先日、建築家の光嶋裕介さんを案内して都内某所の石田了一工房をたずねました。
光嶋さんには今春銅版画の個展を開いていただき、ご存知のとおり大好評でした。
銅版画はもちろんこれからも続けてもらいたいと思っていますが、もっと大きな画面での作品も制作してもらいたいと亭主は考えた。

来年のソウルのKIAFには光嶋さんの大作を押し出して行きたい。

そこで石田さんの工房での制作を提案したという次第です。
片やいま大活躍の光嶋裕介さん、片や名プリンターの石田さん。
石田さんはシルクスクリーン工房を主宰していますが、今回亭主が目論んでいるのは、いわゆる「版画」ではなくて、シルクスクリーンの技法を援用した大画面の作品で、可能な限りのさまざまな技法を使って、今までにないユニークな作品を作ってもらいたいと考えています。

とはいえ、光嶋さんはシルクはまったく未経験。
とりあえず、いろいろ試してもらいました。
石田工房1
整然とした石田了一工房にて。
右から光嶋裕介さん、石田了一さん、助手の大谷さん

石田工房2
その場でフィルムに直接描画してもらい、試刷りをする

石田工房3
スキージーを鮮やかに使い、試刷りをする石田さん(右)

乞うご期待というところですが、
亭主の版元魂を揺さぶったのは久しぶりに出会った光嶋さんという才能です。

1974年以来の亭主の版画人生を支えてくれのはもちろん素晴らしい作品を作ってくれた多くの作家たちです。
版画のエディションというのは作家と版元だけでできるものではない。
作家が「版」に精通している場合でも、的確なサポートをしてくれる刷り師(版画工房)は欠かせない。色彩感覚に優れ、作家の意図を作家以上に表現できるテクニックをもった刷り師が名作版画の陰には必ず存在します。
作家・刷り師・版元がお互いの持てる力を存分に発揮できたときに「名作版画」が誕生するわけですが、最後の条件はそれを経済的にサポートしてくれるパトロン(コレクター)の存在こそが実はもっとも重要です。

話が脇にそれますが、先年、ある刷り師が病気で亡くなられた。
彼は自ら銅版及びリトグラフの工房兼版元を経営しており、長年にわたり日本を代表する作家たちの版画をエディションし続けていた。没後、その工房が制作していた版画作品がどっと市場に放出された、投売りされたと言ってもいい。
「えっ、そんなに残っていたの」と私たちは驚いた。
彼は誰よりも商売上手で、同業の私たちにもかなりシビアな数字しか出してくれず、買いたいけれど高くて・・・という状況だった。
「いいお客さんがついているんだ」と私たちはうらやんでいました。
ところが実態はそうではなくて、膨大な在庫が売れずに眠っていたらしい。
投売りの結果、没後数年たつのに、いまだその余波はおさまらず、わが敬愛する作家の版画作品が「1円」でヤフーオークションに次々と出品される始末です。

こうまで極端ではなくても、バブル期にたくさん作られた版画作品が市場にあふれ、価格は暴落し、版元や版画工房は次々に姿を消した。

版画のエディションというのは、まず初期投資の金額が膨大です。
それに耐えうる資金力があっても、売れずに残ったら上述のような悲惨な結果になりかねない。
エディションが成功するには、それを買ってくださる顧客が一番重要なのです。
これからも逐次、エディションの進捗状況はこのブログでご報告してまいりますが、皆さんのご理解ご支援を切に願う次第です。

亭主は1974年以来、版元人生を歩んできましたが、その間、刷り師としては石田了一さんが最も縁が深い、盟友といってもいい。
石田さんに刷っていただいた作品には、森義利、菅井汲、元永定正、関根伸夫、磯崎新、安藤忠雄、アンディ・ウォーホル、・・・etc., 名前を挙げたらきりがない。

先日、画家の宇佐美圭司さんが72歳で亡くなられましたが、宇佐美さんの版画もまだ20代だった石田さんが手がけ、あの素晴らしいグラデーションをして作家と南画廊(志水楠男)の信頼をかちえた。
宇佐美版画がきっかけで「ボカシの石田」という別称を生んだほどでした。

石田さんが刷ってきた名作の数々から数点をご紹介しましょう。
ウォーホル「LOVE」
アンディ・ウォーホル
「LOVE 2」
1983
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
Ed.100 signed
*レゾネNo.311

磯崎新「闇1」小
磯崎新 Arata ISOZAKI
「闇 1」
1999年 
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
58.3×77.0cm
Ed.35  signed

草間84水仙
草間彌生
FLOWERS 花(水仙)」
1985年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
45.5×53.0cm
Ed.100  signed
※レゾネNo.84(阿部出版 2005年)

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