死に向かうのならば、情熱は喜びとともに生きようとするのです。
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写真は制作中の「加速する私たち」
撮影:福田昌裕

(いげたひろこ)
◆井桁裕子作品展―加速する私たち
会期=2012年11月22日[木]―12月1日[土]
12:00-19:00 ※会期中無休
球体関節人形や陶土による人形を手がけてきた井桁裕子。井桁の作品は、実在の人物をモデルにしながらその人物のイメージを彼女の中で再構成した「肖像人形」と言える作品であり、創造力と造形力の賜物です。作品から溢れ出るエネルギーは観る者に衝撃を与えます。本展では、舞踏家・高橋理通子氏をモデルにした新作を含め、18点を展示する予定です。
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